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東京五輪ボランティア募集はブラック、学徒動員、やりがい搾取か

アテネオリンピック競技場

2020年の東京オリンピック・パラリンピックをサポートするためのボランティア募集が9月から始まります。五輪ボランティアに関しては「やりがい搾取」「強制」「学徒動員」「ブラックボランティア」「ただ働きではなく報酬を払うべき」と否定的な意見が目につき、必要となるボランティアを確保できるのか懸念の声が広がっているようです。何が問題なのでしょうか。またロンドンなどこれまでのオリンピックではどう対応していたのでしょうか。


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東京五輪ボランティア

東京五輪・パラリンピックボランティア募集が2018年9月中旬から12月上旬まで行われます。

必要なボランティアは大会組織委員会の大会ボランティア8万人。これに東京都都市ボランティア3万人を合わせて合計11万人。

大会ボランティアの募集要項は次のとおりです。

大会ボランティアには交通費を補助する名目で活動1日当たり1000円のプリペイドカードが支給されます。これは、自宅からの距離や交通費に関係なく一律で1日1000円ということで、交通費以外にも使えるカードになる方向です。

なお、東京都の都市ボランティアは活動期間が述べ5日間以上で一日5時間程度となっています。

ボランティア募集のため、夏に広瀬すずを起用したPR映像で呼びかけ、テレビCMとしても放送されます。また、全国各地の大学で説明会を開いたり、活動を紹介したチラシを配布。

オリンピックボランティア募集に関しては教育的な意義があるとして主に学生を集めたいという意向があり、文部科学省とスポーツ庁は大学や高等専門学校に対しオリンピック開催期間の授業や試験日程を弾力的に変更できるように要請しています。学生がボランティアに参加しやすいよう、五輪開幕前までに授業や試験を終えたり、ボランティアで授業を欠席する場合は公欠とするなどの取り組みを検討するところもあります。

ボランティア募集について学生や一般の人はどう考えているのでしょうか。

「ブラックボランティア」「やりがい搾取」「学徒動員」?

インターネット上では五輪ボランティア募集について「やりがい搾取」「強制」「学徒動員」「ブラックボランティア」「ただ働きではなく報酬を払うべき」など、批判が目に付きます。「4000億円以上のスポンサー収入がある巨大な商業イベントなのにスタッフが無償なのはおかしい」といった意見もみられます。また、今年の過酷な夏の期間中には酷暑の中でのボランティアに懸念を持つ声も多く出ていました。

また「オリンピックボランティアに応募するつもり」という個々のツイッターメッセージの文章がコピペのように似ていて、「ボランティア推進」のために工作されたのではないかという疑惑も話題になっていました。

長野冬季五輪のときのボランティアは約35,000人でしたが、この時は地元の自治会や消防団、婦人会といった地域団体からの協力があったそうなので、純粋なボランティアばかりではなさそうです。さらに、運転手が足りなくなった時に企業や自治体を通じて半強制的にボランティアをさせられた人が少なくなかったと聞いています。1964年の東京五輪の時も企業や大学を通じて人員が集められたということです。

こんなことでは必要なボランティアの数が集まらないのではないかという懸念もあるようです。

そこで、ちょっと「ボランティア」のそもそもの意味について考えてみましょう。というのも、イギリスで考える「ボランティア」と日本のそれはどうも食い違いがあり、わたしには日本で繰り広げられている五輪ボランティアについての議論は論点がずれていると感じられるからです。

ちなみに個人的な意見でいうと、私はもともとスポーツ観戦やオリンピックといったものに興味がありません。特にスポーツとナショナリズムが一体となったイベントはそうで、オリンピックやワールドカップなどといったものに関心がないため、特に詳しくはありません。

東京オリンピック・パラリンピックについてもどうして誘致したのかという背景もよく知らないし、開催する必要があるのかどうか今でも疑問に思っています。それでも自ら名乗り出て誘致し、その結果選ばれて開催することは決まったのですから、どうやってスムーズに行うかは建設的に検討する必要があるのではないかと思います。

