令和初年5月1日に新天皇が即位ということで、日本はもちろん、海外でも新しい天皇がどんな人なのか、これからの天皇像というのはどういうものになるのかということが話題に上っています。新皇后となる雅子妃の話題も多くなってきており、心の病に苦しんできた雅子妃が皇后という責務につくことを心配する声も耳にしますが、その時に思い出すのがもう一人の「悩めるプリンセス」であったイギリスの故ダイアナ妃のことです。雅子妃とダイアナ妃には共通点があるのです。
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雅子妃とダイアナ妃は同世代
イギリスのチャールズ皇太子と結婚してウィリアム王子とハリー(ヘンリー)王子の母親となったダイアナ妃は1997年に突然の事故死で亡くなったのですが、生きていれば今年58歳です。ダイアナ妃は新天皇皇后より10年以上前に結婚したのですが、その当時20歳という若い花嫁でした。1961年生まれのダイアナ妃は1960年生まれの新天皇や1963年生まれの雅子妃とほぼ同世代なのです。ちなみにチャールズ皇太子は1948年生まれでダイアナ妃より12歳年上です。
雅子妃とダイアナ妃は世代は同じですが、その背景は全く異なります。2人の経歴を比べてみました。
名前 | 雅子(まさこ) | ダイアナ(Diana) |
旧姓 | 小和田(おわだ) | スペンサー(Spencer) |
生年月日 | 1963年12月9日(55歳) | 1961年7月1日 |
1997年8月31日没(36歳) | ||
出身地 | 東京都港区 | イングランド、ノーフォーク |
家族 | 父(小和田恆、外交官) 母(小和田優美子) 妹2人(礼子、節子) |
父(子爵のちに伯爵) 母(フランセス) 姉2人、弟 |
学歴 | ハーバード大学国際経済学 東京大学法学部学士入学(のち中退) オックスフォード大学(外務省研修留学) |
高校資格試験に2度失敗し進学を断念 スイスの花嫁学校中退 |
結婚前の職業 | 外交官(外務省経済局、北米局) | 保母などのアルバイト |
結婚 | 1993年6月9日(29歳)徳仁親王(浩宮) | 1981年7月24日(20歳)チャールズ皇太子 |
出産 | 2001年12月1日長女愛子(37歳) | 1982年6月21日長男ウィリアム(20歳) 1984年9月15日次男ヘンリー(23歳) |
身長 | 162~164㎝と発表されている | 178㎝ |
趣味 | テニス、スキー、ピアノ | ダンス、水泳、スキー |
特技 | 英語、ドイツ語、フランス語 | ダンス |
雅子妃とダイアナ妃の経歴の違い
ダイアナ妃が貴族の出身、雅子妃も外交官というエリート家庭の裕福な家庭出身です。雅子妃は外交官の父の仕事の関係で、幼いころからソ連、スイス、アメリカと外国で暮らしました。その後米国名門ハーバード大学を優秀な成績で卒業。日本に帰国してからは東京大学に学士入学するものの、外交官試験に合格して外務省に就職しました。その後キャリア外交官として働き、外務省から派遣されて英名門オックスフォード大学に留学という、ばりばりのキャリアウーマンだったのです。
それに対しダイアナ妃はイギリスのOレベルという高校資格試験に2度も失敗し進学をあきらめたほど学業が苦手でした。スイスの花嫁学校に数週間通ったのが最終学歴。その後は定職につかず、保母などのアルバイトをしていました。貴族の子女なので、周りもどこかいいところへお嫁に行けばいいと考えられていたのでしょう、そこをチャールズ皇太子(とその取り巻き)が見初めたというわけです。
ダイアナ妃の不幸
1981年にダイアナ妃がチャールズ皇太子と結婚した時、イギリス中がロイヤルウエディングに沸き、若く美しいプリンセスに夢中になったものですが、まだ世の中のこともよく知らない若い女の子が12歳も年上の皇太子と結婚し、イギリス王室の一員となるのは大変だったことでしょう。案の定、2人の「お世継ぎ」を次々に産んだのはいいものの、ダイアナ妃は夫婦間のみぞ、そしてその原因となった夫チャールズ皇太子の浮気について悩むことになったのです。
