イギリスでは避妊や妊娠出産、人工中絶などに関する女性への心身の医療サービスが整備されています。情報を得たり秘密で相談できたり、サービスへのアクセスも簡単で、原則として無料。そういうイギリスから見ると、日本ではこのような医療サービスや情報を得る物理的精神的なハードルが高いばかりか、コストがかかったり、そもそも承認されていなかったりして、女性がいかに不利な立場にあるかがわかります。これは女性に対する人権侵害に近く、とても先進国とは言えない状況にあるといえます。
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日本とイギリスの中絶事情
経口中絶薬使用承認
最近になって、日本でイギリスの製薬会社が経口中絶薬の使用承認を申請しました。もし承認されれば、日本で初めての経口中絶薬となり、手術を伴わない中絶の選択肢ができることになります。
この中絶薬はイギリスではもちろん、世界中80以上の国や地域で承認され、安全な中絶方法としてWHO(世界保健機関)も推奨しています。WHOはこれらの経口中絶薬を風疹やインフルエンザの予防接種ワクチン同様「必須医薬品」に指定していて、どの国でも妥当な価格で広く使用されるべきとしているのです。
日本では妊娠中絶は金属の器具でかき出す「そうは法」という時代遅れの手術が未だに数多く行われています。これは70年以上前から行われているもので、WHOは「そうは法」は子宮を傷つけたり、多量の出血を伴うリスクがあり、かなりの痛みを強いるなどの理由から、安全な中絶方法とはみなしておらず、代わりに経口中絶薬か真空吸引法に切り替えるべきだとしています。ちなみにイギリスをはじめ、先進国ではこのような中絶方法は現在では行われていません。
厚生労働省も2021年7月、日本産婦人科医会などに対し、WHOのガイドラインを引用して、国際的な動向を踏まえるよう通知を出しました。これに対し、日本産婦人科医会は「我が国のそうは法は、歴史もあり、その手技に習熟した慣れた医師は安全に確実に行っている」と主張しています。
ちなみに、日本の初期中絶の手術費用は自費で10万円から20万円ほどかかりますが、経口中絶薬は安価で体の負担も軽いということで、女性の心身の負担低減にもなります。
このような理由から、日本でも経口中絶薬を安価で利用しやすいようにしてほしいという声がかねてから多く上がっており、「Safe Abortion Japan Project」などの市民運動が全国で行われており、経口中絶薬使用が承認されるかもしれないというニュースはいい知らせでした。
けれども、日本産婦人科医会は、処方は当面、入院が可能な医療機関で、中絶を行う資格のある医師だけが行うべきだとし、木下会長はこう述べています。
医師は薬を処方するだけでなく、排出されなかった場合の外科的手術など、その後の管理も行うので相応の体制が必要だ。
薬の処方にかかる費用については、10万円程度かかる手術と同等の料金設定が望ましい。
ちなみに、イギリスではこの薬が無料ですが、有料となる国であっても、平均価格は約740円にすぎません。1000円もしない薬がその100倍の料金になるというのは不可解です。避妊中絶の簡略化による産婦人科医の収入の減少を心配しているのではないかというという説も出ていましたが、そう思えなくもない料金設定ではあります。
木下会長によると
医学の進歩による新しい方法であり、治験を行ったうえで安全だということならば、中絶薬の導入は仕方がないと思っている。
しかし、薬で簡単に中絶できるという捉え方をされないか懸念している。
70年前から行われ、WHOも推奨していない、女性の体に負担の大きい時代遅れの中絶方法を高い治療費を取って続け、広く80か国で利用されている安価で安全なWHO推奨の経口中絶薬を「新しい」という理由で導入を渋るのはなぜなのでしょうか。
また、「薬で簡単に中絶できるという捉え方をされないか懸念」というのは、医師としての使命感から出た言葉なのかもしれませんが、父権的な態度で「若い女性を指導しなければ」という押し付け感が透けて見えて、自分の体に自分で責任を持つ大人の女性には素直に理解できない言い方でしょう。誰も好き好んで望まない妊娠をするわけではないし、中絶という決断に至るまでの葛藤は本人にしかわかりません。何より、中絶で心身に負担がかかるのはその女性自身です。
「Safe Abortion Japan Project」の代表で、産婦人科の遠見才希子医師はこう述べています。
手術を受ける女性の立場で考えれば、国際的に時代遅れでやるべきではないと勧告されている技術を受けるしかないというのは、人権侵害に近い状況だ。
