8月15日は終戦の日、その前にも8月6日広島原爆、8月9日長崎原爆投下の記念日があり、日本では平和教育がよく行われます。私も毎年小学校の教科書に戦争の話が載っていて「戦争は悪いことだ、平和を大切にしよう」と学んで来たのを覚えています。その頃は戦争の被害者としての視点からのものが主だったのですが、そうではなく「加害者としての面も教えよう」という声、「いやそれは自虐史観であり愛国心を損ねるのでよくない」というようにさまざまな意見が取りざたされています。外国では自国が関わった戦争の歴史をどのように教えているのか比較してみると、日本の平和教育というものが特殊なものであるということがわかるかと思うのでご紹介します。
Contents
日本の平和教育
小学校の教科書
私が覚えている日本での平和教育というと、小学校の頃国語の教科書に出てくる戦争に関連した話が主なものです。最近でもそうなのかと教科書を見てみると、「ちいちゃんのかげおくり」(小3)「一つの花」(小4)などやはり戦争に関した話が学年の中ごろに出てきます。このような話はそのほとんどが戦争で誰かが亡くなったり、戦時中につらい目にあったりしたことについての体験です。学習した後は「戦争はこんなにむごいものです、二度としてはなりません。」というような感想を言ったり書いたりすることで終わるというものでした。言い換えると戦争を悪いもの、むごいものとしてその戦争の悲惨さを強調し感情に訴え、その悪はなくさなくてはならないものと皆で確かめ合うという過程です。
それはそれなりに効果はあり、幼心に「戦争はいけないものだ。」という意識を植え付けることができました。でも、戦争はいけないこと、二度としてはならない、平和を守らなくてはならないと教わったのに、それではどうして日本は戦争をしたのかとか、戦争をしないためにはどうしたらいいのかということは教わった記憶がありませんし、そういうことを誰かと話しあったことは私にはありません。そうでない人もいるのかもしれませんが。
どうも、日本で戦争の話をするとなると、いかにも天から降ってきた悪魔のような話になってしまうようです。地震や津波のような天災によってひどい被害を受けたのとあまり変わらないような。天災は自然に起きるけれど戦争は人間が起こすもののはずなのに。おきてしまったことは「誰が悪い」と罪を問うても仕方がないという考えからなのでしょうか。
戦争の背景や原因
平和教育というと第二次世界大戦、日本でいうと太平洋戦争(1941~1945年)における戦争被害のことが主に取り扱われ、戦後の日本国憲法第9条の戦争放棄の理念や自衛権についてなども学びます。戦争で多くの兵が亡くなったこと、特攻隊や人間魚雷といった自殺行為の作戦、悲劇の沖縄戦、一般の民間人も空襲や原爆で被害を受け、日々の生活も食料・物資不足で大変だったこと、「挙国一致」「欲しがりません勝つまでは」と言われモンペ姿で竹槍訓練したこと、子供の疎開や軍事教練といったような苦労や悲劇の話はよく聞きました。
けれども、そもそもどうして日本が真珠湾攻撃に始まる、米国、イギリス、オランダなどの連合国との戦争に至ったのか、それ以前の満州事変や日中戦争に至る過程、ドイツとイタリアとの同盟、米国の石油輸出禁止、日米交渉とハルノートなどについては学んだ記憶がありません。日本史でもこの時代のことを学ぶはずなのですが、そういう状況を勉強した覚えがあまりないのです。「満州事変」とか「5.15事件」などという言葉と年号をまる覚えしたような気はしますが、それが何なのかはよくわかっていないままでした。
日本が戦争に至った理由を大人に聞いても、「日本軍が独走してしまった。」「新聞は勝ち戦ばかり宣伝していた」「戦争に否定的な言動をするものは憲兵に捕まるので何も言えなかった。」ですまされがちです。じゃあ、どうしてそのような状況になったのか、非難できないような状況になるまでに国民は何もしなかったのかなどはわからないまま過ごしてしまっていました。
広島原爆記念館
私が小学性の頃、広島の原爆記念館に社会見学で行ったことがあります。生々しすぎる展示が小学生の私にはとてもショックで、それから当分その体験が重くのしかかりました。その頃読んだ「アンネの日記」と共に、あの時それまでの無邪気だった子供心というものがなくなったと言ってもいいかもしれません。それほど衝撃的な体験でした。けれどもその時も頭に残ったのは原爆のむごさ、すごく恐ろしいものだという恐怖心だけで、どうしてそんなものが落とされなければならなかったのか、それを防ぐことはできなかったのかという考察にまでは至りませんでした。
