8月8日沖縄の翁長雄志(おなが・たけし)県知事がすい臓がんで亡くなりました。末期がんと闘いながら、最後まで沖縄のために公務を続けた翁長知事はまだ67歳でした。手術から3か月半、昏睡状態が伝えられてからわずか半日の訃報に各界の知名人が追悼の辞を発信しました。その中には、米国務省のものも。翁長知事はかつて米フォーブス誌で「日本で最も勇敢な男」と言われたことがあります。
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翁長知事死亡
翁長知事は今年4月にすい臓がんの手術を受け、5月15日にすい臓がんステージ2であることを公表しました。記者会見では「治療を受けながら公務復帰を目指す」と語っていました。
その後公務に復帰し、激やせしながらも仕事ををこなす様子にその健康状態を危惧する声があがっていました。7月末に病状が悪化して浦添市の浦添総合病院に再入院。8月8日夕方には沖縄県が記者会見を行い、翁長知事の意識が混濁しているとの理由で副知事が職務代理者となることを発表しました。
けれども、同日のうちに夜になってすいがんのため死亡したとの発表となりました。
告別式は8月13日午後3時から那覇市松山1の9の1の大典寺で行われます。
プロフィール
名前:翁長雄志(おなが・たけし)
生年月日:1950年10月2日
死去:2018年8月8日(67歳)
出身地:沖縄県真和志市(現:那覇市)
出身校:法政大学法学部
職業:沖縄県知事(2014年12月より)前那覇市長(2000~2014年)
所属政党:無所属(2014年までは自由民主党)
親族:父・翁長助静(元真和志村長)
兄・翁長助裕(元沖縄県知事、沖縄県議会議員)
公式サイトhttp://www.pref.okinawa.lg.jp/site/chijiko/kohokoryu/kense/chiji/index.html
翁長知事の業績
翁長知事といえば、沖縄の名護市辺野古への米軍普天間基地の移設を巡り、日本政府と激しい攻防を繰り広げていたことで有名ですが、どんな人だったのでしょうか。
翁長知事は父も兄も政治家という政治色の濃い家庭の三男として育ちました。1985年、35歳で那覇市議選に初当選した当初は自民党に所属していました。けれども那覇市長時代の後期、オスプレイの沖縄配備や名護市辺野古への普天間基地の移設に反対して自民党を離党します。1996年には沖縄県議会議員に初当選、2000年に那覇市長に就任し4期をつとめ、2014年から沖縄県知事に就任しました。
翁長県知事は1985年から2014年まで自民党に所属。自民党県連の幹事長までやり、当初は辺野古移設にも賛成していましたが、沖縄問題を理由に自民党を離れたといいます。2014年の沖縄県知事選では左派勢力を中心にした「オール沖縄」に支援されて初当選しました。
とはいえ、翁長知事は「私は沖縄の保守の政治家だ。」と自らを語ってたそうです。はじめは自民党以外の政治家は沖縄問題に理解があると思っていたのですが、政権交代して民主党になっても、民主党も全く同じことをすることに幻滅したそうです。
当時(2010年)の鳩山首相は普天間基地移設先に関して「県外移設に県民の気持ちが一つならば、最低でも県外の方向」と公約していたのにもかかわらず、その公約は撤回されたのです。この問題は鳩山内閣の支持率低下を招き、同年6月にはわずか9か月で総理大臣を退任する結果となりました。
このような経過もあり、翁長知事は支持政党に関係なく県民の心を一つにして沖縄の権利を守ろうという姿勢に変わりました。実はこの「保革を超え、県民の心を一つにした県政を」というのは1994年の知事選に保守系候補として出馬した翁長知事の兄翁長助裕のスローガンでもありました。沖縄人である「ウチナンチュー」のことは所詮、本土の人「ヤマトンチュー」には理解してもらえないというあきらめに似た気持ちだったのではないかと推測します。