いい中絶とか悪い中絶とか、安易に中絶しているとか、他人が決めつけることはできない。
どんな状況でも安全な中絶へのアクセスを保障する変化が必要だ。
日本では人工妊娠中絶が年間14~15万件(2020年は145,340件、2019年は156,716件)行われており、多くの女性が高い費用を払い、心身に負担のある方法で中絶手術を受けているます。
2020年の調査によると、中絶に至った妊娠時に避妊をしていた女性は35.4%で、避妊法としてはほとんどがコンドームや膣外射精といった不確実な避妊法を使用していました。安全で確実な避妊方法が利用できていないのも、中絶に至る大きな理由となっています。
イギリスの妊娠中絶
イギリスではNHS国民医療サービスにより、人口妊娠中絶が無料で受けられます。中絶方法は経口中絶薬によるものと手動真空吸引法があります。
手動真空吸引法というのは、子宮に真空状態にして吸引する方法で、おもに部分麻酔で行われます。合併症のリスクが少ないことからWHOにも安全な方法として推奨されていますが、日本では中絶手術の1割程度しかこの方法を使っておらず、WHOがやめるべきと推奨するそうは法が未だに多く行われているのです。
イギリスではほとんどすべての住民がNHS国民医療サービスに無料で加入でき、NHSに加入している人なら、妊娠中絶を希望する女性はかかりつけ医に相談することでその人の事情に応じて中絶方法を選び、すべて無料で中絶を行うことができます。
プライヴァシーなどの懸念からかかりつけ医に知られたくない場合は、NHSと提携している複数の妊娠、リプロダクティブ・サービス機関から希望のクリニックを選ぶこともでき、この場合もNHSが費用を負担してくれるので、無料です。
避妊事情
このような、日本と他の先進国での中絶事情の違いは、妊娠する前の避妊事情からもみてとれます。
世界の避妊事情を見てみましょう。
世界の避妊事情
15-49歳の女性を対象にした、国連の避妊方法に関する2019年の調査によると、日本は男性のコンドームによる避妊が世界一と言ってくらい高いのが特徴です。その反面、欧米先進国や富裕国で多く使われている経口避妊薬(ピル)の利用が極端に低くなっています。
日本ではコンドームによる避妊が34.9%となっていますが、避妊の実施率が46.5%なので避妊の75%は男性のコンドームによっています。その反面、ピルの使用率は2.9%で、避妊をしている人の6.2%です。他の避妊法の選択肢もせまく、注射やインプラントはゼロで、男性で避妊手術をする人もIUD(子宮内避妊具)使用率もそれぞれ1%に満たない数字です。女性の避妊手術は少し多いですが、それでも避妊をする人のうち、1.3%です。
イギリスの避妊実施率は71.7%と高く、そのうちピルによる避妊が36.4%、コンドームが11.3%、男性による避妊手術が14.5%、女性による避妊手術が8.6%、IUD(子宮内避妊具)が10.6%、ほかにも注射やインプラントなどの方法も比較的少数ですが、利用されています。
欧米諸国(ヨーロッパと北米)の避妊方法を見ると、一番利用が多い避妊法がピルの30.6%、次がコンドームの25.1%となっています。イギリスに比べると女性の避妊手術やIUD、リズム法などの利用率が多く、ピルや男性用避妊手術などが少ないようですが、日本よりはイギリスに近い結果です。
Any method | Female Sterilization | Male Sterilization | Pill | Injectable | Implant | IUD | Male condom | Rhythm | Withdrawal | Other methods | |
全ての避妊方法実施率 | 女性避妊手術 | 男性避妊手術 | ピル | 注射 | インプラント | 子宮内避妊具 | 男性のコンドーム | リズム法 | 膣外射精 | 他の避妊法 | |
世界 | 48.5 | 11.5 | 0.9 | 8.0 | 3.9 | 1.2 | 8.4 | 10.0 | 1.5 | 2.5 | 0.8 |
(避妊実施者の内) | 23.7% | 1.9% | 16.5% | 8.0% | 2.5% | 17.3% | 20.6% | 3.1% | 5.2% | 1.6% | |
日本 | 46.5 | 0.6 | 0.1 | 2.9 | 0 | 0 | 0.4 | 34.9 | 2.1 | 4.5 | 1 |
(避妊実施者の内) | 1.3% | 0.2% | 6.2% | 0% | 0% | 0.9% | 75.1% | 4.5% | 9.7% | 2.2% | |
