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ラオディキアはパムッカレからすぐ。現在進行形で復元中の遺跡を観光できるおすすめスポット

Laodikeia

世界遺産として有名な石灰棚パムッカレとヒエラポリス遺跡には多くの人が訪れますが、そこからわずか15キロくらいのところにあるラオディキア遺跡はあまり知られていません。けれども、パムッカレ・ヒエラポリスと共通の入場券を購入できるので、ぜひ訪れてほしいところです。というのも、ラオディキアは聖書にも載っている古代都市であるだけでなく、最近本格的な発掘、復元、考古学研究が急ピッチで進められているところなので現在進行形で復元されつつある遺跡の様子を見て取ることができるからです。

Contents

ラオディキア(ラオデキヤ)Laodicea (Laodikya, Laodikeia)




オープン時間:8時から18時45分まで(10月から3月は17時まで)

ラオディキア遺跡、石灰棚、ヒエラポリス遺跡、博物館、共通入場料:72TL で3日間有効

トイレ、カフェ、ショップあり

(2019年夏現在:1TL トルコリラ=約19円)

パムッカレからラオディキアへの行き方

パムッカレ石灰棚とヒエラポリス遺跡への行き方、観光情報、おすすめレストラン

私たちはパムッカレのホテルに泊まっていたので、そこから日帰りで往復しました。朝9時に出てランチタイムの13時に戻ることができました。

パムッカレからデニズリ行きローカルミニバスに乗って10数分です。バスは片道で4または4.5TL。乗ったらラオディキアまたは動物病院でとめてくださいと頼みます。

バスを降りたら右側に動物病院がある道の手前にある上り坂を10分くらい歩くとラオディキア遺跡の入り口があります。

帰りは同じ道をたどって主要道路に出て反対側で待っているとパムッカレ行きのミニバスが来るので手を挙げて止まってもらいます。バス停などはなく日陰がない炎天下で待つ羽目になりますが、15分おきくらいにバスが走っています。

デニズリとパムッカレの間にあるので、どちらかから移動するときに立ち寄ることも可能です。ただ、重い荷物がある場合は遺跡の入り口まで上り坂を10分歩くのがきついかもしれません。

ラオディキアは聖書に出てくる古代都市

ラオディキア(ラオデキヤ)は聖書にもその名前が出てくる由緒ある都市でその歴史は紀元前5500年にさかのぼります。初期キリスト教における7つの主要教会の一つとして知られています。

この辺りは地震が多い地域で、紀元27年、さらに60年に起こった地震でラオディキアの街は壊滅してしまいました。その頃皇帝ネロが再建の資金援助を申し出ましたが、ラオディキアの住民はそれを断って自分たちで街を再建したということです。

ローマ時代に商業が発展し自由都市として繁栄したラオディキアの最盛期は紀元1~6世紀です。スポーツ、芸術、哲学などの分野ですぐれた人材を生み出しています。さらに1世紀ごろからは医療の中心地にもなり、医学学校もありました。また、毛織物、大理石、穀物などの貿易がさかんで交易の要所でもありました。遺跡内に発掘された建物の数々を見ると、この街がかつて栄華を誇っていただろうということがありありと分かります。

ラオディキアは494年に起きた大地震で壊滅状態になり、その後もアラブ人など外的の襲撃にあい、衰退していきました。13世紀の初めにはこの地域一帯はトルコ人によって征服され、ラオディキアの街は「ラディク」と改名されました。

現在進行形で発掘、復元されている遺跡

ラオディキアを遠くから見ると丘の上に白い柱が何本も、それに大きなクレーンが見えてきます。遺跡の中に入ると、工事中を思わせる仮の屋根やテント、クレーン車やトラック、スコップなどの器具を持った労働者もたくさん目につきます。ラオディキア遺跡の本格的な発掘は最近始まったばかりで、その発掘、復元工事は今まさに進んでいる途中なのです。

ラオディキアは長く放置されていたのですが、その発掘が本格的に始まると土の下からお宝が次々に出てきています。それで「第2のエフェソス」にするべく、発掘と考古学研究、復元工事のピッチが進んでいるようです。

そういうことなので、ここが一般に注目されるようになったのはつい最近のことです。それで、この遺跡の説明書を読んでもすでに情報が古くなっていることもあります。数年前の情報によるとまだ公開されていなかった教会が今は整備されて、今回はその内部に入ることができたという具合に。

このような現在進行形の遺跡発掘の様子を見ることができるのもまたとない機会です。これを書いているのは2019年の7月ですが、その後に行くとまた違う風景が見えるのでしょう。

シリア通り

遺跡の中に入るとまずシリア通りと呼ばれる幅の広い道があります。紀元84年から85年に作られた900メートルの長さの道には住居、店舗、アゴラ、神殿などが隣接していました。

ラオディキアはエフェソスからシリアに通じる幹線道路があった通商の要所だったので街の中央を東西に通るメインストリートがこういう名前になったのでしょう。

シリア通りの両側には屋根がついていて、夏の日差しや雨をよけることができたそうです。店舗の前にはテーブルと椅子が置いてあり、バックギャモンのようなゲームをしていたのだということです。石でできたテーブルと椅子に今でも座ることができます。

A神殿(Temple A)

シリア通りを進んでいくと、列柱が連なるA神殿があります。紀元2世紀にローマ皇帝をまつるために建てられた神殿には地下部分があり、貴金属などを貯蔵していました。今では地下部分が見えるようにガラスの床がはられていて、ガラス越しの足元にアーチや柱、彫刻がころがっているのを見ることができます。

ガラスの床を進んでいくと見晴らしのいいテラスとなっていて、山並みを背景にして広がる遺跡を眺めることができます。

アゴラ

112メートルの長さに及ぶ広大なアゴラ(広場、市場)にはコリントスタイルの列柱が何本も連なっています。ころがっていたものを現代の技術を使って最近になって復元したのでしょう。

途中にはいくつかの装飾をほどこされた入り口がつくられ、泉の神をまつるために噴水やプールを使って作られたニンファエウムなどがあります。

ラオディキア教会

 

大きな現代の保護用屋根の下には古い教会の建物が保存されていて、その内部に入って見学することができます。この建物は4世紀の初めに建てられた小アジア最古の教会であり、世界でも7番目に古い教会です。

教会内部にはガラスの床がはりめぐらされていて、床のモザイクなどを見ることができます。モザイクでできた床は保存状態がよく、絨毯のように美しく石をちりばめた装飾を堪能できました。

二つの劇場

ラオディキア遺跡の北側には古代劇場が二つもあります。古いほうの西劇場はヘレニズム時代に作られたものでこの観客席からはパムッカレの白い石灰棚が見えます。

街が大きくなると8000人収容の西劇場は小さくなってしまい、新たに大きい北劇場がつくられました。この劇場の観客席には12,000人が収容できたとされていますが、今では荒廃が進んでいてその全容はよくわかりません。それというのもこの劇場は大理石でできていたため、後年大理石を再利用するために採石され続けたのです。


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