「ちびまる子ちゃん」で有名な漫画家さくらももこが死去というショッキングな知らせを聞いて呆然としました。まだ53歳という若さ、死因は乳がんということです。闘病についても8月15日の死亡や告別式についても8月27日まで公表されず、プライベートで表に出ることを好まなかった方らしい最期でした。さくらももこは以前「76歳まで漫画をかいていたい。」と言っていたのですが、その願いがかなわなかったことが残念です。
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さくらももこプロフィール
名前:さくらももこ(本名:非公開)
生年月日:1965年5月8日
死亡月日:2018年8月15日(53歳)
出身地:静岡県清水市
職業:漫画家、エッセイスト、作詞家
活動期間:1984~2018年
代表作:漫画『ちびまる子ちゃん』『コジコジ』
エッセイ『もものかんづめ』『さるのこしかけ』『たいのおかしら』
作詞『おどるポンポコリン』『走れ正直者』(西城秀樹)
公式サイト:さくらプロダクション
公式ブログ:さくらももこオフィシャルブログ
さくらももこ訃報発表
さくらももこの訃報は死後12日たった8月27日に「さくらプロダクションからお知らせです」というタイトルで発表されました。
さくらももこは、平成30年8月15日午後8時29分、乳がんのため永眠いたしました。(享年53)
これまで温かい応援をして下さったファンの皆様、お世話になりました関係者の皆様に深く感謝致しますとともに、ここに謹んでご報告申し上げます。
さくらは1984年に漫画家としてデビュー。30周年を迎えた際、次のような言葉があります。
「30年間、良い事も大変な事もいっぱいありましたが、私は作家としてとても幸せな月日を送らせていただいています。感謝にたえません。」(『さくらももこの世界展』「デビュー30周年を迎えて」より抜粋)
作品を描けること、それを楽しんで頂けることをいつも感謝していました。
これからも皆様に楽しんで頂けることが、さくらももこと私達の願いであり喜びです。
なお、通夜・告別式は、ご遺族の意向により親族・近親者のみにより執り行われました。
さくらプロダクションスタッフ一同
平成30年8月27日
さくらももこの乳がん闘病
さくらももこは1984年、短大大学中に漫画家デビューしてからずっと漫画を描き続けてきました。
その他にもミリオンセラーとなるエッセイや作詞も手掛け、つい最近まで精力的に活動していました。
乳がんで闘病中だったことは死後まで公表されておらず、ごく親しい人たちしか知らなかったようです。
ファンであり「ちびまる子ちゃん」に登場させたり、自らが作詞した『走れ正直者』を歌った西城秀樹が今年5月に亡くなった時は自らのブログに「ご冥福を御祈りします。」とコメントを寄せていました。
秀樹さんが亡くなってしまいました。
『走れ正直者』を歌っていただきとても楽しいテーマ曲になりました。
私たちの世代にとって秀樹さんは本当にスターでした。心から御冥福を御祈りします。
さくらももこ自身がこの3か月後には亡くなったことを考えると、この時に彼女はすでに乳がんの闘病中だったのでしょう。
けれども彼女は極秘で闘病を続け、病状を知っていたのは親族や極めて親しい友人、関係者だけだったということです。
さくらももこは漫画を通して読者を楽しませ、大切なメッセージを送ってくれました。
けれども彼女自身は表に出ることを避け、写真も撮られたくないと言っていたそうです。子供にも自分がさくらももこであることを明かさなかったとか。
自らの家族や結婚などのプライベートなことも公表しない人だったので、最期もそうでありたいとの願いからのことだったのでしょう。
私にとって、さくらももこは漫画の中のまる子ちゃんで十分です。
さくらももこへの追悼のメッセージ
さくらももこの訃報には作家仲間である吉本ばななからもコメントが寄せられています。
青春を共に過ごしたももちゃん、闘病は知っていましたが、いつも元気にメールをくれるから回復を信じていました。言いがたいほど淋しく、残念です。友だちとして、たくさんの楽しい思い出をありがとう。私たちの時代に、まるちゃんやコジコジをもたらしてくれて、ほんとうにありがとう。
『ワンピース』の原作者、尾田栄一郎もさくらももことは親交が深かったそうで、メッセージが寄せられています。
ワンピースのルフィとまる子の2ショットイラスト入りのメッセージです。
さくらももこ先生ご逝去に際し、尾田さんより追悼イラストが届きました。
対談はもちろん、プライベートでもほんとうに仲が良かったお二人。さくら先生のご冥福を心よりお祈り致します。 pic.twitter.com/2eE73Qixsn
— ONE PIECE スタッフ【公式】 (@Eiichiro_Staff) 2018年8月28日
海外からも「ちびまる子ちゃん」ファンの追悼の声
さくらももこの漫画はアジアを中心に海外でも人気がありました。中国、台湾、タイ、インドネシアなどにもさくらももこファンがいました。
各国語で『ちびまる子ちゃん』がテレビで放送されていて、それを見てファンになった人がいるのです。