ボランティアとは何か

まずは、そもそも「ボランティアって何?」ということから考えてみましょう。「ボランティア」の英語 ‘volunteer’ は「自発的に行う」という意味で、一般的には自由意思で社会や他者のために活動する行為のことを指します。イギリスで「ボランティア」という言葉が使われ始めたのは17世紀で、もともとは自分たちの地域を自分たちで守る志願兵のことを意味しました。徴兵や職業としての兵ではなく、自らの意志で志願した兵ということです。

イギリスでは、1人1人が自分が興味を持ち自ら「やりたい」と思うこと、各自がそれぞれ重要だとする課題について「自分も何か力になりたい」と思う活動に自発的に取り組む(=volunteer)ことが社会や生活の一部となっています。それは、義務や強制ではなく自分がしたいと思うから好きでやっているのであって、その活動に報酬は求めず、たとえ自分がその費用を負担してもやりたいというものになっています。

ボランティア活動は実に幅広く、環境、福祉、教育、医療、文化・芸術、スポーツ、国際協力などさまざまな分野にわたって個人が自分に興味ある活動に取り組んでいます。活動分野は何であれ、各自が自発的に興味を持った課題について取り組むことが本来の「ボランティア」精神につながります。義務感からではなく自分がそうしたいからするという自覚が一市民として社会を支える基盤につながるといった考えなのです。

そして、ボランティア活動は決して義務感とか悲壮感をもって我が身を犠牲にして黙々と行うものばかりではありません。自分もそれなりに楽しみ気楽に行える活動を生活の一部として自然に行うというのが普通です。そして、その活動を通して自らも様々な気づきや体験を得て成長したり、達成感や充実感を得たり、他者や社会とのつながりを感じたりといったベネフィットを感じているのです。

日本ではこの「ボランティア」という言葉が「奉仕活動」とか「慈善活動」というようにとらえられているようです。イメージとしては「奇特な人が行う善行」という感じではないでしょうか。日本で「ボランティア精神」が語られるとき、もともとの意味の「自発的」の部分が語られず「善行」とか「奉仕」の面ばかり強調されるような気がします。ボランティアは「奉仕活動」というイメージが先行するためか、災害時の救済活動がボランティアの主なものになっている感があります。

イギリスのボランティア

イギリスでのボランティア活動は災害時の救助活動とかオリンピックなどの大イベントだけではありません。地域のコミュニティー活動とか学校や宗教団体、NGOを通じての小規模な活動にも参加の機会はたくさんあり、老若男女問わず何かしらのボランティア活動をしている人はたくさんいます。もちろんすべての人がボランティアをしているわけではなく、日々の生活に精一杯の人はそういう余裕もないでしょう。けれども社会や他者に対して何かしらの貢献をしたいと思う人はかなりいるようです。

たとえば学校のPTAにしてもイギリスではすべてボランティアでまかなっていますが、希望者がそれだけいるから成り立っているのです。学校関係だけでも、子どもが行うスポーツ行事のコーチ、試合の審判、運営サポートや音楽活動をサポートしてくれる人たちなどボランティアの方々によくお世話になってきました。

地方自治体(市や県)の市会議員や県会議員もすべてボランティアで議員は原則無報酬、交通費などの経費しか受け取りません。国会議員や大臣となると報酬はありますが、その額はそう多いものではありません。

イギリスでは私も及ばずながら様々なボランティアをしてきました。イギリスに来てすぐまだ英語もおぼつかない時にグラウンドワークトラストという環境保護団体NGOのボランティアで田舎のフットパス(散歩道)や荒れ地の整備をしたりもしました。泥だらけになる肉体労働でしたが、その団体の活動目的を支持していたし、同じ志向をもつ友人ができたのもいい思い出です。そういう時は手弁当で現地までの交通費もすべて自己負担でした。何かの時の保険だけはNGOが用意していたはずです。

2012年ロンドン五輪

そんなイギリスで2012年にロンドン五輪が開かれたとき、五輪イベントサポートのボランティアの募集をしたところ、応募が殺到して競争率は数倍となりました。

ボランティア7万人を募集したところ、25万人の応募があったのです。あまりに応募が殺到したので、募集団体がわざわざ「ボランティアと言っても有名なアスリートをエスコートするより交通整理をする可能性の方が高いんですよ。」と事前に説明しなければならないほどでした。応募者はロンドンだけでなくイギリス中から老若男女問わずあり、最高年齢は90歳代の男性だったそうです。

