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イギリス階級社会は差別ではなく文化の違い:英語も職業も趣味も住むところも

London Street Scene

イギリスというと階級社会であることは周知の事実ですね。イギリスだけでなく、ヨーロッパはおおむね今でもそうです、フランス、イタリア、スペインなど。もちろん昔ほどはっきりしたものではありませんし、法律の上での差別などはないのですが、人々の暮らしや文化、考え方に深く根付いているものはなかなか変わらないものです。今の時代イギリスに住んでみて、階級社会って実際どうなのかをご紹介します。


Contents

イギリスの階級制度

イギリスの階級制度は古くからあり、それが少しずつ形を変えたものが今だに残っています。それについて細かいことまで説明しようとすると、一冊の本になるほどなので、ここでは大まかに説明します。

階級についてはもともとは王族、貴族といった正式な爵位がある人達をトップとする身分で分かれていましたが、今は社会的地位や職業や収入と言った面も考慮に入っているのでその境は曖昧だったりもします。

そこを頭に入れてもらった上で大まかに分けると、上流階級、中流階級、労働者階級の3つに分けられます。

イギリスの階級の種類

上流階級は世襲の要素が強いので他とかなりはっきり分かれていますが、他の階級は境があいまいです。

分け方の基準も人によって違ったりするし、時代によっても変わってくることもあります。

上流階級 Upper Class

階級社会の頂点が王室、そして爵位を持つ貴族階級とジェントリーと呼ばれる代々の大地主。ジェントリーというのは、爵位はないが地方の豪族といった立場で大きな役割を果たし社会的に認められている人たちです。

上流と中流を区別する基準は資産や収入ではなく身分です。上流階級なのに落ちぶれてお金がない人たちも中にはいる一方で、いくらお金があっても成り上がりでは上流階級に入れません。

ただ、もともと身分が低かったけれど国家や王室に対する貢献が認められて爵位を授かる人たちもいます。

中流階級 Middle Class

中流階級は幅広く、その中でも3つくらいに分けられますが、その境目ははっきりしないことも。

また世代での移動も多く、中には個人でも職業や地位の変化によって階級を上下することもあります。

労働者階級 Working Class

非熟練労働者や工場などで働くブルーカラー労働者、店員やウエイトレス、清掃業などのサービス業従事者。

事務職であっても単純労働だったり、非正規労働者であったりして低収入の場合はこちらに入ります。

イギリスの階級別の違い

イギリスでは、階級別にいろいろな違いがありますが、それはどういう違いなのか、日本と比べてみるとわかりやすいかもしれません。

日本には昔「一億総中流」という言葉がありましたが、職業や収入に違いがあっても、90%以上の人が同じような文化を共有していると言っていいでしょう。

収入の差はあるでしょうが、社長から工場労働者まで大体みんな同じような言葉を話し、同じような新聞を読み、家で同じようにテレビで野球番組を見ながら、同じようなビールを飲み、唐揚げを食べているといった具合です。家の大きさなどに違いはあるかもしれませんが、同じ通りに住んでいてその子供は同じ学校に行っています。

そういうことがイギリスでは起こらないのです。

それでは、具体的にどのように違うのでしょうか。

住むところ

まず、階級によって住むところが違います。

イギリスでは上流になるほど田舎に住む傾向があります。

イングリッシュ・ジェントルマンは田舎に広大な土地を持ち大きな屋敷に住んで、乗馬や狩猟、スポーツ、バードウォッチングなど自然に触れる趣味を持つのです。

労働者階級というと昔は農民だったので彼らも田舎に住んでいたのですが、18世紀の産業革命により労働者が都会に移り住むようになりました。ロンドンやマンチェスターといった都会は工業化が急速に進み短い期間に労働者が急激に増えたため、都市環境の整備が追い付きませんでした。

そのため、都市はスラム化し、劣悪な環境となり、空気や川が汚染されて、コレラなどの疫病も流行りました。もともと都市に住んでいた富裕層は郊外へと逃げ出していきました。残ったのは引っ越そうにもそんなお金がない労働者や貧民たちです。

