アグネス・チャンの子育てと熊本市議会の子連れ出勤比較

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熊本市議会議員の緒方夕佳氏が生後7ヶ月の子供を連れて市議会本部に出席しようとし、子連れ出勤の是非や社会の子供と働く親への寛容性をめぐって議論がおきています。これを聞いて、30年前にあった「アグネス論争」のことを思い出しました。アグネス・チャンの子連れ出勤をめぐって、林真理子、中野翠、上野千鶴子といった著名人の論争がおきたのですが、若い方はご存知ないでしょうから紹介します。

アグネス論争とは?

アグネス・チャンはその当時、人気歌手でありタレントでした。1986年に長男を出産し、翌年に仕事を再開しましたが、母乳育児を続けたいとの理由から、テレビ番組出演時の楽屋に子供を連れてきました。この行動に、はじめ和田アキ子、淡谷のり子と言った女性芸能人が「周りが迷惑する」と批判しました。

その後、「サンデー毎日」で連載をしていた女性コラムニストの中野翠が「仕事の場に子供を連れて行くというのは一緒に仕事をする人たちにとって迷惑でしかない。」と批判しました。彼女は「私は、そばにいあわせて、タバコを吸えず、『かわいい』のひとこともいわなければならないテレビ関係者の人たちに同情した」と書いています。

また、中野翠とも親しい作家、林真理子も「いい加減にしてよアグネス」という批判記事を書きました。彼女も中野翠と同じような意見で、「他人の子どもというものに、すべての人が愛情や好意を持ちはしないというところから『迷惑』や『社会生活』という議論はスタートするのだ」と言っています。

その時はどちらかというと多くの人が「職場に子供を連れて行くなんてプロフェッショナルではない」という2人の意見に賛成していたように思いますが、一方で「女をいじめる女たち」として否定的な意見も出ました。その頃独身でばりばり仕事をし、直木賞を受賞していた林真理子、雑誌「サンデー毎日」でコラムを連載していた中野翠という独身のキャリアウーマンが、子供を持つ母親であるアグネス・チャンをいじめているといった図式です。アグネス・チャン自身はそういう意見に対して声をあらげて反論するということもなく、この件はそれだけで終わるかと思いました。

そのときに、女性フェミニストの大御所、社会学者の上野千鶴子が発言したことでこの論争は炎上したのです。中野翠と林真理子のどちらかというと主観的な意見に反して、彼女は学者らしい論理的な主張で「職場のルールというのは男性社会が一方的に作ったもの。働く女性は子連れ出勤しないと働き続けることができないという現実を考えるべき」と反論しました。アグネス・チャンは恵まれた環境で働く特殊なケースであるにもかかわらず、それを承知の上で、上野千鶴子はこのケースを利用して、子供を持つ働く女性が日本社会でどのような問題に直面しているのか、ひいては女性が男性優位の社会でどんなに不公平な立場にいるのかというフェミニズム論点に世の関心をひこうとしたのだと思います。

その後も様々な人がこの件について論争を重ね、1988年末に「アグネス論争」は日本新語・流行語大賞の大衆賞を受賞するまでにいたりました。

アグネス論争に関わった人たち

この論争に関わった主な人たちはどういう人で、どんな立場から意見を言っていたのでしょうか。

アグネス・チャン (1955年生まれ、当時32歳)

アグネス・チャンは香港生まれで、中学高校まで香港で暮らしていました。1971年に姉とレコードを発表したほか、72年に香港で映画やテレビ番組に出演していた時、日本に紹介されました。1972年、17歳の時「ひなげしの花」で日本で歌手としてデビュー。「おっかのうえ、ひーなげしーのはーながー」と、たどたどしい日本語で歌う姿が受けて人気アイドルになり、その後もヒット曲を重ね、NHK紅白歌合戦にも何度も出場。

1974年上智大学国際学部に入学したあと、1976年には芸能活動を休んでカナダのトロント大学へ留学し、社会児童心理学を学びました。1978年に同大学を卒業してからまた日本で芸能界に復帰したほか、香港や中国でも活動を開始。ボランティア活動にも取り組み始めました。