ところで、広島の原爆慰霊碑には「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と書いてあります。誰がその過ちをしたのか、繰り返してはなりませんと言っているのは誰なのか主語がはっきりしないということが議論されてきました。原爆を落としたのは米軍なのだからこれは米国が主語なのではないかという人もいますが、広島市の見解では「人類全体の誓い」ということになっています。けれども、東京裁判でただ一人被告人全員の無罪を主張したことで有名なインド人のパール判事はこの碑文について「原爆を落としたのはアメリカ人で、その手はまだ清められていない。」と語ったそうです。
広島に原爆を落とし民間人を殺戮した米国の罪、米国は戦争を早期終結するために原爆投下が必要だったと言っているが、果たしてそうだったのか、また広島の原爆投下後わずか3日で長崎に原爆を落とす必要があったのかどうかということも日本ではあまり語られません。米国に遠慮しているのか、自らも戦争で加害者となった罪悪感から来ているのか、戦争中に起こったことだから誰かを特定してとがめることはやめようという理由なのか、それもはっきりしません。
加害者としての史実
原爆を落とした米国を加害者として追及しないのもあいまいな点ですが、日本人は自らが加害者となった史実もあまり語りません。平和教育でよく聞くのは空襲、原爆、戦争で亡くなった多くの兵士、沖縄での多大なる犠牲、戦中の厳しい暮らしなど被害者としての経験ばかりです。
たとえば南京事件(南京大虐殺)、韓国の慰安婦、アジア太平洋各地で日本軍が行った民間人への残虐行為、同じく日本軍が捕虜に行った残虐行為などのことはあまり教えられないばかりか、最近では自虐史観であると否定されたりもします。南京大虐殺はなかったとか、韓国の慰安婦は日本軍に強制的に連れて行かれたのではなく自由意思であったとかいう話を最近になってよく聞くようになりました。自国の歴史を語るのに自国民の悪事を強調するのは愛国心を損ねる自虐的な行為であり、改めるべきだという考え方です。歴史教科書問題というのもあって、日本が華北に「侵略した」というのを「進出」という言葉に書き換えたことにより、中国や韓国より抗議が起きるということもありました。
戦争中に日本が加害者となって行った行為について、外国に行って初めて聞くという人も多く、私もその一人でした。イギリスには東南アジアの捕虜収容所で日本兵にひどい扱いを受けたことを語り伝える老齢者が未だにいて、そういう人たちが日本兵のことを非難するのを聞いて日本人として肩身の狭い思いをすることがあります。イギリスだけでなくオランダでも反日感情があり、1971年に昭和天皇がオランダ訪問した時、卵を投げつけた市民がいた話は有名です。米国人は今でも真珠湾攻撃のことを忘れていないようだし「ヒロシマ・ナガサキはパール・ハーバーの復讐だ」という人も少なくありません。さらに自国に侵略され人命ほかさまざまな被害を被った中国や朝鮮半島の人々、戦場になった東南アジアでの日本兵の行いについて憎悪を持っている人もいるし、満州や朝鮮半島から日本に連れてこられ日本で差別にあった人達もいます。この人たちにとっては日本は加害者であり、今でもそのことを憎悪を持って語る人がいるのも自然なことです。
少し勉強してみれば、日本という国が近隣諸国に行ってきた侵略行為の数々、戦争中に日本兵が行った特殊な残虐性、メディアが流した虚偽の報道といったものを史実として知ることができます。その背景にはそれまでのヨーロッパ諸国の植民地主義やロシア南下の脅威、資源のない島国が発展するための方策といった状況もありますが、そのすべてを考慮しても日本が行った「加害者」としての行為は正当化されるものではないでしょう。ヨーロッパ諸国が行った植民地政策が正当化されるものではないのと同様に。