この25万人の応募者の中からまず書類選考で約10万人が選ばれました。その人たちを対象に30分の面接が2011年のはじめに行われ、その中から7万人のボランティアが選ばれるといった狭き門だったのです。

ロンドン五輪のボランティアの条件は東京五輪を含むほかのオリンピックボランティアのものと原則として同じです。ユニフォームや活動中の食事は提供されますが、ロンドンまでの交通費や宿泊費は支給されません。ロンドン市内を移動するためのオイスターカード(公共交通機関のパス)は支給されそれを使って会場間を移動することができました。

ロンドン五輪では、語学や医療など専門性のある人材でも無償でボランティアをしていました。たとえば、ボランティアのうち約5千人が医師や看護師などの医療スタッフでした。

ロンドン五輪でボランティアをした外科医アリン・サハはボランティア経験を忘れることのできない貴重な体験と語ります。

「ロンドン五輪でのボランティア体験は素晴らしいものだった。こちらからお金を払ってでもやりたいものだった。」

ロンドン五輪ボランティアの参加理由はただのスポーツ好きとか愛国心があるというよりは、歴史に残る一大イベントに参加してその一翼を担いたい、他者と一丸となって何かを成し遂げたい、または日頃と違う体験を通して自身を成長させたいといったものが主なものであったようです。または単にお祭り騒ぎを楽しみたい、人と出会いたい、履歴書にボランティア活動歴を書いて就職に有利にしたいという人達もいました。

ボランティアが無償なのはなぜか

日本では、オリンピックは巨大な商業イベントで莫大なスポンサー収入があるのだからボランティアにも報酬を支払うべきだという主張がたくさん見られますが、それは論点が少しずれているように思います。というのも、オリンピックというものはプロ野球やプロサッカー、アーティストのライブやコンサートとは根本的に違うのです。

オリンピックのもともとの精神として、プロではなく無報酬のアマチュア選手が競う大会であるというものが原則としてあります。もちろん、今では膨大なスポンサー収入があるし、アスリートにも様々なスポンサーがついているわけですが、オリンピックはそれでもこのアマチュア精神を尊重しています。このことからIOC国際オリンピック委員会としてはボランティア精神を促進するために、大会をサポートするのはホスト国のボランティアが行うのを基本としているのです。五輪ボランティアに報酬を払うか払わないかは金額の問題ではなく、ボランティア精神の問題としています。

最近、IOCは開催都市がどこであれオリンピック運営の形式をおおむね一定化していて、それはボランティアの活動内容や条件も同様です。なので、ボランティアについてもその規定はどの大会/国でも同じようになっていて、東京五輪でだけ条件を変えるわけにはいかないのです。(前回の東京オリンピックはずいぶん前なので、この条件がちがっていました。)

IOCの五輪ボランティアの規定に従えば、原則として、開催都市までの交通費や滞在費はボランティアの自己負担となり、提供されるのは開催都市内での交通費とボランティア活動中の食事、ユニフォームやトレーニング、保険といったものだけになります。

イギリスやオーストラリアではボランティア精神が社会に根付いているため、ボランティア募集に何の問題もなかったのですが、そうではない国、例えば中国やギリシャ、ブラジルではボランティア確保に問題が起きるのではないかと心配されていました。ボランティア文化がないだけでなく、経済的に貧しい国では国民が無償で働く余裕がないからという理由です。それでも、結果的にはこれまでの五輪ではボランティアが問題なく確保されてきました。

2000年シドニー五輪の場合ボランティアは4万人しかいませんでしたが、シドニーオリンピックに参加したボランティアの中には規定されたボランティア期間が過ぎても、もっと働きたいと言って怒り出す人まで出てきたのだそうです。ちなみに、シドニーオリンピックのボランティア4万人に報酬を与えたとすると、6000万ドル(約67億円)の費用が必要になったはずだと計算されています。

ギリシャの場合、自国の経済は低迷してはいるものの、さすがオリンピック発祥の国、2004年アテネ五輪のボランティアは12万人のうち4万人が海外からの応募だったそうです。

2008年北京五輪は過去最多の75,000人の大会ボランティアに加え、都市ボランティアを40万人動員しました。

2016年のリオ五輪・パラリンピックではロンドンと同じ7万人のボランティアが募集され24万人もの応募がありましたが、そのうち10万人は海外からの応募でした。リオ五輪では財政難、治安、ジカ熱などさまざまな問題があり、ボランティアの数も最終的には5万人に減らされました。それでも、突然のハプニングにも明るく臨機応変に対応する国民性もあって五輪は無事に終わりました。

こうしてみてみると、これまでの五輪ではボランティア募集はうまく行っているようです。東京五輪ではどうなるのでしょうか。

東京五輪のボランティアはどうなる?

