イギリスBBCで「セックスロボットと私たち」という番組が報道されたのですが、その番組中に日本のセックスロボット工場が出てきました。ここでは子供サイズのセックスロボットを製造していて、それを取材するイギリス人男性が涙ながらに「これはひどい」というシーンがあり、それをイギリスメディアが「ショッキング」と報じていました。このBBC番組の動画をあわせてご紹介します。
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セックスロボットのBBC番組
「サイボーグ・プレゼンター」と呼ばれるジェームス・ヤングは義足と義腕を持つ生物学者です。自らも機械の助けを借りて日常生活を送っている彼がプレゼンターとなってBBCのドキュメンタリー番組「セックスロボットと私たち」が作られ、放送されました。
AIを使ったセックスロボットをバルセロナ郊外で開発している男女、ドクター・サントスとその妻マリッツアへの取材から番組は始まります。この2人の夫婦は共同でセックスロボットを作っているということで、ヤングは妻のマリッツアがそのことをどのように思っているのか興味を持ちます。ドクター・サントスは一日に何度も性行為をしたいが妻はそうではないということもあり、この2人の間ではセックスロボットを作ることも(夫が)それを使うことも違和感はないようです。
妻のマリッツアが「よくフェミニストがセックスロボットを作る夫に取材したがるのだけど、女性である私とは話したくないようなの。フェミニストにとってはセックスロボットは男性が男性のために作るものだとされているから。」と言うのが印象的でした。
その後ヤングは女性のために作られた男性の形のセックス・ロボットについても取材し、それを使った女性にインタビューもしています。彼はセックス・ロボットについて特に肯定的でも否定的でもなく、淡々と時には驚き、時には苦笑を交えながら取材を続けていきます。
日本のセックスロボット製造工場訪問
番組の中盤に入り、ヤングはセックスロボット開発の最先端を行く日本を訪れることにします。まず、ロボット工学分野の権威である石黒教授に会い、外見や動きが人間そっくりのロボットを見せてもらい感心します。石黒教授自身の顔そっくりのロボットが表情豊かに話をするところは、ロボットもここまで来たのかとシュールリアルな感があります。
石黒教授に会って最先端のAI技術を駆使したロボットに感嘆の意を表していたヤングですが、日本で次に訪れたロボット製造工場では全く違う印象を受けることになります。
このセックスロボット工場では実にたくさんのセックスロボットが製造されており、そういうものを見るのにはもはや慣れてしまった感があるヤングは別に驚きもしない様子です。けれども、その工場の奥深くにあった一体のロボットを見て彼は声を失います。
BBC番組の動画
(こちらに動画リンクを貼っていましたが、今は削除されています。)
それまでヤングがこの工場で見たロボットはすべて、大人の女性のものでしたが、このロボットは見るからに子供の形をしているのです。セックスロボットといえば胸が大きく「セクシー」な体形であるのが普通ですが、このロボットは背も低いし、胸も平らで、子どもの体形であるのが見てとれます。
それを見たヤングは見るからに動揺して泣きそうになっているのが画面からわかります。
それについて、工場主のヒロ・オカワと称する男性は説明します。
「これが何歳かということはお客様のご想像に任せる。。もちろん、おっしゃる意味は何となくわかりますけど、もしかしたら、少し子供に近いサイズという。。」
そこで一緒に工場を案内していた女性スタッフが「法律では問題ない。」と言い添えます。
男性はさらに言います。
「とらえ方はそれぞれでしょうから。これは日本国内でしか販売しないモデルです。」
ヤングは「なんてひどい」とショックを受けたまま、そこにはいられなくなり工場を出ていきます。
彼はこの番組の制作のためにそれまでたくさんのセックスロボットを見てきて、好奇心と探求心を持って黙々と取材を続けてきたにもかかわらず、この子供のロボットを見た途端、急にそれまでとは全く違う感覚を味わっていたようです。
ヤングは番組中でセックスロボットが「我々の中にあるもっともおぞましいものを引きずり出してしまうようだ」と言っています。そして、さらに開発が進み人間そっくりになっていくセックスロボットの将来に対して悲観的な気持ちがわいてきたようです。
彼はセックスロボットはセックスについての理想に形を与えるプラットフォームの一種であり、自分のファンタジーをロボットとの実際の行為に移すことができるという点でリスクもあるのではないかと考えます。なぜなら実際の人間とは違い、ロボットには合意を得る必要もないし、何をしても、暴力をふるってもかまわないのですから。彼はセックスロボットを使うことが自分たちにどんな心理的なインパクトをもたらすのだろうかと思い悩み始めるのです。