日本人として自国民が過去に行った悪事には目を背けたいという感情があるのは理解できますが、だからといってそれを子供たちに伝えないのはあまりに無責任です。第2次世界大戦はそう遠い昔のことではありません。少し前までは「あなたはあの優しいおじいちゃんがそんな残虐なことをしたと思えますか。」と聞かれると、子供心に日本人がそんなことをしたとは思えないと感じたものです。でも、実際に客観的な史実を読んでみると、やはり事実はそこに存在します。戦争になると人は変わってしまうものだし、そうでもしないと戦争はできない。人を殺さなければ自分が死ぬ状況になれば人は人を殺し、捕虜を虐待するかもしれないということは想像できなくもありません。
日本人は名誉のために切腹する武士道精神があり、戦時中は「捕虜の辱めを受けるより自殺せよ」と教えられました。「命をもってお詫びする」ための自殺は今も珍しくないし、未だに死刑制度を支持する人が多い国民です。また個人の考えや感情を抑え「お上」や上司の命令に絶対服従することも他国人に比べると多いでしょう。このような国民性が、戦争という特異な状況において、どのように発揮されたかを考えると「やむを得なく」加害者となった数々の行為もあっただろうと推察せざるを得ません。そして、そういう行為を行った人たちが戦後いかに苦しみ、それを忘れたい、なかったことにしたいと思い、口をつぐんだかということも想像できます。その一人一人の人達も、戦争行為の加害者ではあると同時に、国家に蹂躙された被害者であるのですから。
そういう加害者としての歴史があったという事実を認めるのは心苦しい、それを子供たちに教えるのはつらいと思う気持ちは理解できますが、それでも史実である限り、教えないといけないのではないでしょうか。自国がしたことを悪く言う自虐史は愛国心を損ねるからという理由で、過去にあった史実を隠したり、なかったことにしたり、事実を捻じ曲げて伝える風潮があるのは危険だと思います。
戦争はただ悪いことなのか
戦争というものは悲惨なものであり、被害者一人一人に焦点を当てると誰でも戦争は悪いものと感じます。けれども「戦争は悪いものなので、なくすべき」であると教えるのもシンプルすぎる考えではないでしょうか。長い歴史を見てもわかるように、国と国との間に戦争は起こり得ます。そのため、現在でも多くの国が武器を持ち軍隊を持っているし、核武装している国もあります。こちらが戦争をしようなどと思わず、すべての国と友好的でありたいと願っていても、外国が自国を攻撃してくる可能性はないとはいえません。もし、そうなったらどうするのかということまで考えないと、平和教育というものは成り立たないはずです。
これまで日本は米国の核の傘に守られてきたと言われていますが、それがこのまま続くのでしょうか。日本の自衛隊はどういう役割を果たすべきなのでしょうか。憲法第9条については改憲すべきであるとか、いやそれは絶対にしてはならないとか、様々な意見があります。そういうことも含めて平和教育は行わなければならないでしょう。
もし国民がよく議論した上で日本という国は武器や軍を持たず、すべての国と親善的に国交をし、争いを避けていくことで平和を守るというのなら、それはそれで一つの方法だと思います。けれどもそのためには、外国との国交に積極的に取り組み、武力ではなく経済、文化、科学、教育面などで国際的に貢献し、国際的に活躍する人材を派遣し、世界中から偉大だと認識され尊敬される国にならなくてはいけないでしょう。今の日本が各国にそのように評価してもらえるかと考えると、残念ながら難しいのではないかと思います。
外交を通しての国際平和
古くから外交や交易、戦争を繰り返してきたヨーロッパなどの国々に比べ、日本は極東の島国であったため、外交の経験が乏しいといえます。隣国の中国や朝鮮半島との外交でさえ江戸時代の鎖国で途切れてしまいました。元寇とか豊臣秀吉の朝鮮侵攻以来、戦争の経験もありませんでした。それが日清戦争、日露戦争と勝利して勢いに乗ってアジア進出を目指したことで、無残な結果となりました。その経過でも戦争を外交によって早期に集結したりするチャンスもあったのに、それが苦手で国際連盟を脱退して孤立化したり、米国との交渉を打ち切って真珠湾攻撃に踏み切って、最初から勝つ見込みはほとんどなかった太平洋戦争に突入したのです。