日本の皇室なら、こういうことがあってもプリンセスはじっと黙って耐えるものなのでしょうし、チャールズ皇太子だってそれを期待していたのかもしれません。けれども「うぶな」ダイアナ妃はそんなことはできませんでした。摂食障害をはじめとする心の病になり悩み抜いた末、1995年にチャールズ皇太子との不幸な結婚生活について公に公表したのです。これはイギリス王室にとって当時かなりセンセーショナルな事件でした。
誇らしい雅子妃とスキャンダラスなダイアナ妃
1995年というとちょうど浩宮と雅子妃の結婚が行われた頃です。そのとき元外交官である才能ある大人の女性が日本の新しいプリンセスになったということで私は現代日本人として誇らしい気がしたものです。そういう「新しい」女性を選んだプリンスにも好意を持ったし、この2人の結婚が近代的になっていく日本を象徴する出来事かのように見えたのです。それまでの「理想の妻であり母である」皇后が天皇の一歩後をしずしずとついていくといった日本の夫婦のあり方と異なり、それぞれ独立した考えや経験、キャリアのある男女が相互を尊敬しあい共に結婚生活を築いていくという時代の流れを表しているのだと。
それに対して、イギリスの王室は何てだらしがないのだろう。皇太子は人妻の恋人がいるのに、教育も人生経験もない一回り年下のきれいな若い女の子をお飾りと「世継ぎ」のために利用して結婚するし、プリンセスのほうは結婚生活が破綻したからと言って、テレビインタビューで暴露するなんてイギリス王室メンバーとして何て恥ずかしい行為だろうと。
外交官のキャリアをあきらめたくないので皇太子のプロポーズを何度も断った雅子妃が折れたのは、皇太子が「国際親善の仕事は皇室に入ってもできる。これまでの経験と才能を生かして一緒にやりませんか。」と説得したからだと言います。近年の反省すべき歴史を挽回して各国の理解を得るためにも、海外留学の経験がある若い皇太子夫妻が国際交流をしてくれたら国際的にも日本のステータスが上がるのではないかと私は期待していたのです。
スキャンダルの泥沼にいるイギリスの皇太子夫妻にはとてもできないことだよね、と日本人であることを誇らしく思う気持ちまでしました。
ダイアナ妃の成長
けれども、その後の展開は私が思ってもみなかった結果となりました。ダイアナ妃とチャールズ皇太子の仲は破局し、ついに離婚という形になってしまいましたが、ダイアナ妃はその後、1人でエイズや地雷、ハンセン病などのチャリティーのために幅広い活動をするようになりました。はじめはそのような活動を売名行為だと揶揄する人もいましたが、彼女の真摯な取り組みは次第にイギリスのみならず世界中の人望を集めるようになりました。特に誇れるような教育や経歴もなく何も知らない女の子として王室に嫁いだ彼女が自らの人生の苦悩を通して成長し、自分と同じように苦しむ人を助けたいと心から願う気持ちがみなの心を打ったのです。
ナイーブな女の子として王室に入ったことで苦しんだ彼女のことを同情する人も多かったし、自らの悩みに重ねて共感する人もいました。誰に教えられたわけでもないのに、弱い立場にいる人の心に寄り添う方法を直感的に知っているかのような彼女の行動に感動する人は少なくありませんでした。はじめはスキャンダラスなことをしてイギリス王室に恥をかかせたというように思う人もいたのですが、次第にとりつくろうことなく正直な感情を吐露する彼女に「お高く」とまる伝統的なイギリス王室メンバーより親近感を覚える人が多くなってきたのです。
そんなダイアナ妃が1997年に突然の交通事故死というショッキングな最期を迎えた時はイギリス中が悲しみにくれました。その国民感情をエリザベス女王が最初理解できなかったことは「ダイアナ妃 : イギリスが泣いた日 1997年8月31日」という記事に書きました。それは、かわりつつある現代社会で王室が国民に寄り添うとはどういうことかということを教えてくれる事件だったと思います。そしてそれに気がついた女王が、王室が、時代に合わせて変わっていこうとする姿勢もイギリス人は評価しました。