この結果、田舎に上流階級、郊外に中流階級、インナーシティーと呼ばれる都市の中心に労働者階級が住むといった地理的な住み分けができました。

今は公衆衛生状態がよくなり、都会の環境も改善されてきたので中流以上の人でも都心に住む人が出てきましたが、一般的にイギリス人は「カントリーサイド」に憧れます。

また、都心に住む場合でも火災で有名になったロンドンのグレンフェルタワーのような高層住宅には労働者階級や移民などの貧民層が住み、中流や上流階級の人達は、チェルシーやケンジントンのジョージアン・ハウスに住むなど、住居もちがいます。

これはロンドンに限ったことでなく、それぞれの都市で「ポッシュなエリア」とそうでないエリアに分かれています。イギリスでは住所や郵便番号を聞くとその人がどういう階級なのか大体わかってしまうのです。

階級は住んでいる家のタイプでもわかります。

イギリスの家(高層住宅でない個人住宅)はデタッチト、セミ・デタッチト、テラスハウスに大別されます。

デタッチトは一軒家、セミと呼ばれるセミ・デタッチトは2軒がつながっている家、テラスは3軒以上がつながっている長屋です。

テラスは労働者階級、セミは中流階級、デタッチトは上層中流以上という感じに分かれます。
(ただし、最近のロンドンは別です、あまりに住宅価格が上がってしまっているので)

高層住宅や公営住宅(カウンシル・ハウス)にはおもに労働者階級が住んでいます。

英語

イギリス人が話す言葉を聞くとその人の階級がわかると言います。

もちろん地理的な方言(というよりも発音、アクセント、抑揚)もありますが、同じ土地に暮らす人でも階級によって話す言葉が違うのです。

それは地理的な違いよりも顕著だったりします。

一般的に階級が上の人たちはどこに住んでいても同じような言葉を話しますが、労働者階級はその土地独自の言葉を使います。

そのため、慣れない土地に行くと、上層中流以上の人と話すのには不便は感じませんが、お店の店員とかバスの運転手とかが話す言葉が全く聞き取れなかったりということがあります。

イギリス人は自分のアクセントを誇りに思っていて、労働者階級の人が出世したりスコットランドの人がロンドンに暮らすようになってももともとのアクセントを変えたりしません。

あまりになまりがひどくて人に理解されないようだったら、少しは変えるでしょうが、たいていの人は子供のころからのアクセントで通します。

例えばディヴィッド・ベッカムなどロンドンの労働者階級のアクセントで話しますね、昔に比べるとその訛りが薄れてきているようですが。

メディア

個人差はもちろんありますが、日本では一般的に、会社の社長から平社員まで、バスの運転手からお店の店員まで、みんな同じような新聞を読み、同じようなテレビ番組を見て情報を得ていると思います。

イギリスでは階級によって読む新聞が違います。

なので愛読紙を聞けばその人がどういう階級なのか、また政治的な傾向も大体わかってしまいます。

いわゆる高級紙と呼ばれる大判の新聞、Daily Telegraph, The Times, Financial Times, The Guardian(サイズ的にはタブロイド版になったものもありますが)は中流以上の人が読みます。

ビジネス関係の人はFinancial Times, 上流や上層中流で保守的な人はDaily Telegraph,  学者やリベラルな人は The Guardianといった風に。

労働者階級の人たちが読むのはそのサイズからタブロイド紙と呼ばれる大衆紙でSun, Mirror, Daily Mail などです。ページ3ガールと呼ばれる半裸の女性のグラビア写真が載っていたりします。

記事内容はセンセーショナルなものやゴシップを中心に簡単に面白おかしく書かれていて、中には信ぴょう性が乏しいものもあるのです。

イギリスの新聞についてはこちらで詳しく紹介していますので参考にしてください。

イギリスの新聞:一般紙/大衆紙、階級によって購読者層が違う

趣味

上流や中流の人たちは戸外のスポーツや散歩、バード・ウォッチング、ガーデニングなど自然に親しむ趣味を持つ傾向にあります。また、アート、シアター、音楽、美術鑑賞などの芸術、そして読書などを楽しみます。