戦後を振り返ってみても、米国とは比較的友好に付き合ってきてはいるものの、他の国との外交はうまくいってきているとはいえません。戦後に自国が犯した過ちをきちんと認めて向き合うことをせず、侵略したアジア諸国にきちんと謝罪をしなかったことがあとあとになって仇になって返ってきた感じがします。他国の日本への原爆投下の正当性を聞くときに、日本が戦争中に行った「きわめて残虐な」「卑怯な」行いを挙げて非難し、だから仕方なかったというように説明する人も少なくありません。米国人だと真珠湾攻撃でしょうし、イギリス、オランダ人だと東南アジアでの捕虜の扱い、韓国人だと慰安婦問題などでしょう。それは、これらの行為について日本が真剣に向き合い、過去の過ちだと認めて謝罪する姿勢が彼らには感じられないからだと思います。
戦後ヨーロッパ諸国の植民地だった国々が次々に独立しました。それらの国の中には、アジアの小国ながら西欧の植民地にならずロシアという大国に勝ち、最終的には負けたけれども列強に屈せず戦った日本を尊敬し、それに習おうと思う人たちもいました。白人に支配されて悔しい思いをしていたアジアの国々と日本は協力して国交を深めていくチャンスがあったのです。けれども日本は「名誉白人」になりたがり、米国の方ばかりを向き、アジア諸国を自国より「下」だと見下していたのではないでしょうか。
そもそも日本は太平洋戦争中に「大東亜共栄圏」を掲げてアジア諸国を欧米列強から独立させ、国家連合を作ろうとしていました。これは名前の通りの共栄圏というよりは、実態は日本がアジア諸国を支配するという構想でした。けれども、日本が本当にアジア共栄圏を作ろうと努力していたら、それは可能だったかもしれません。戦争に明け暮れたヨーロッパ諸国が戦後、欧州連合を作ったように、アジア諸国でも同じようなものができていたらどうでしょうか。一つの国が支配するのではなく、それぞれの国が平等な立場で、経済、産業、資源、人材、技術教育などをシェアして協力する体制ができていたら。日本はその中で、ヨーロッパでいうとドイツのような立場で参加できていたかもしれません。
外国での平和教育
さて、ここまで日本での平和教育について考えてきましたが、外国では平和教育というものはどのように行われているのでしょうか。私が知っているのは、イギリスを中心にしたごく限った情報ですが、私の知る限りイギリスにはいわゆる「平和教育」というものは存在しません。
イギリスでは戦争を自国の歴史の一環として学習します。イギリスと言えば昔から様々な国と戦ってきた歴史があるし、国内でも度重なる戦争をしてきています。そもそも「戦争は悪い」というシンプルな考え方をしません。自分から他国へ無理やり戦争を仕掛けるようなことはしないにせよ、ヒトラーのように自分たちに戦争を仕掛ける国もあり、その時にはこちらも軍事力を持って応えなければならないとしています。また、国だけではなく自分たちの価値観を信じて、それと異なる国や人を無差別に攻撃するテロリストもいるので、それにも対応しなければならないと考えています。
理想は世界中の国や人が戦争をしないと武器を捨て、核兵器もなくすことだけど、それは願望ではあっても今の状況では難しいだろうという現実的な考えです。戦争は自分がしないと決心しても、戦争を仕掛けてくる国がいる限りなくならないし、核武装も一国だけが非核の誓いを立てても世界から核はなくならないからです。
イギリスの学校での歴史教育
イギリスには日本のような全国共通の教科書検定制度がなく、日本の学習指導要領を簡単にしたようなナショナル・カリキュラムと呼ばれる大まかな教育内容が学年別に決まっています。けれども、歴史など学校で教える内容には学校、また教師によってかなりばらつきがあります。
また日本との大きな違いとして、史実を学習して暗記するといったような方法ではなく、基礎的な史実を学習した上で論争的なテーマについて幅広い見解を紹介し、それを生徒が理解して自分なりに考えた上で、クラス討論したりエッセイを書くことにより、各テーマについて批判、評価する力をつけるのが目標となっています。
例えば、日本への原爆投下についてはおおむね「戦争の早期終結を図るため」という基本的な見解が記述されていますが、討論の素材として原爆投下に対する批判的な意見も紹介するといったように。倫理的、宗教的な観点から、また国際的な相互理解を深めるために、外国での考え方が記述されたりもします。