特別な地位に就くことのプレッシャーと心の病
王室や皇室に生まれ幼いころ頃からその自覚を持って育ってきたメンバーとは異なり、結婚前までは普通の国民として暮らしてきたプリンセスたちが結婚後特別な地位について様々な重圧を背負っていたであろうことは想像に難くありません。結婚後すぐに男児を2人出産した若いダイアナ妃にとって「お世継ぎ」プレッシャーはなくなったわけで、雅子妃と立場が逆だったらどんなによかったことかと思います。イギリスでは男でも女でも君主になれるのですから。
ダイアナ妃にはそれとは別の悩みがありました。夫の愛人との関係が実は結婚前からずっと続いていたということ、それにもかかわらず自分は世継ぎを産む皇太子妃という役目を負わされるために求婚されたのだということです。
雅子妃もダイアナ妃と同様に「適応障害」と発表された心の病に苦しみました。外交官としてのキャリアをあきらめ、窮屈な皇室に入り、皇太子妃として国際親善などの役目ができる思いきや「それよりも早くお世継ぎを」と期待されたプレッシャーは皇室や宮内庁だけではなく、メディアや一般国民からも感じられたでしょう。皇太子が「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」と発言せざるを得ないまでに。
時代がこれだけ変わってきて女性にも教育やキャリアを重要視するように言われ、現に一般社会では晩婚化どころか一生独身でいる人が増え、少子化が留まるところを知りません。皇室に嫁ぐ女性にだけ、これだけの「お世継ぎ」プレッシャーを負わせるような仕組みは考えるべきなのではないでしょうか。
第一、日本の皇室がこれまで長い間続いてきたのは天皇に側室がいて正妻以外との間に子供をもうけていたからです。過去400年間で側室の子どもでない天皇は3人しかいないのですから「男系男子」の世継ぎルールは側室なしでは難しいのです。明治天皇には5人の側室がいて、大正天皇も側室の子として産まれています。昭和天皇になってからやっと側室制度が廃止されたのです。側室制度を廃止したのに男系男子の世継ぎルールをそのままにするというのに無理があるのではないでしょうか。
昔に比べ医学が発達しているとはいえ、人間の体はそう簡単には変わりません。男系男子ルールを守るために、側室制度を復活したいという人がどれだけいるでしょうか。また、男子であれ女子であれ後を継ぐ人もさらに次の世継ぎ誕生のための結婚や出産のプレッシャーがかかるのでは、どちらにしても血筋が絶えるのは時間の問題と言う気がします。現在の皇室メンバーが付き合う相手があれだけ話題に上っているのを聞くと誰も皇室に関わりたいとは思わないだろうし、皇室メンバーの方々の基本的人権も守られません。
さらに言えば、皇室における女性の扱われ方は広く日本社会の女性の地位の低さを象徴しているともいえます。晩婚化や一生独身、少子化の傾向も「キャリアか子供か」を選ばなければならない女性が選んだ人生の結果であり、保守的な政治家や一般人が女性を「子供を産む機械」として扱う言動も珍しいわけではありません。
1世代以上前に皇太子妃の結婚で感じた「互いを尊重しあう新しいカップルの誕生」や「外交キャリアのある皇太子妃の国際親善」の期待はどこにいってしまったのでしょうか。この20~30年の間に外国では女性の地位が躍進したというのに、日本では逆に後退しているのではないでしょうか。それを象徴する雅子妃の数十年間のことを思うと残念でありません。
ダイアナ妃と会った雅子妃
ダイアナ妃は生前3回来日しています。最後の訪問はチャールズ皇太子と別居後の1995年2月で、福祉関係の仕事目的で単独で来日しました。
この時ダイアナ妃は公務の合間をぬって皇太子夫妻にも会いました。初対面だった雅子妃とダイアナ妃は示し合わせたようにブルーのスーツを着ていたそうです。