1986年元マネージャーと結婚し、1987年に長男を出産。この翌年にアグネス論争がおきたのです。その後、1989年にアメリカのスタンフォード大学教育学部博士課程に留学して、現地で次男を出産。その後も歌手業を続けるほか、親子ファッションブランドを立ち上げたり、大学で教えたり、作家活動、講演活動をおこなうなどしています。1996年には香港にて3男を出産。また、1998年には初代日本ユニセフ協会大使に就任、世界各地の児童買春問題や児童労働問題などに取り組みました。その後も広く広報活動や募金活動に取り組み、2016年にUNICEF 国際連合児童基金の東アジア太平洋地域親善大使に任命されています。

中野翠 (1946年生まれ、当時41歳独身)

早稲田大学を卒業後、読売新聞社編集部でのアルバイト、主婦の友社勤務を経て文筆業を始め、1984年「ウテナさん、祝電です」を出版。1985年から週刊誌「サンデー毎日」にコラム連載を開始し、これまでずっと書き続けています。30年以上続いたコラムの現在のタイトルは「満月雑記帳」。社会時評や、事件、政治、映画、落語の批評など多岐にわたるジャンルで、他人を意識せず自分が面白いと感じたことを飄々とした文章で綴っています。

私はイギリス暮らしが長くなり、日本で起きたことをほとんど知らなかったため、日本に帰国するたびに彼女のコラムをまとめた本を買い、1年遅れで日本社会や出来事にキャッチアップするために読んでいました。彼女の「我が道を行く」考え方や、偽善的なところやウエットな浪花節的根性が感じられないところ、その反面時折お茶目なところがうかがえる点が気に入っていたのです。最近はインターネットが普及して日本のニュースが時差なしで手に入るようになったので、たまにしか読んでいませんでした。これも時代の流れですね。

昔から、シンプルで知的なファッションで見をつつみ、派手な言動はしないし、テレビなどにも出演しません。お金儲けにも関心がないように見受けられ、都会でクールに生きる知的な女性というイメージのまま、年をとっていったような感じがします。中野翠は林真理子とは仲が良かったそうですが、性格や趣味、価値観は対照的であるように思えます。

林真理子 (1954年生まれ、当時34歳独身)

コピーライターとして注目され始めた28歳の時、1982年に書いたエッセイ集「ルンルンを買っておうちに帰ろう」がベストセラーになりました。小説を書き始め1986年に直木賞を受賞、その後も作家活動を続け、今にいたります。処女作の「ルンルンを買っておうちに帰ろう」は、「他の女性が書く『キレイキレイエッセイ』をぶっこわし、『ヒガミ、ネタミ、ソネミ』を『言葉の女子プロレスラー』となって書く」と宣言。身も蓋もない、若い女性の本音を代弁したことで話題になりました。私は本が出て数年経ってから読んだのですが、「そこまでいうか」とびっくりしたと同時に、その正直さに一種、尊敬の念もいだきました。

「ブスでデブでバカでのろまでモテない自分」という劣等感から来る自虐性、女性なら(人には言わないけど)誰でも持っている俗っぽさや自己愛、ひそかに「今にみてろよ」とたぎる感情など、美貌や才能や生まれに自信がある一部の人をのぞいて多くの女性に共感を生んだのでは。「えっ、ハヤシマリコ、あの人はちょっとねー」と馬鹿にするふりをしながらも気になって彼女のエッセイや週刊誌の連載記事などを読んでいた女性は多いと思います。私もそうでしたから。

彼女は自分の欲望にも正直でした。バブル世代ということもあり、ブランド品を身につけ、自分の上昇志向のためにはお金を使うのをちっとも厭わないといったふうに、ヘアメイク、マッサージ、ダイエット、歯の矯正などに投資して、垢抜けたようにきれいになりました。そして、結婚願望を隠さず告白していた通り、36歳で一般のエリート社員の男性と見合い結婚。また、不妊治療ののち、44歳で高齢出産という、いわゆる「女の成功」をすべて手に入れたかのようにみえました。自意識過剰で、俗っぽく「品がない」と嫌われることも多い彼女ですが、年をとるにつれてけっこう保守的で常識がある面をみせています。

アグネス論争から10年後に自分も子供を持ったわけですが、自分やご主人のことはしょっちゅうエッセイなどに書くのに、子供のことには(私の知る限り)一切触れないというところで、彼女なりのこだわりを貫き通しているように思えます。

上野千鶴子(1948年生まれ、当時39歳独身)