息子の中学校では第一次世界大戦の歴史学習の一環として、フランスやベルギーの戦地訪問の旅行がありました。戦地や墓地、博物館などを訪問して、第一次世界大戦の背景に始まり、戦争展開、軍の動き、戦争終結に至るまでを学習しました。その時オーストラリア兵の墓地を訪問したそうですが、どうして遠いヨーロッパにオーストラリアから兵が派遣されたのか、そのことについてどう考えるかなど、クラスで討論したそうです。また、そもそもこの戦争は必然だったのか、あれほどの死者を出す価値があったのか、などといったことも話し合ったと言っていました。
イギリスは苦しい戦況に陥ったこともあるし、多くの兵を亡くし民間人も厳しい生活を耐え忍びましたが、最終的には戦争(第一次世界大戦、第二次世界大戦)に勝った国です。勝てば官軍ということもあり、祖父母などに戦争の思い出を聞いても「戦争は大変だったが、我々イギリス人は力を合わせてヨーロッパをナチスから守った。」のようにヒーロー的な話が主になります。敗戦国日本とはしょせん戦争に対する記憶の在り方が異なるのも当たり前かもしれません。そういう意味では米国もイギリスのように「真珠湾でやられたから、原爆をぶちこんで日本をうちのめしてやった。」とカウボーイ的な感想で終始するのも自然なことかもしれません。
それでは、日本と同じ敗戦国ではどうなのでしょうか。
敗戦国ドイツの平和教育
敗戦国であるドイツは戦後、自国の戦争行為を率直に見つめ、被害者の戦後補償に取り組むだけでなく、歴史を繰り返さないよう平和教育に取り組んできました。ドイツの場合、歴史や政治教育を通じてナチスドイツ時代のことを年齢に応じた内容で何度も繰り返し習うそうです。学校での授業だけでなく、ドイツ各地にあるユダヤ人強制収容所記念館や資料館などを訪れて体験学習もします。
ホロコーストを含むナチス時代の歴史を学ぶことは、政治教育の一環としても大切であるとされます。ドイツの近代民主主義国家の一員としての自覚を促すのが目的です。自由民主主義の価値を大切にし、全体主義者が政権につくのを批判的に思考できる社会人を作るためなのです。
ヒトラーがどうやって権力を得ていったか、その結果社会がどのように変わったか、ナチスの犯罪について、犯罪の内容だけでなく、どうしてそれを国民が支持、または黙認したのか、というようなテーマについてクラスで討論しながら掘り下げていきます。事実だけを暗記するのでないところはイギリスと同じで、こうすることで生徒一人一人が自ら考えることができるのです。
ナチスが犯したホロコーストはその規模や残虐性などほかに類を見ないような残忍な行為だったのですが、自国が犯した罪について学習することは自虐的であり、国を愛する心を損なうのではないかという危惧はドイツにはないようです。というのも、自らの歴史を見直すことは、過去の失敗を繰り返さないための未来への教訓だとされており、そのような教育をするドイツと自分自身にこそ誇りを持つという考え方があります。
そういえば、ドイツに行くとナチス時代の歴史を語る施設がたくさん目につきます。わざわざザクセンハウゼン、ダッハウなどの強制収容所などに行かなくても、ベルリンの壁などにも戦争中の歴史の記述があります。イギリス人をはじめ、ヨーロッパの隣人の一般的な印象も、ドイツ人は戦後自国が犯した行為について率直に認め、真摯に向き合ってきているというもので、そのためか現代のドイツ人に特に悪い印象を持っている人はいないようです。それにはもちろん、ドイツが戦後民主的国家として再建し、1990年には東西ドイツの統合も果たしたこと、EUにおいても責任ある中心的な存在として機能し、国際的にも経済協力や難民受け入れなど積極的に役割を果たしてきたという実績もあります。経済力だけでなく、積極的に国際貢献をしてきたことが世界中で評価されているといえます。
日本の平和教育に必要なこと
平和教育の一番の目的は何でしょうか。私は過去に犯した過ちについて学び、それがどうして起こったのかを理解することによって、同じようなことが将来起きないように一人一人が考えることだと思います。
ただ「戦争は悪い」、「戦争で死んでいった人たちや苦しい思いをした人はかわいそう」という被害者の感情論で終わってしまったら、将来に役だつ建設的な学習にはなりません。