労働階級の人たちはパブに行ったり、ディスコでダンスしたり、ビンゴを楽しんだり、サッカーを観に行ったりします。

スポーツ

たしなむ、または観戦するスポーツにも階級差があります。

たとえば、イギリスというとサッカーが有名ですが、これは労働者階級のスポーツですね。

それに対するものはクリケットやポロ、テニス、ゴルフ、乗馬などで上流や中流以上の人たちが楽しむものです。

サッカーはボールひとつで何人もがプレイできますが、クリケットとなると、ユニフォームからバット、グローブなどの器具など一式そろえるのにお金がかかります。

クリケット選手として活躍している人のほとんどは、小さいころから会費が必要なクリケットクラブに入ってプレイしてきた人たちです。

そういう家庭に育っていないとできないスポーツなんですね。

とはいえボールひとつでできて、野蛮なイメージがあるラグビーも中流以上の人がするスポーツです。

もともとラグビーというパブリックスクール(お金持ちの子息が行く私立学校)で始まったスポーツで、イギリスの私立学校でさかんです。ラグビーもサッカーのようにボールひとつさえあればできるのですが、上流はラグビー、下流はサッカーというように男の子がするスポーツは分かれています。

思うに、ラグビーのような過激なスポーツはお行儀のいい紳士予備軍のボーイズでないと、けんか沙汰になって危ないからそうなっているのかもしれません。サッカーなら足しか使えませんから。

現代イギリス社会の階級

階級制度というと、昔は極貧にあえぐ下層階級と優雅な上層階級のちがいというようにはっきり区別ができました。

また一つの階級に生まれた子供はその階級から上下に変わることはほとんどありませんでした。

今は上流階級を別とすればそれほど明確な違いはないし、労働者階級に生まれた子供が大学に行き医者や弁護士になって親の階級を超えていくことも少なくありません。

また、法律や制度の面では階級といったものはないし、大学入学、就職などあらゆる機会で階級差をなくそうとする努力もなされています。

けれども、それぞれの階級の人達は自分がいる立場に誇りを持ち、満足しているし、お互いを認め合ってもいます。

個を大切にし他人と違うことに価値をおく市民社会なので、職業が違うように階級の棲み分けもできているようです。

しいていえば、中流階級の人に上昇志向のある人が多いようです。

下層中流の人は子供を大学にやって中流、上層中流にしたがったり、もっといい家、ポッシュなエリアに住みたがったりする傾向にあります。

上流階級は労働者階級の人たちを蔑んだり見下したりせず、違う世界の人たちだと受け止め、敬意をもって接しているようです。

逆に、労働者階級の人は上流の人の前で自らを卑下したり卑屈な態度をとったりもしません。

たとえば、ベッカムは貴公子と呼ばれていますが、口を開くとすぐわかる労働者階級の出身です。世界的に有名になってもベッカムは自分が労働者階級であることを隠しません。

労働者階級の自分が努力を重ねて今の地位を築いたことを誇りに思っているのでしょう。

一般的に言って下層の人は上層の人を特にうらやましくも思ってはいないようです。重い責任を負わせられるのはまっぴらだし、お高くとまるのも窮屈そう。子供の時から厳しくしつけられ死ぬほど勉強して、社会に出ても難しい仕事に就いてあくせく働くなんて大変だと。

自分たちは身の丈に合った暮らしをして、つつましい快楽を得て気軽に暮らしていきたいと思っているのでしょう。

そのかわり、難しいことはお上に任せるし、うまくやってくれないと困るといった感じで上層の人を見ている感があります。

労働者階級の人は、その結果として向上心がなく現状に満足して努力をしないという面もあります。

自分の子供に学問をさせて出世してもらいたいとは思わず、自分と同じような職業について同じような境遇の人と結婚して家庭を持ち幸せに暮らしてほしいと願っています。

それで階級というものがなかなかなくならないんですね、みんながそれで満足しているから。

上の人は上の人で身分の高い人に課される責任「ノブレス・オブリージュ」noblesse oblige を全うすることを小さいころから教えられ、自覚もしています。高い身分で良い教育を受け社会で優位に立つものには、そうでないものに対する道義上の義務があると思っているのです。