京都大学で社会学を専攻、博士課程に進み、退学後シンクタンクで働いたのち、マルクス主義フェミニズムを知りその研究者となりました。日本のウーマンリブ運動の研究のほか、フェミニズム、社会心理学、消費社会論、文化人類学など多岐にわたる部門で著作や講演活動をおこなってきました。1979年からは平安女学院短期大学の講師となり、その後助教授、京都精華大学助教授、教授となり、1993年から東京大学助教授、のち教授となり2011年まで東京大学大学院で指導。

著作や大学での指導以外にも、様々な分野で積極的に講演や活動を行い、その頭脳明晰さと論理的な展開と歯に衣着せぬ発言で、どんな相手をも論破する手腕で知られていました。アカデミズムや著作だけに没頭するのでなく、しばしば社会に戦略的な発信をして名を広めましたが、アグネス論争もその一つと言えます。当時男性に限らず女性にも敬遠されがちだった「フェミニズム」を、世間にマーケティングする絶好の機会と捉えたのではないでしょうか。そして、アグネス論争があれだけ炎上したことで、その狙いは当たったといえます。

アグネス論争が起こった1986年というと、男女雇用機会均等法が施行された年です。雇用の分野(採用、配置、昇進、待遇、教育訓練など)で男女間の差別を撤廃するとした法律ですが、上野千鶴子はこの法律は時代遅れの男性社会のルールに女性労働者を無理やり当てはめようとしたと批評しています。子供を産み育てる女性にとって、男並みの働き方を強いるやり方だと不利になるわけで、これまでの男性優位の働き方そのものを変えなくてはならないと主張していた彼女は、アグネス論争を利用してこの考えを世に訴えようとしたのでしょう。

そして、その結果はどうだったでしょうか。30年たった今、男性が子育てや家事、老齢の親の介護といった家庭の義務分担をになうことなく、長時間働く従来の働き方が変わったでしょうか。男性と女性が共に家庭のケア業務をシェアし、そのために必要な時間が確保できる雇用の形態をともに享受できるようになったでしょうか。

上野千鶴子は何処かで「私は女性が働きたい、子供をもちたいと思う社会を作るために努力をしてきたが、結局社会は変わらなかった、自分の力が足りなかった。」と反省していました。最近、彼女がフェミニズムに距離をおき、2007年ベストセラーになった「おひとりさまの老後」に代表される高齢者や介護問題を研究の対象にするようになったのも、彼女が潔く負けを認めた結果かと思うと、多少残念な気がします。

アグネス論争から30年

あれからちょうど30年も経ったのだということ、そしてその間、日本で子供を持って働く女性の環境がちっとも変わっていないようだということに、今更ながら驚きます。子育てというものは少子化の今、多くの人にとって一過性のものであり、喉元すぎれば熱さ忘れるところがあるのでなかなか持続的な運動にならないのでしょうか。行政や社会は持続的に働き続けなければ、その制度や慣習を変えることは難しいでしょう。

今回、熊本市の緒方夕佳市議が市議会に子供連れで出席することで、子育てと仕事の両立に悩む母親たちの代弁をしようとしました。それに対して議長や同僚など、周りの男性は何の理解も示そうとしていないように見受けられます。この論争に関する意見や感想を読んでみましたが、「赤ちゃんが泣いたら議会に支障をきたす」「市民の代表としての意識にかける」「赤ちゃんがかわいそうだ」「パフォーマンスは迷惑だ」など、否定的なコメントが多いのに驚きました。もちろん私は当事者ではないので詳細はわかりませんが、私が得た情報を読んだ限りでは、緒方市議はそういうことはすべて承知の上、それでも働く母親の代表としてこのような行動をとることで、事態をより良くするきっかけになればと思ってしたように見受けられます。パフォーマンスといえばもちろんそうですが、30年たってもちっとも変わらない社会を変えるためには、多少のパフォーマンスが必要でしょう。じゃないと無視されるのがオチです。

歴史を振り返っても、これまで民主主義が台頭したのも、黒人差別が(制度としては)撤廃されたのも、婦人参政権が与えられたのも、かつて勇気ある人々がパフォーマンスをしたからです。それによって投獄されたり、多くの血を流すような行動を伴って来た数々の運動のことを考えれば、議会で赤ちゃんが泣くくらいのこと、屁でもないはずです。ましてや、国会中継で野次を飛ばす議員を見るのに慣れている日本人には、赤ちゃんの泣き声なんてかわいいもんだという程度じゃないんでしょうか。

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