中国や台湾など各国ではテレビや新聞のニュースにさくらももこの訃報が伝えられました。
Momoko Sakura, author of manga series “Chibi Maruko-chan,” died from breast cancer on Aug. 15 at 53 years old, her office announced on Monday pic.twitter.com/4B3giCCMHT
— CGTN (@CGTNOfficial) 2018年8月27日
漫画シリーズ『ちびまる子ちゃん』の作者さくらももこが8月15日に乳がんのため53歳で亡くなったと事務所が月曜日に発表しました。
このニュースを聞いて悲しむファンの声が各国語で次々に寄せられていました。
各国語、中にはアラビア語のものもありましたが、英語のものだけを翻訳してご紹介します。
インドネシアでは90年代、子どもはみんなこのアニメを知っていた。RIP
子ども時代のお気に入り番組だった。
とっても悲しいけど漫画に彼女の魂は生き続けるね。
『ちびまる子ちゃん』を見て大きくなった。私の生活に喜びをもたらしてくれた。
若すぎる。。。RIP
子供時代の一番好きなアニメだった。DVDコレクションも持っている。RIP
さくらももこの生前の願いは
以前、読者の「さくら先生の将来の夢は?」との質問に答えてさくらももこはこう言っています。
76歳のおばあちゃんになるまで元気でいたいというそのイラストはいかにもさくらももこらしく、これを見たときは私もきっとそうなるに違いないと思っていました。
彼女は70や80のおばあちゃんになってもチャキチャキと漫画を描いているだろうと。
その夢がかなわなかったことが残念でならないし、さくらももこにとってもさぞ無念であったのではないかと思います。
さくらももこの死因である乳がん
さくらももこがかかった乳がんは日本人女性がかかるがんで最も多いものです。
女性が一生の間に乳がんになる確率は11人に1人ということなので、かなり高い確率です。
乳がんは30歳代以降、中でも40歳代~50歳代の女性が多くかかり、日本では年々患者数が増えています。
乳がんは40歳~50歳代の女性にとって最も多いがん死亡原因だと言われています。
乳がんの発生要因には肥満、飲酒、喫煙、運動不足などからくる生活習慣など様々なものがありますが、最も大きなリスク要因は遺伝的なものと言われています。
血縁者、特に一親等に乳がんにかかった人がいる場合は発症率が高いのです。
乳がんは悪性の乳腺細胞が増殖したもので、早期発見できたら完治することが高い病気です。
2センチ以下のしこりでリンパ節への転移がない状態なら約90%が完治するし、がんが小さいうちなら乳房を前部取る手術をすることなしに治療ができるのです。
早期発見のためには、セルフチェック(自己検診)や定期健診を心がけたいものです。
有名人で乳がんにかかった人といえば、小林麻央が2017年6月に亡くなったのはまだ記憶に新しいですね。
他にも元キャンディーズで女優の田中好子が2011年に55歳で、ちびまる子ちゃんのお姉さん役の声優の水谷優子も2016年に51歳で亡くなっています。
絵本作家でエッセイストの佐野洋子は2010年に乳がんのため72歳で亡くなりました。
一方、乳がんにかかったものの、手術や治療で治った有名人も数多くいます。
漫画家の柴門ふみは定期健診でがんが見つかり手術して回復。
女優の南果歩も人間ドックがきっかけで乳がんが見つかり、2016年3月に乳がんステージ1の診断により手術を受けたことを自身のブログで公表しています。
まとめ
さくらももこは同世代なので『ちびまる子ちゃん』の世界は私が子供だった時と重なります。『ちびまる子ちゃん』の漫画は大人になってから読んだのですが、子どもの頃の記憶がよみがえってきてとても懐かしいのです。
それにしても感心したのは、さくらももこが自分が子供だった頃のことや、その時の自分の気持ちを良く覚えているなということです。そのおかげで私もきっかけをもらって、自分自身の子どもの頃のことをふっと思い出せることもありました。
さくらももこは子供の頃の気持ちを大切にしたまま大人になった人なのでしょう。そして、おばあちゃんになってもそのままであったであろうにと思うと残念でなりません。
若いころは人の死を自分の死と結び付けて考えることがありませんでした。けれども、最近は同世代の人が亡くなると自らの寿命について考えてしまいます。
人生100年とも言いますが、人によってその長さはさまざま。病気でなくても、交通事故で明日死んでしまうかもしれないのです。そう思うと一日一日を悔いなく生きていきたいと思います。
というと何だかしゃちほこばって聞こえますね。私の場合、とにかくつまらないことで思い悩むことはせず、なるべく嫌なことは避けて自分が幸せと思えることをして「楽な」生き方をしようということです。
(敬称略)
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