原爆にしても、原爆という兵器がそれまでのものとは違い、1発で多大な被害を与えること、放射能による長期にわたる苦悩をもたらすものであるという特殊性があるということで、唯一の被爆国として原爆や核の恐ろしさを伝えていかなければならないということはあるでしょう。けれども、どうして原爆を落とされるようなことになったのかとか、それを防ぐためにはどうしたらいいのかと一歩踏み込んで考えたい。
また、日本は戦争の被害者だっただけではなく、加害者であったことも子供たちにも率直に教えるべきです。これは何も軍や兵に限ったことでなく、それを煽ったメディアや、支持した一般国民も同様です。戦争は軍が、お上がやったことで一般民衆は命令に従っただけだという人もいますが、そういう軍部の行動を一般民衆もはじめは支持していたのです。新聞が嘘を書き立てたからだという人もいますが、初めからそうだったわけではないはずです。「大正デモクラシー」を謳歌した後の昭和日本は一応民主主義国家でした。
具体的に言うと、まず歴史上の客観的な事実を教えること。その時代の国民世論や社会経済の在り方などの背景も役立つはずです。日本がどのようにして戦争に至る道をたどったのか、それに対して国民世論はどのように変わっていったのかということを日清戦争の頃からたどらせ、日本が戦争に至る経過は不可避だったのか、そうでないとしたら日本はいつどこで舵とりをまちがったのかを考えさせる。
もし個々の史実について日本が事実だと認めているのと違う見解があれば(例えば従軍慰安婦、南京大虐殺などについての各国の見解)それもあわせて伝えるべきです。その上で生徒にそのような異なる見解について考えさせ、議論させればいいでしょう。
過去の戦争についての考察をさせた上で、今の日本が過去のような戦争に向かう道をたどる可能性があるかを考えさせるのが最終的な段階です。その時、戦争を安易に外圧、政府、軍、メディアといった「他者」のせいにするのではなく、一般日本人がどのように感じていたのか、自分がその時代に生きていたらどう行動しただろうかということを一人一人に考えさせ、その上で日本が過去のような道をたどらないためにはどうしたらいいのかということをクラスで討論させるといいでしょう。
まとめ
最近、愛国心を大事にするあまり、過去に日本が犯した過ちまで正当化したり、軽く解釈したりする風潮が目に付くようになりました。それには、子どもが自国に誇りを持つようにしたいという理由があげられていたりします。けれども、自国が行ったいいことも悪いことも含めて知り、過去に犯した過ちを再び犯さないためにはどうしたらいいかを考えることは、将来再び全体主義政権が誕生し、日本が戦争を行うような状況になることを防ぐために重要なことです。そして、そのような学習をする国であるということじたいが自分や自国に誇りを持てる根拠となるでしょう。
本来なら学校での平和教育だけでなく、戦争を実際に体験した人たちのじかの声も、今だからこそ聞いておきたいものです。戦前戦中のことをまだ覚えている最後の世代が今80代90代となっています。これまで戦争の悲惨さを伝える人は多くても、正直に自分もその戦争に加担していたという人は少なかったと思います。戦争から戻ってきた者も戦中に自分が行ったことは話さないことが多かったでしょう。戦後生き延びるためにはそれが必要だったのかもしれません。でも、今だからこそそういうつらい記憶も話しておいてくれまいかと思います。
日本が戦争に至るまでに一般日本人がどのような考えを持っていたのか、それはどのように変わっていったのか、ということを知りたいと私が思うようになったのはここ数年です。なぜかというと外国から日本を見ていて目につく事象が少しずつ変な方向に向かっているのを感じるからです。
たとえば「日本スゴイ」と持ち上げる風潮、(特定の)外国人を貶めカジュアルに差別する傾向、「愛国」を振りかざす勢力、そのような風潮を後押しするかのような政治家やメディア、個人の自由や人権(特に弱者のそれら)が軽視される世の中、不況や貧困による閉塞した社会状況など。
これらは少しずつ変わってきているので、普通に日本に暮らしている人は気が付かないのかもしれません。でも私のような浦島太郎が、たまに日本に帰って本屋に行くと「戦前」に通じるものを感じてびっくりするのです。今に「反日」または「憂国」が「非国民」「売国奴」と呼ばれる時代がくるのではないかというのが、私の考えすぎならいいのですが。