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カズオ・イシグロ インタビュー「小説家になったのは内なる日本の記憶を書きとめるため」

Kazuo Ishiguro

2015年3月、カナダ トロント図書館で行われた、カズオイシグロの朗読と、ジャーナリスト、ティナ・シュレボニアックによるインタビュー。

カズオイシグロが「小説を書くようになったきっかけは日本に大きく関係がある」と話しています。


When I go to Japan, I feel intensely British.  I turn into Hugh Grant when I am in Japan.

これはビデオの一番最初に紹介されたカズオ・イシグロの言葉。日本に行くと、自分がイギリス人だと感じると言っています。「日本にいるときはヒュー・グラント」のようになるといって笑いを誘っています。

このビデオでは、簡単な紹介のあと、イシグロ氏が新作の「忘れられた巨人」 Buried Giants を朗読、そのあとジャーナリスト、ティナ・シュレボニアックや聴衆の質問に答えています。

Contents

朗読 Buried Giants

4:45~

カズオイシグロが自作の「Buried Giants」の最初の3ページを朗読

下記はインタビューから抽出した部分の日本語訳で、セクションに分け、参考までにビデオのおよその時間を記しました。

Buried Giants 「忘れられた巨人」 の設定

11:20~

「忘れられた巨人」はファンタジーともいえる設定ですが、どうしてこの設定を選んだのですか。

はじめはどういう設定にするのかを決めていなかったんです。ある社会がその集合的な記憶について過去を忘れるべきなのかどうか決めかねている状況について書きたくて、そのテーマに合うセッティングということで考えた末にこの設定にすることにしました。

たとえば1990年代のユーゴスラビアや、ボスニア、ルワンダ、アパルトヘイトの後の南アフリカなどで、社会の共通の記憶、過去の暗い思い出を忘れるべきか、覚えておくべきか、と考えている状況。これからの平和のために過去の憎しみを忘れるべきかどうか。

忘れるにしても、記憶にとどめているにしてもどちらにも危険がひそんでいます。あまりにも暗い記憶は忘れたほうがいいときもあるでしょう。たとえば、アパルトヘイトのあとの南アフリカなどは、そのあたりがバランスよくいったと思いました。

イシグロ作品のテーマである「記憶」

19:25~

あなたの作品には記憶をテーマにしているものが多いですが、どうしてですか?

私はずっとミュージシャンになりたいと思っていて、小説家になるとは思っていなかったんです。小さいころから、本を読むのもそんなに好きなほうではなかったし。

これは、自分でもあとでで気が付いたことですが、そもそも小説家になったのは自分の内なる日本の記憶を書きとめたかったことから始まったのです。

22歳のころ、5歳まですごした「ジャパン」がどのようなところであったのかということを考えました。

私には長崎にいたころの断片的な記憶があります。お気に入りのおもちゃ、幼稚園、祖父母のこと、読んでいた漫画など、鮮明に覚えていたんです。

その「私のジャパン」はもう存在しないし、もしかすると、最初から実在しなかったのかもしれません。そんな「ジャパン」を自分が忘れる前に書きとめておきたかったんです。自分の記憶から消え去る前に。

著作のペース

26:00~

どうして今回の本を出版するのに10年もかかったんですか。

10年もかかったって?でも、私としては、そんなにかかったとは思わなかったんです。忙しかったから。その間に、短編も書いたり、自分の本の映画化にもかかわったし。

私は本を書くのにすごく時間がかかるし、書くのは孤独な作業でほかのこと、出版業界とか読者のこととかは考えないんです。

なので、そんなに長い間、読者を待たせていたとは思いませんでした。待ってていただいたと聞いて光栄に思いますが。

「忘れられた巨人」

28:30~

今度の小説は今までとは違って、ファンタジーで、ドラゴンや鬼や小人が出てきますね?

私がナイーブなのかもしれませんが、どうしてみんながこの本にドラゴンや小人が出るからって、そんなに不思議がるのかわからないんです。私はただ、この小説が自然に流れるように書いただけなんです、それでドラゴンや小人が出るのは私には自然なだけで。別にそんなに取りざたされるような事だとは思わなかったので、驚きました。

彼らは大役ではなく、エキストラですよ。ギャラをたくさん払ったわけじゃないんです。でもそんなに彼らに偏見を持つ人がいるんなら、僕は彼らの味方をしたい!

日本にはいつ行きましたか

33:35~

5歳のときに日本からイギリスに移住したということですが、その後初めて日本に行ったのはいつですか。

実は、35歳になるまで日本に帰らなかったんです。ジャパン・ファウンデーションから招待を受けて、妻と2人で行きました。日本中、あちこちに連れて行ってもらいましたが、どこも「興味深い外国」という印象でした。

そして、長崎に行ったとき、自分が思っていた「ジャパン」とは長崎のことだったんだということがわかりました。長崎はエキゾチックな街で、日本のほかのところとは違った、風変わりなところがありました。

日本に行くと自分が生粋のイギリス人だと感じます。急にヒュー・グラントになってしまうんです。日本のマナーを期待されないための防御

影響を受けた作家

35:36

シャーロット・ブロンテに影響を受けたと聞きましたが。

「ジェーン・エア」などの作品で使われる、一人称の使い方について参考にしました。自分の作品にも真似して使ったといってもいいですね。誰も、気が付いていないようですけど。一人称で語っているのに、本当に重要なことを言わないところなど。

Buried Giants 「忘れられた巨人」とは

41:15~

聴衆のドラゴンや小人などの質問に答えて。

ドラゴンや小人などは大した役ではありません。大切なのは「忘れられた巨人」 です。私たちが何を忘れようとしているかということです。

この「忘れられた巨人」 は今でも、様々な国や社会に存在します。それぞれの社会の歴史のなかで、忘れ去ろうとしている記憶。

たとえば現在のアメリカの「忘れられた巨人」は人種差別の問題です。そういう、社会が共通の記憶として忘れ去ろうとしているものは他の国にもあります。たとえば、フランス人は第2次世界大戦中にフランスにいたユダヤを見殺しにしたことを今だに話したがりません。

私の生まれた日本でも、第二次世界大戦のことを忘れ去ってしまっています。自分たちの国が侵略したことをしたことを忘れていて、そのせいで今でも中国、極東アジア諸国との関係がぎくしゃくしています。

イギリスもそうです。大英帝国をどのようにして作り上げ、維持したか、そして撤退した末に今の中東問題があるということ。

自分の映画の脚本について

45:14

脚本家でもあるのに、どうして映画の脚本を書かなかったのですか。

映画は本の翻訳とは違います。映画は映画としての独立した作品であるべきだと思うので、小説家はあまり関与しないほうがいいと思ったんです。

 

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