これからAIを使ったセックスロボットがますます進化していくにつれて、限りなく人間に近くなってくるロボットを使用することがどこまで許されるのか、さまざまな倫理的な問題が出てくるのではないかとヤングは思い至ります。セックスロボットのほとんどが男性用であり女性の形をしているわけですが、男性がこのようなセックスロボットを使うことによって女性を性的欲望の対象としての「物」扱いをすることを助長するとしたら、これまで私たちが勝ち取ってきた男女平等や人権においての進歩から逆行するものではないかとも言います。
小児性愛者(ペドフィリア)
ヤングがセックスロボットに疑問を抱き始めたのは子どもサイズのロボットを見たショックがきっかけでした。それまでたくさんの大人の女性のセックスロボット(と1体の男性のロボット)を見て感覚が麻痺していたような彼がどうして子供サイズのロボットには泣くほど動揺したのでしょうか。
イギリスでは小児性愛を「ピードフィリア」(米国では「ペドフィリア」と発音される)と言いますが、これは一般的に非常に極悪な犯罪であるというような印象があります。ちなみに英語では「pedophilia(またはpaedophilia)」、小児性愛者のことを「ピードファイル(paedophile)」と呼んでいます。
子供(一般的には10歳以下)を対象とした性愛・性的嗜好であるピードフィリアをイギリスでは法律で禁止し厳重に処罰しています。幼い子供を性対象としてイメージする児童ポルノは雑誌、写真、ビデオなど厳しく取り締まりが行われており、子供の形をしたセックスロボットももちろん禁止されています。
イギリスだけでなく、チャイルド・セックスロボットはオーストラリアでも禁止されており、米国でも子供の形をしたセックスロボットの輸入、販売、流通を禁止する「クリーパー法」の導入が検討されています。
2019年11月にはオーストラリアのパース空港で日本人男性が児童ポルノ所持の疑いで逮捕されるということもありました。
禁止の理由としては、チャイルドセックスロボットを使用する大人はいずれ本物の子どもに手を出したくなること、日常的にチャイルドセックスロボットを使うことによって、大人と子供のセックスは普通であると感じてしまう人が出てくるリスクがあるということなどが挙げられています。実際、イギリスで押収された128体のセックスロボットを輸入した男性のうち85%が児童ポルノに手を染めていたという調査結果が出ています。
心理学者や研究者もこのようなチャイルドセックスロボットは使用者の児童に対する性愛感情を強く、また日常的なものにし、実際の子どもに対する性愛行動を助長するおそれがあるとし、子どもに被害を与えるリスクが増えるとしています。
日本でも13歳未満の児童に対するわいせつ行為は刑法で強制わいせつ罪と定められており、法的に13歳未満の児童との性行為は禁止されています。しかし子供の形をしたセックスロボットをはじめ、子どもを性の対象とする写真、絵などを厳しく取り締まることはないようです。小児性愛や児童ポルノの話題はタブー視され、表立っての議論がない半面、一見罪のないカジュアルな、しかし欧米人から見ると眉をひそめるような、ポルノまがいの風俗は街にもオンラインにもあふれているような感があります。
たとえば時々話題になる「萌え絵」ですが、明らかに子供の顔をした女の子が胸だけやたらに大きく描かれていたり「官能的」な表情やしぐさをしていたりする、一見「かわいい」イラストは一般の欧米人が見たらかなり違和感があります。けれどもこのようなものは日本人にとっては慣れっこになっているのもあり、特に問題にされないようです。
小児性愛はどうして悪いのか
最近はさまざまな性的マイノリティの社会的認知が広がっていて、同性愛も社会的に認められるようになってきたのだから、小児性愛も同様に認めるべきではないかという声も聞きます。自分にとって不快に感じる性愛の在り方でも自分に実害がかかるわけでもない以上、他人の性的嗜好をあれこれ言うなというわけです。私も同性愛などに関してはそう思います、当事者たちがそれを望むなら。
けれども小児性愛が同性愛などとは明確に違うのは対象が子供であるからです。子供には自らが望まない行為を大人にされても拒絶する力も声もないばかりか、それがいいことか悪いことかを判断する知識もありません。小児性愛の嗜好がある大人が子供に性的な行為を強制することは子供を奴隷にすることであり、子どもへの人権侵害です。もちろん、大人同士でも同性愛であれ異性愛であれ合意のない性行為は許されませんが、それと同じことです。