沖縄県民の気持ちについては戦後の米軍基地に始まったことでなく、戦時中に日本の犠牲となって多くの県民が亡くなったり犠牲を強いられてきた歴史を忘れることはできません。沖縄戦は1945年3月下旬から7月の米軍作戦終了まで続き、何万人もの兵と約9万4000人もの民間人が命を落としたのです。その後も沖縄は米国の施政下におかれ1972年に日本に返還されてからも米軍基地が集中しその区域は沖縄県の全面積の10%以上に相当しています。米軍から土地を強制収容され、過重な基地負担を背負わされてきた沖縄県民の体験は、戦中の被害と共には忘れ去ってはいけないものです。
戦後日本全国33都道府県に置かれた米軍基地の評判は地元住民にとって芳しくないものでした。そのため、基地のの多くが沖縄に移動させられることになりました。沖縄の面積は日本のたった0.6%なのに、今では日本の米軍基地の74%が沖縄にあるという結果となっています。米軍基地があることで航空機の騒音問題や環境破壊、軍事演習による山林火災、航空機の墜落事故、米兵による犯罪事件が多発し基地周辺の住民との間で大きな問題となっています。
沖縄では基地を容認し経済振興を重視する保守と基地に反対し平和を重視する革新で対立してきましたが、基地負担の軽減が必要である点では保革とも共通しています。日本政府が押し付けた米軍基地をめぐって沖縄県民同士が対立することが無意味であり、沖縄のことは沖縄県民が力を合わせて声を上げていかなければならないという翁長知事の主張に県民の気持ちは強く固まってきていたと言えます。
各界から追悼の辞
翁長知事が死去したことを受けて、各界の著名人が追悼の辞を送っています。
言葉もない……。慰霊の日と承認撤回。文字通り命を賭してやられたのだろう。ただただ本当に残念。https://t.co/rxoXMqaxlK
— 津田大介 (@tsuda) 2018年8月8日
翁長知事死去。闘いさなかの戦死に思える。今度の敵は米軍ではなく日本政府だ。どれほどの重圧とストレスだっただろう。翁長さんの寿命を縮めたのは日本政府だ。
— 上野千鶴子 (@ueno_wan) 2018年8月9日
翁長沖縄県知事が亡くなった。享年67。去年の沖縄全戦没者追悼式、翁長さんが安倍首相へ向けた敵意にさえ見える強い眼光が忘れられない。「将来の沖縄の子や孫のことを考えていたら、安倍さんを見る目は厳しくならざるを得ないのです」との見地からだが、本9日は、長崎と沖縄の無念を思う日となった。
— 立川談四楼 (@Dgoutokuji) 2018年8月9日
【翁長氏死去 安室奈美恵が追悼】翁長雄志知事の死去の訃報を受け、沖縄県出身の歌手、安室奈美恵が9日、コメントを発表。「沖縄の事を考え、沖縄のために尽くしてこられた」とつづり、知事の冥福を祈った。 https://t.co/Fe4GjVxenT
— Yahoo!ニュース (@YahooNewsTopics) 2018年8月9日
安室奈美恵は公式ホームページで「お悔やみ申し上げます」というタイトルでコメントを発表。
「沖縄のことを考え、沖縄の為に尽くしてこられた知事のご遺志がこの先も受け継がれ、これからも多くの人に愛される県であることを願っております。」と語っています。
追悼の辞と共に、翁長知事と政治信条が異なる人たちの中傷めいたメッセージも少数ながら見られ、それについての批判意見もありました。
思想信条の違いはあろうかと思います。それでも、死者に鞭打つような言葉を書き殴る方々の少なくないことに驚かされています。どんなに敵対する間柄であっても、最期にはその死を悼む。それが日本人の国民性だと信じてきました。愛国を自認する方々にこそ、そうした尊い国民性を貫いていただきたい。
— 乙武 洋匡 (@h_ototake) 2018年8月8日