イギリス | 71.7 | 6.2 | 10.4 | 26.1 | 3.1 | 1.6 | 7.6 | 8.1 | 1.6 | 3.9 | 3.3 |
(避妊実施者の内) | 8.6% | 14.5% | 36.4% | 4.3% | 2.2% | 10.6% | 11.3% | 2.2% | 5.4% | 4.6% | |
欧州&北米 | 58.2 | 6.3 | 2.5 | 17.8 | 1.1 | 1.1 | 7.9 | 14.6 | 1.4 | 4.1 | 1.4 |
(避妊実施者の内) | 10.8% | 4.3% | 30.6% | 1.9% | 1.9% | 13.6% | 25.1% | 22.2% | 7.0% | 2.4% |
(United Nations Contraceptive Use by Method 2019) データより作成
日本での避妊はコンドームが主ですが、これは男性に避妊をゆだねるということでもあり、女性が自分で確実に避妊をすることにはなりません。このような避妊法に頼っていると、男性の意思や無責任な行動で避妊に失敗することもあります。女性が避妊してほしいと男性に言えないこともあるでしょう。
日本でも避妊用ピルは承認されましたが、医師の処方が必要なので診察代が数万円かかります。避妊用の薬代は自費となり、月に数千円はかかるため、若い女性には負担になるでしょう。
他の方法、例えば子宮内避妊具や避妊手術もお金がかかるし、避妊インプラント、避妊注射、避妊パッチなどは未承認と選択肢もかなり狭いといえます。
緊急避妊薬の薬局販売解禁?
避妊をしないまま性行為に至ってしまったり、性行為中にコンドームが破れるなどして避妊に失敗したリスクがある場合、欧米では「モーニングアフターピル」と呼ばれる事後緊急避妊薬を入手することができます。イギリスでは他の避妊法と同じく、緊急避妊薬も無料でかかりつけ医やクリニックで匿名でもらうこともできます。
日本では緊急避妊薬を入手するのに医師の処方が必要となり、コストもかかります。性交後なるべく早い服用が必要なのですが、医師にかかるということがハードルになることもあり、そのせいで望まない妊娠となってしまう人もいます。医師にかかる必要もあるため、価格も高く、約6,000円〜2万円程度に設定されています。
このため、緊急避妊薬がもっと手軽に薬局などで安価で買えるようにしてほしいという女性からの要望は多く、様々な市民活動も行われています。
それにこたえる形で、最近、内閣府による会合で、緊急避妊薬を医師の処方箋なしで、薬局で販売可能とするよう検討されることが報じられました。けれども、それに対して、日本産婦人科医会の木下会長は、性教育が不十分であることや女性の知識不足を指摘し、避妊に必要なのは本来1錠だが何錠も買う可能性があり得るとして、反対意見を表明しています。
これに関しても、前述の経口中絶薬導入に反対した時と同様に「女性には知識が足りないため指導が必要である」という、父権的な姿勢が感じられます。妊娠や緊急避妊、中絶に伴うさまざまな心身のリスクや精神的葛藤を差し置いて、安易な妊娠を繰り返す女性など、ほとんどいないでしょう。
また、緊急避妊薬は性行為後すぐに服用した方がいいため、WHOは1回分だけでなく、事前に多めに受け取って、手元に持っておくことを推奨しています。「女性が何錠も買って悪用する」などという考えがいかに見当違いかがわかります。
この件についても、避妊薬が安易に薬局で買えるようになっては、産婦人科医の仕事が減るという理由があるのではという声もあります。
イギリスの避妊事情
イギリスではピルが日本より約40年早い1961年に医薬品として承認され、国の制度も支援策も整備されてきました。ピル、子宮内避妊具、インプラント、避妊注射や避妊パッチなど、ありとあらゆる避妊法がすべて無料で提供されています。
去年からは新型コロナウイルスの影響で医療機関がひっ迫したこともあり、現在は一部のピルを処方箋なしで薬局で購入できるように規制が緩和されました。
このように、イギリスでは女性が主体的に自分の体をコントロールすることが重要な人権として認められており、そのための制度やサービスが充実しています。女性にとって妊娠や出産は人生を大きく変えてしまう一大事であり、そのための決断は個々に委ねられるべきで、選択肢も提供されるべきだという考えが浸透しているのです。
けれども、イギリスも昔からこうだったわけでなく、半世紀にわたる政府や関連機関の取り組みによって今の状況があるのです。
妊娠するのが男性だったら?
