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アグネス・チャン叙勲ユニセフ親善大使子供のための活動で

1972年にデビューした歌手のアグネス・チャンが春の叙勲で旭日小綬賞を受賞しました。アグネス・チャンは日本ユニセフの親善大使、ユニセフ東アジア太平洋地域親善大使として募金活動や広報活動に取り組んできており、その功績を認められたのです。香港出身の歌手アグネス・チャンはどのような経歴なのか、ユニセフでの業績、若いころの様子や家族などについてご紹介します。


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アグネス・チャンのプロフィール

名前:アグネス・チャン(本名:陳美齡・Agnes Meiling Kaneko Chan)
生年月日:1955年8月20日(62歳)
出身地:香港
祖籍:中国広東省東莞市
職業:歌手、タレント、エッセイスト、教育学博士
配偶者:金子力
子ども:3男(和平、昇平、協平)
出身校:メリーマウント中学(香港)トロント大学、スタンフォード大学博士課程
身長:153cm
血液型:AB型
公式サイト:http://www.agneschan.gr.jp/

アグネス・チャンは香港生まれで、中学高校まで香港で暮らしていました。1971年に姉とレコードを発表したほか、72年に香港で映画やテレビ番組に出演していた時、日本に紹介されました。1972年、17歳の時「ひなげしの花」で日本で歌手としてデビュー。「おっかのうえ、ひーなげしーのはーながー」と、たどたどしい日本語で歌う姿が受けて人気アイドルになり、その後もヒット曲を重ね、NHK紅白歌合戦にも何度も出場。

1974年上智大学国際学部に入学したあと、1976年には芸能活動を休んでカナダのトロント大学へ留学し、社会児童心理学を学びました。1978年に同大学を卒業してからまた日本で芸能界に復帰したほか、香港や中国でも活動を開始。ボランティア活動にも取り組み始めました。

1986年元マネージャーと結婚し、1987年に長男を出産。その後、1989年にアメリカのスタンフォード大学教育学部博士課程に留学して、現地で次男を出産。その後も歌手業を続けるほか、親子ファッションブランドを立ち上げたり、大学で教えたり、作家活動、講演活動をおこなうなどしています。1996年には香港にて3男を出産。

3人の子どもたちはそれぞれカナダ、アメリカ、中国と別々の国籍を持つという国際色豊かな家族。3人の子どもはみなアグネスの母校であるスタンフォード大学で学んでいます。アグネスは多忙にもかかわらず子育てには熱心で、仕事場に子どもを連れていったことからアグネス論争と言われる騒ぎが起こったことでも有名です。

この論争についてはアグネスは今回の受賞報告の場でも触れています。現在の働く女性の状況について意識は進んだと思うが、それに現実が追い付いていない。働きたいのに職場の理解が得られないなどまだ改善できる余地があると語っています。

2006年に香港で唾液腺腫瘍の摘出手術を受け、2007年には初期の乳がんが発見され摘出手術を受けました。2008年9月には日本がん協会のほほえみ大使に就任して、自らの乳がん体験から、ピンクリボン運動などに参加しました。

ユニセフでの活動

アグネス・チャンは1998年に財団法人日本ユニセフ協会の国内大使に就任しました。就任後は毎年ユニセフの現場に足を運びました。これまでタイ、フィリピン、南スーダン、東西ティモール、カンボジア、イラク、スーダン、インド、中国、イスラエル、ソマリア、ブータンなど18ケ国を公式訪問。現地の子どもたちの生活を視察して、報道機関への働きかけなどを通じて、子供たちの権利の推進や子どもたちの窮状、人道問題などを訴える活動を続けてきました。

また、2009年にはユニセフ本部による報告書『子供たちのための前進』の世界発表。
2011年と2014年にはユニセフ事務局長の東日本大震災被災地訪問に同行し、子供の視点での防災を訴えるユニセフ本部の取り組みをサポートしました。
2011年にはユニセフ本部の要請で、ジュネーブで開催された第3回防災グローバル・プラットフォーム会合で講演。2014年には仙台で開催された第3回国連防災世界会議パブリックフォーラムでコーディネーター役を務めました。

東日本大震災緊急募金へ個人として1,000万円の寄付をしているほか、毎年ユニセフに寄付を続けています。

2016年には国連の国際連合児童基金(ユニセフ/UNICEF)の東アジア太平洋地域親善大使(UNICEF Regional Ambassador for East Asia and the Pacific Region)に任命されました。任命にあたり、ユニセフ東アジア太平洋地域事務所代表のトゥール氏は語っています。

アグネス・チャンは日本ユニセフ協会大使として、子供たちの権利の推進、子供たちが置かれている様々な状況の改善を訴えてこられました。

アジア親善大使として、このアジア地域のみならず世界中の子どもたちが置かれている状況の改善に向けたユニセフの取り組みを、日本国内のみならず、より多くの国や地域でささえてくださることでしょう。

就任後の2016年にはフィジー共和国でサイクロン被災地の子どもたちやグアテマラの栄養不良で苦しんでいる子供たちを訪問。2017年には内戦が続くシリアからの難民を受け入れているヨルダン、レバノン、トルコを訪問しています。

著述活動、息子との共著も

アグネス・チャンは『わたしが愛する日本』などの著書も出版しています。著作を通じて日本の平和を目指す言論活動を行ってきました。

最近では31歳になる長男である金子アーサー和平との初の共著「子育てで絶対やってはいけない35のこと」を三笠書房から発売しました。アグネスの次男、三男と共に長男は米スタンフォード大学を卒業後、米不動産系ベンチャー企業のCEOを務めていて投資家としても活動しています。

この著作では「自分の子どもを他人と比べないことが大切。
親は短所も長所もすべて受け止めてあげることが重要。」と言っています。

書籍の発売記念イベントの席で、アグネスは金子和平が昨年秋に結婚したことを明かしました。相手は家族が台湾出身の米国籍の31歳の一般人で米国に住んでいます。

「元気で優しく、料理が大好きな素晴らしい人」とアグネスはお気に入りの様子。そして
「将来おばあちゃんになって、孫の面倒を見るのが楽しみ。」
でも本人たちにそういうとプレッシャーになってしまうので言わないのだとか。

また、共著した本については「私が7割がた書いたので印税も私が7割もらいます。」ということ。

旭日小綬章父の墓前で報告

この度の旭日小綬章(外国人叙勲)について、アグネス・チャンは5月10日に記者会見を行い、

「信じられない夢のような話。身に余る光栄です。」と喜びを表しました。

また、「受賞は私の受賞ではなく、同じ方向を向いている皆さんと一緒に受賞したと思っています。」と語っています。

受賞については、故郷である香港に行き、1977年に亡くなった父の墓前にも報告したと涙をうかべながら語りました。

「日本に来る時に反対していた父ですが、受賞によって日本に来たことを喜んでくれていると思います。親孝行できたと思います。」と述べています。

まとめ

香港から来たばかりの初々しい17歳の女の子が40年たった今、歌手やタレント業としての多忙な毎日のかたわら子供を3人育て上げ、その上に博士号を取得し、ユニセフの活動も精力的に行うという女性に成長したのは目を見張るものがあります。

30年前のアグネス論争では職場に子どもを連れて行ったことで非難され、その後も講演に法外な謝礼金を要求したとか、日本に長く住むのに今だに日本語が上達しないとか、いろいろとたたかれることも多いアグネスですが、今回の旭日小綬章受賞はこれまでの業績が認められた証で本人もさぞうれしかったことと思います。


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