皇太子も交え雅子妃は得意の英語でダイアナ妃との会話を通訳なしで楽しみました。2人はオックスフォード大学時代のアルバムまで持ち寄って、イギリスについての思い出を話して盛り上がりました。その時3人はイギリスや日本での王族や皇族の在り方についてまで熱心に話し合ったそうです。
新しい皇室・王室の在り方
この時、3人は皇室・王室の在り方についてどのような意見をかわしたのかと想像してみました。ダイアナ妃は自分が大切に感じるチャリティー事業のために世界中を飛び回って活動することの大切さを語ったのではないでしょうか。また、王室の他のメンバーや側近、政治家など周りの意見を伺うことなく、自分が信じることをやり続けること、いつもいばって鎧をかぶるのではなく、ありのままの自分でいること、時には自己の弱さや悩みを認めてもいいということを皇太子夫妻に伝えたかもしれません。
これまで、皇太子夫妻として2人は公の場で自分の意見や要望を語ることが多くありませんでした。(皇太子の「雅子妃に対する人格否定」発言などは例外的で、よほどのことがあったからこそなのでしょう。)
これから2人が天皇皇后になることで、そういう機会が増えていくのではないかと期待しています。そしてこの2人なら、故ダイアナ妃がやってきたように、新しい皇室のあり方を模索していくのではないだろうかとも。
イギリス王室をはじめ、雅子妃も仲のいいオランダ王室、ほかにもスウエーデンやスペインなど海外の王室をお手本にしたら怖いものなしです。これらの王室メンバーを見ていると、時代が変わるにつれてますますオープンで「普通」の人間らしさを出してきているのが見て取れます。
たとえばイギリス王室のSNSのように、Twitterやインスタグラムでどんな公務を行っているかなどを国民に直接報告をするのもいいでしょう。イギリスではエリザベス女王だってツイッターで公務その他の報告をしているのです(もちろん、女王自らでなくスタッフがやっているのですが)。
インスタグラムといえば、ダイアナ妃の頃インスタがあったら、彼女のフォロワーは世界一だったのではないだろうかと推測します。今年4月に開設されたばかりのハリーとメーガンのインスタアカウントは開設から24時間後にフォロワー数を250万人にまで伸ばして世界記録を更新したそうだし。
また、新天皇皇后は自分たちが大切に思う分野でのチャリティ事業などに積極的に取り組むのもいいでしょう。さらに、ダイアナ妃やウィリアム王子、ハリー王子がしたように自らの悩みや過去の苦悩を一般国民にうちあけるということもあっていいと思います。「雲の上の人」と思っていた人たちも自分たちと同じような悩みがあるのだと思うことは、一般国民にとって共感と理解を産むでしょう。たとえば雅子妃が子供を産むプレッシャーで悩んだ経験は女性の多くが共感できることで、そのことについていつか語ることができたら、国民の理解と敬愛が深まるに違いありません。結婚するにあたってそれまでの生活やキャリアをあきらめなければなかった葛藤についても。
新天皇皇后が皇室に新しい風を
皇太子夫妻から天皇皇后となることで、海外経験もあり近代的、国際的な考えを備える2人がこれから日本の皇室をよりオープンで普遍的なものにしていってくれることを願います。妻を選ぶにあたって、ただ若く美しいお妃候補でなく、その人格や経験を尊敬できる女性を「一生お守りします」の言葉で口説き落とした天皇とその言葉を信じて自らの輝かしいキャリアや夢、海外旅行もできる「普通」の生活をあきらめた皇后です。そのような2人が協力したら、国際的にも理解され、尊敬される国家の象徴としての親善が可能であり日本という国の格好の親善大使となるにちがいありません。
皇太子夫妻であった今まではいろいろなプレッシャーがあり、天皇皇后や他の皇室メンバー、宮内庁との関係からくる制約もあったことでしょうが、これからは少しは自分たちのやり方でやっていくことができるのではないかと期待しています。
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