海外からも追悼の辞
翁長氏が反対してきた普天間飛行場の名護市辺野古への移設を「唯一の解決策」としてきた米国務省からも追悼の辞が表明されています。アメリカ国務省のナウアート報道担当官は「遺族や県関係者と県民にお悔やみを伝えたい」とコメントを発表しました。
それによると「翁長知事の日米関係における貢献に感謝しており、沖縄の人々にとって重要な問題をめぐる長年の努力は非常に価値があったととらえている。」と評価するものでした。しかしながら、基地問題についての言及はありませんでした。
ゴルバチョフ元ソ連大統領からも琉球新報に追悼の辞が寄せられました。それには「翁長知事の活動の基本方針は、平和のための戦いであり、軍事基地拡大への反対と生活環境向上が両輪だった。」とつづられています。
その後も各国のメディアから追悼の辞や報道があり、日本の県知事の死としては異例の取り扱いでした。米国AP通信が「翁長知事は沖縄という小さな島に過重な米軍基地を押し付けられた上にさらなる大規模な基地移設計画に反対する地元民に応えるため職務を遂行しようとしていた。」と語りました。
米国ではそのほかにもワシントン・ポストやニューヨーク・タイムズなどの大手が翁長知事の業績を讃えて追悼記事を掲載しました。ニューヨーク・タイムズでは、地方の政治家が政府に追随することが多い日本で翁長知事は例外的に自民党政権に対抗したまれな保守政治家と位置づけています。また翁長知事が米国ワシントンを訪問し米連邦議員に日米両政府が沖縄をどう扱ってきたかを説明したことを語っています。さらにキャロライン・ケネディが駐日米大使だった時、その父ジョン・F・ケネディ元大統領を敬愛していたにもかかわらず、彼女が出席した2016年12月の米軍訓練場の返還式を欠席したエピソードも紹介していました。
フランスでも大手のル・モンド紙が紙面を大きくさき、翁長知事のこれまでの業績を詳しく紹介しています。すい臓がんの手術後体調が悪い中もなお辺野古への新基地建設計画を阻止する活動を続け、前知事による埋め立て承認撤回の意向を表明した矢先の死だったことにも言及。その上、安倍首相について触れ「米国が哀悼の意を表したのに後れをとった。」ことに対して批判していました。
日本の地方自治体の知事が亡くなったことが国際的に取り上げられるのは珍しいことです。これは沖縄問題という、日本国民でさえその多くは真剣に考えようともしない歴史的な問題に対する国際的な関心を物語っています。欧米諸国では地方自治の意識が強く、国家が一地方に過大な被害を負わせ今も住民の意思を無視して基地を押し付ける図式に怒りと同情を感じる人は少なくないのです。沖縄の民意を蹂躙し続ける安倍政府に対して果敢に立ち向かった翁長知事への弔意はその表れでしょう。
米国フォーブズ誌の「日本で最も勇敢な男」記事
米国の有名雑誌フォーブスでは2015年9月15日にスティーブン・ハーナー(Stephen Harner)記者が「日本で最も勇敢な男、翁長雄志沖縄県知事に敬意を表して」というタイトルで記事を掲載しています。
このタイトルを見たとき’paying tribute’とあったので最初は追悼の辞だと思ってしまいましたが、記事自体は2015年に書かれたもので翁長知事に「敬意を表する」というタイトルです。亡くなった人への弔辞として業績を褒め称えることはよくあることなので、そういうことでもなく敬意を表しているのは知事に対する真の称賛の表れだと思います。
また、このタイトルで目についたのが’Japan’s Bravest Man’ となっていることで、通常は最上級の前につける’one of the’(プラス複数)がついておらず、条件抜きで「日本で最も勇敢な男」としている点です。
下記にこの記事の主旨を訳して記します。
翁長雄志沖縄県知事は日本で最も勇敢な男だろうか?