子供は知識も経験もないため、何がよくて何がいけないのかの判断ができず、大人が甘い言葉をささやいて簡単にだますことができます。子供の頃小児性愛の被害者となった子供たちには、何年もたって大人になってからはじめて自分が被害を受けていたということに気が付く人もいます。そして、こういう被害に遭った子供は精神的・肉体的に苦痛を受けることになり、その傷はその後も癒されることがないまま大人になってしまうことが少なくありません。成長してもその被害から脱却することができず、そのために普通の恋愛や社会的な関係構築が難しくなることもあるでしょう。また、自身の知識や経験に基づく常識的な土台が確立していないうちに偏った性知識を与えられることで、自分自身が小児性愛を含む性暴行の加害者になってしまうこともあるのです。
最近カトリック教会の聖職者による児童への性的虐待問題が大きな問題になっています。司祭など個々の人物がそのような行為を行ったというだけでも問題なのに、教会の上層部が不祥事の発覚を恐れ、問題を隠し続けていたことが次々に明るみに出て、イギリス、米国、アイルランド、ドイツなどさまざまな国でカトリック教会が厳しく批判されています。このことは欧米諸国で小児性愛について厳しく罪を追求し、そのような被害が起きる前にその芽を摘み取ろうとする流れを加勢しているようです。
小児性愛やセックスロボット擁護論
こういった背景もあり、今どき欧米諸国では児童ポルノまがいの雑誌を持っているだけで逮捕されるような状況となっているのですが、日本ではまだまだ小児性愛や児童ポルノの風潮を擁護する声も聞こえます。
実在の被害者が出ない以上は趣味の範囲ではないかとか、そのような性癖がある人は雑誌、画像、ラブドール、セックスロボットなどを使うことで性欲を発散し、実際に人間に性的暴行や虐待をするのを防げるのではないかとか。
けれども、女性でありイギリスに住んでいる私から考えると、まともな倫理観のある社会ではそういうものが日常にありふれていることがおかしいのではないかと思えてくるのです。そういうものがあまり違和感なく広まっている社会というのは、子どもや大人(主に女性)の性的搾取が何となく容認されてしまっていて、女性や子どもを性的に「消費」する大人を黙認する社会なのではないかという気がしてなりません。
チャイルドセックスロボットまではいかずとも、顔かたちは一見子供だけど性的にデフォルメされている「萌え絵」についても私には違和感があります。表現の自由、個人レベルにおける鑑賞の自由は尊重しますが、そういうものを子供を含む一般の目にさらすことはどうかと私は思うのです。なぜなら、人は慣れてしまうものだから。日常生活を送るうえでそういうものが目につくようになると感覚が麻痺してしまうものだから。
私は日本に住んでいないため、たまに日本に帰ったり日本のオンラインサイトを見たりすると「ぎょっ」とするのですが、ずっと日本に暮らしている人はそれに気が付かないようです。「萌え絵」について「子供がこういうのが好きだというのだ」という意見を聞きましたが、それは子どもがそういう絵を日ごろ目にして慣れているからでしょう。だからこそ、こういうものを子供の目にさらしていいものかどうか大人が判断するべきなのではないでしょうか。
異なる意見と感想
ここまで読んで私と異なる意見や感想を持つ人も多いと思います。特に日本に住む男性の中にそういう人が多そうです。というのも、この番組についての紹介をした女性の英語ツイートに反論する声がたくさん上がっていたからです。
A sex robot the size of a child reduced BBC presenter James Young to tears during a visit to a sex toy factory in the suburbs of Tokyo, Japan, as part of a shocking BBC documentary.https://t.co/FBsxutrWYB
— RadFemFatale (@radfemfatale) 2018年10月23日
この女性は「BBCのショッキングなドキュメンタリー番組の取材で日本の性玩具工場を訪れたプレゼンターのヤングは子供の形をしたセックスロボットを見て涙する」とツイートして、この番組についてのデイリー・メ―ルの記事を紹介しています。
それに対して日本人男性(と思われる)人たちが返信しているものが「実際に子供に性暴行をはたらいたり虐待するわけではないのだから、チャイルドセックスロボットのどこが悪いのかまったくわからない。」「このロボットによって実際の児童虐待が減るはずだからいいと思う」「個人の嗜好に他人が口をはさむ権利はない」といった論調です。
どうも、この女性が言わんとすることと日本人の返答の議論がかみ合ってない気がするのです。けれども、少なくともこのツイートや引用記事は英語なのにもかかわらず、たくさんの日本人に読まれ反応があったようです。セックスロボットや小児性愛などの問題はタブー視されがちでオープンに話せない雰囲気があるので、これを機会に日本でも議論が進むことは歓迎したいと思います。
(敬称略)