戦争のときは身分の高いものほど率先して戦ったので戦死率も高かったそうです。戦時でない今は上流階級の人達はボランティア精神を発揮して、政治活動やチャリティー活動に参加したり社会奉仕に寄与したりする人が多いです。

こういう身分に生まれた人たちはパブリック・スクールと呼ばれる私立学校で高い教育、リーダーシップ、フェアプレイ精神、行儀作法などを身につけ、名門大学に進みます。そして、こういう少数精鋭のエリートが社会をけん引して政治を行い、イギリス経済に繁栄にもたらし、そのおかげでイギリス国民全員が安心して暮らせる社会を形づくっているのです。

よそ者の私が観察する感想でいえば、イギリスのエリートは正義感があり理想を求めて努力している人が多いように見えます。

それに対して労働者階級の人は最低限の仕事をして、あとは気楽に享楽に身をまかせるといった人がほとんどのようです。

階級社会は公平か?

こうして考えてみると、イギリスの階級社会は公平とは言えないけれど、それぞれの役割分担ができていてそれはそれでうまくいっているのかもしれません。法律や制度の上での差別はないので、労働者階級の人がそこから抜け出そうとすれば不可能ではないわけですから。

ただ、生まれ育った環境というものはそう簡単には変えることができないものです。人は親の期待、友達や周りにいる人たち、日々目にするロールモデルを見ながら自分の将来を考えるものです。カエルの子はカエルになってしまうのは自然の成り行きでしょう。

エリートの出身大学といえばオックスフォードやケンブリッジですが、こういう大学に入学するのはほとんどが私立学校出身者です。大学側ではそうしたバイアスをなくそうと、奨学金制度を設けたり、公立学校出身の生徒の成績を水増しして入学させたりもしているにもかかわらず。

イギリスで階級社会の底辺の境遇に生まれた人がそれに満足せず、自らの才能、教育、努力で這い上がり成功したいと思っても、さまざまな「見えない壁」に阻まれて苦労するというのも事実です。その反面、裕福なエリート家庭に生まれた子供は自分で特に努力せずとも当たり前のように私学から名門大学に進み、エリートと呼ばれるような職を手にすることが普通なのですから、それを不公平と思う人もいるでしょう。

日本社会の格差と階級

これに比べると今の日本は階級による開きが少ない平等な社会だと思います。これは江戸時代以降、明治維新で四民平等となったこと、それからしばらくして戦争の時代となり敗戦でほとんどの国民が富を失ったことで戦後多くの人がゼロからの出発だったことが戦勝国のイギリスと違うんですね。

まあ、戦後何十年もたった現代となると世代をまたいでの格差がだんだんと生まれつつありますが、いまだに階級という観念はあまりないでしょう。学歴格差はあり出自や環境によって大きく左右されることはあるにしても、それはがんばって勉強することである程度は克服できる差ですから、生まれながらの格差とは多少違います。

経済的な格差もありますが、それが世代を通じて引き継がれ、格差が広がってくるようになったのはここ最近の傾向です。そしてこの格差はこれからますます広がって固定されていくでしょう。20~30年前、東大などの名門大学に入って成功する人は地方の公立高校出の人が多かったのですが、今は都会の私立学校出身の人が多くなっていることからもその傾向がわかります。

とはいえ、日本のエリートということになる政治家などを見たところ、イギリスのエリートのようにノブレス・オブリージュを全うしているというような人があまりいないように見えます。自分や身内の政治的な名誉、世間的な名声や目の前の利益などしか眼中になく、国全体、または世界全体に貢献するための姿勢が見受けられない気がするのです。

これはイギリスの成り上がり的なお金持ちにも共通するところです。自分の力で成功したのだという自負がそうさせるのでしょうか。

先祖代々貴族だった家柄出身の人は自分だけの力で成功したのではないということがわかっているので、その幸運を自らが独占することに罪悪感を感じるのではないでしょうか。

国全体として考えた場合、国民がすべからく公平なのがいいのか、良識と社会的責任感がある少数精鋭エリートに国家の舵をまかせるのがいいのか、どちらがいいのか考えさせられますね。



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