日本政府、米国政府、米国防総省、辛辣で時に暴力的でもある日本の右翼、安倍に追随する日本メディアといった面々に勇敢に立ち向かう者がほかにいるだろうか?翁長知事の前任者である仲井眞弘多はこれらの圧力や脅しに屈し、口車にのって最終的には身をひるがえしている。懐疑的な声や低い期待感にもかかわらず、翁長知事は前知事よりも意志が固いということを証明しつつある。翁長知事が反対しているのは現在中規模の街である宜野湾市の中心にある普天間米海軍基地を沖縄県内の名護市辺野古へ「移転」するという計画だ。実はこれは単なる「移転」というものではなく、大規模な全目的型基地を新しく建設するという計画で、実現すると1950年代以来はじめての大規模米軍基地の新設となるものだ。沖縄県民にとって、またとりわけ辺野古に住む人々にとって、長年にわたって反対し続けてきた軍施設の集中は小さな島である沖縄県をさらに危険にさらすことになるのだ。しかもそれは日本の軍隊ではなく外国の軍隊施設。大部分とは言えないまでも多くの日本人(またこのことについて懸案している外国人も含め)新しい基地は嫌われ、望まれず、正当化もできないのに、永久に追放できないように思われる米軍基地の存在のシンボル(と共に現実)であり、沖縄県民にとっては終わることのない「占領」を象徴するものだ。
去年になって、安倍政府はこれまで地元民の反対に阻まれ遅れていた新基地建設の最初の工事となる辺野古湾の埋め立て工事を始めた。この工事は仲井眞前知事が前言をひるがえして承認した埋め立て工事決定後すぐ始められたが、それからすぐ地元住民の抗議活動、裏切り行為の非難、工事進行を阻む努力が続く。
去年11月の選挙戦では翁長知事が「あらゆる手法で」新基地建設を阻止すると公約し仲井眞前知事に圧倒的勝利をおさめ、基地問題に対する県民の反対がいかに根強いものかを見せつけた。知事就任以降、翁長知事は公約を死守し続けた。環境と法律の専門家からなる委員会を指名して辺野古埋め立て承認手続きについて検証させた。この委員会は埋め立て承認において法的な欠陥を見つけたとして基地建設に1か月の猶予期間が与えられることになった。またこれと同時に、安倍政府の沖縄問題の取り扱いに対して国中で批判の声が大きくなっていった。この猶予期間はこのほど終わったが、その間安倍政府は那覇に関係者を送り翁長知事の反対を緩和させようとし、翁長知事は東京に出向いて沖縄県民の願いを説いた。今のところ、すべての話し合いは平行線をたどっている。
9月14日翁長知事は埋め立て承認を「躊躇なく」取り消すと発表。政府、地元また国の反対代表(共産党、社会民主党、沖縄社会大衆党など)に向けて、知事は日本政府との闘いの「歴史的な新ページ」が開かれると語った。安倍政権(と米国ペンタゴン)は工事を続行するという意志を示している。これは、これまでにもなく危機をはらんだ大惨事となり得る衝突の前兆があるとも言える状況だ。
日本政府と沖縄県の不協和は来年夏の参議院選まで続いたり、泥沼化しがちな裁判ざたになる可能性もある。
沖縄対東京のドラマの背景にあるのは、戦後の平和的、受動的、地理的に制限される自国防衛のためのみの防衛を、米国に支持されている新しい安保防衛法に変えようという安倍政権の取り組みである。この中心となるのは戦争を放棄するとしている日本の「平和憲法」第9条の解釈を見直そうという動きだ。新しい解釈として日本の自衛隊が「集団的自衛」、言い換えると連合軍が攻撃された時も(たとえば米軍を防衛するために)戦争行為をすることができるようにするというもの。日本の軍隊や日本国が攻撃されていない場合でも。
この後、筆者は日本の憲法改正に対する世論などを紹介した上で最後に、2015年9月に「アジア・パシフィック・ジャーナル」にて発表された記事「世界は見ている:沖縄米軍基地新設に反対する国際識者、芸術家、活動家の署名を紹介して語ります。
これは翁長知事に対して「沖縄県民に対する公約を果たす」ための外国人109人の署名を集めたもので、世界中の識者や平和運動家の名前が載っている。その議論は読むに値するもので、説得力があると思う。私も機会があれば署名したいと思っているが、それは翁長知事に要望するためではない、彼にはそんなものは必要ないだろうから。私が署名するのは翁長知事を称賛し、敬意を表するためだ。
まとめ
翁長知事がオスプレイ配備反対を訴えるため東京に行き反対デモを行ったとき、沿道で「非国民」などの罵声を浴びたそうです。けれども翁長知事が本当の意味で失望したのは罵声を飛ばす集団よりも、何事もないように銀座を歩く普通の市民の姿だったと語ったという話が印象に残っています。
翁長知事は、いえ沖縄の人はみな、戦中戦後の惨禍もつけもすべて沖縄に押し付けて何もなかったふりをしている本土のヤマトンチューに対してやるせない気持ちでいるのではないでしょうか。私たち日本人は沖縄の人が経験してきた歴史や今でも受けている被害についてもっと認識し、その苦悩を理解するようにひとりひとりが考えなくてはいけないと思います。
最後に、翁長雄志知事のご冥福を心よりお祈りします。