イギリスではキリスト教的な道徳観もあいまって、1950年代頃までは社会はかなり保守的でした。女性は若くして結婚し専業主婦となり、結婚前の性交渉もみだらと言われたものです。それが変わってきたのは「スウィンギング・シックスティーズ」と呼ばれた1960年代です。
特に60年代後半になると、ヒッピーと呼ばれた若者が「セックス、ドラッグ&ロックンロール」文化の旗手となりました。ビートルズやストーンズに代表されるロックミュージック、アート、ファッション。この頃避妊薬の販売が始まったこともあり、フリーセックスや性の解放も叫ばれました。
その影響もあって、若い女性の妊娠や「未婚の母」が社会問題化し始め、「大人」や政府は自由奔放にふるまう若者を何とか収めようとしたのです。
その一環として、未婚の若者の望まない妊娠を避けるための対策も導入されました。
イギリス政府は家族計画協会(Family Planning Association)を中心としてさまざまな啓蒙活動を行ったのですが、その一つに1970年に街角に貼られたポスターがありました。
それは、若い男性が大きなおなかを抱え、心配そうな顔をしてこちらを見ている写真で、こんな言葉が書いてあります。
もし妊娠したのがあなただったら、もっと気を付けますか?
Would you be more careful if it was you that got pregnant?
そして、避妊について家族計画サービスのアドヴァイスを受けるように推奨しています。
避妊は避けられない現実です。
結婚していても、独身でも、誰でもかかりつけ医師や家族計画クリニックで避妊についてのアドヴァイスを無料で受けられます。
最寄りのクリニックを電話帳で見つけることができます。
1970年当時、まだ保守的なイギリス社会で、このポスターはかなりショッキングなものでした。これが政府の啓蒙ポスターとして適切であるかどうかが国会で問われたほどです。
モデルになった男性にしても、親が経験なカトリック教徒なので匿名にしてくれと希望したそうですが、ポスターの反響があまりに大きかったので身バレしてしまったとのことです。
こういうポスターを使ったのは、避妊について啓蒙活動をするにあたり、女性だけでなく男性にも自分ごととしてとらえてもらいたいという理由でした。写真がセンセーショナルであっただけに話題になって、その効果は抜群でした。
このおかげで、避妊問題が女性だけでなく男性の問題でもあることがイギリス社会で広く認識されるようになったのです。
それからも女性が自分の体について主体的に決めることができる「プロ・チョイス」(選択できる)考え方が主流となり、避妊や家族計画に対する制度や支援も少しずつ進んでいきました。
今では女性一人一人が自ら、子供を持つかどうかや妊娠出産の時期を選ぶことは不可欠な権利であるし、その環境を整備するのは個人ではなく社会全体の問題であるという理解が浸透し、避妊の責任を女性だけに押し付けるのではなく、男性も社会も引き受け、そのために政府や医療機関が十分な支援を提供することが当然となっています。
性と生殖に関する健康と権利(SRHR)
このような、女性が妊娠や出産に関して自分の体について主体的に決めることができる権利を、国連では「Sexual Reproductive Health Rights (セクシュアル・リプロダクティブ・ヘルス・ライツ=SRHR)」として推奨しています。日本語にすると「性と生殖に関する健康と権利」という意味で、女性が出産の是非や時期、何人子どもを持つかなどを自分で決め、自分の体の健康を守る権利のことです。
国連はこのSRHRの権利を世界中のすべての女性に提供することに取り組んでいます。実は日本人が途上国だと思っている国も、国連ほか先進国からの支援もあり、避妊などの分野ではかなり進んでいます。前述の「世界の避妊事情」の表を見ると、先進国も途上国も含めた世界平均のデータを見ても、日本がいかに遅れているかが見て取れます。
女性の性と生殖に関する権利の領域で日本が途上国だということは、156か国中120位というジェンダーギャップ指数の表れともいえます。社会における女性の地位が低いため、女性が背負わなければならない課題への関心が低く、長年にわたって女性の権利がないがしろにされてきているためです。
この背景には、性についてタブー視し、子供や若者に適切な性教育をせず、避妊の知識やチャンスを与えない状況や、女性や子供を過度に性的消費したり、心身の虐待やDVを軽視する社会といった影の部分も見え隠れします。
日本でも避妊や中絶を女性だけの自己責任とせず、男性も含め社会全体で考えることが必要です。そして、女性がさまざまな避妊・中絶方法を主体的に選んで安価に利用できるよう、先進国並みに制度やサービスを整えることはすぐにでも実現すべき課題です。
もし男性が妊娠する身体であったら、こういう問題はあっという間に解決することでしょう。 そういえば、バイアグラは1999年に半年という異例のスピードで承認されましたよね。