メディアやインターネットでのさまざまなコメントを見ている限り、これまでの五輪開催国のボランティア募集の盛り上がりに比べ、東京五輪の場合は対照的な低迷ぶりを見せているようです。自発的にボランティアをやりたいという人も一定数いるはずとは思うのですが、その声はあまり聞こえてきません。

ボランティア募集に批判的な人は何のために批判しているのかその目的もよくわかりません。いやなら自分が応募しなければいいだけで、したい人はほっておいたらいいのではないでしょうか。人は人、自分は自分、考え方が違って当たり前。自分の考えと違う行動をする他人を批判する理由がわかりません。

あまりに批判的な意見が多く「ブラック」とか「学徒動員」といったレッテルを張られてしまったため、ボランティアしてみようかなと思っていた人まで、そんなことをすると「変な人」と思われそうとか、親や友人に「やめておけ」と言われそうだと尻込みをしてしまうような雰囲気になってしまっているのも問題ではという気がします。

五輪ボランティア募集に批判的な人は東京五輪開催そのものに対して批判的なのかもしれませんね。最近のオリンピックは商業主義になりはててしまい、当初のアマチュア精神などはどこにもないという意見もよく聞かれます。こういう人たちは東京五輪誘致の時にも反対していたのでしょうか。

とはいえ、東京五輪までにもうあと2年もありません。もうやることは決まってしまったのですから、今さら「やーめた。」というわけにもいかないでしょう。何とかスムーズにいくように検討するしかないと思います。それにはどうしたらいいのでしょうか。

ボランティア募集はこうするべき

まず「ボランティア」のもともとの意味の「自発的」な精神にこだわることから始めてみてはどうでしょうか。自分からやりたい人だけがやればいいわけなので、参加を強いられる空気を作ってはならないでしょう。そもそも日本には企業や家族親族、地域社会、世間へのコミットメントを見えない同調圧力で強いるようなところがあります。女性による家族への無償奉仕への期待などもこれに入るかもしれません。こういう圧力が社会に浸透しているため「ボランティア」と言われても、ただ働きを強制される感がぬぐえないところがあるのかもしれません。こういう「やらされる感」を払拭する必要があります。

これについては東京五輪ボランティア募集のそもそものキャンペーン方法がずれていたと言わざるを得ません。大学生を参加させたいばかりに行政の意向に大学が沿うように無償の人材派遣を強いるようなやり方では学生は尻込みしてしまうでしょう。

オリンピックの本来の意味での「ボランティア」の精神や意義を説明し、もっと積極的にこの国際的な一大イベントを楽しむ雰囲気を盛り上げるようにするべきではないでしょうか。これまでのシドニー、ロンドン、リオなどの五輪ボランティアの感想を紹介し、ボランティアが経験したポジティブなベネフィットを知らせることも必要です。たとえば、五輪ボランティアを通しての人生経験、達成感、共に活動する人々や世界各国からのアスリート、訪問者との出会い、東京にいながら国際的なイベントに参加する喜び、一大イベントを間近で見られる一生の思い出、将来に役立つ体験など。

ボランティアを「労働」ととらえるのではなく、貴重な「経験」としてとらえてもらうのです。お金のために働くのではないのですから。また、ボランティアをすることによって得られる社会的な評価といった面をもっと肯定的に説明してもいいのではないでしょうか。就職や昇進の際に有利になるとか、社会的なつながりができる可能性があるということも。もっというと「すてきな人や仲間と出会える」かもしれないし、婚活の機会になるかもしれません。

また、ボランティアというものは自らを犠牲にして尽くすといったような考えではなく、もっと気軽に自らも楽しみながら活動するという点も強調するべきです。実際、イギリスなどで広い意味でのボランティアをする人はみんなそうしているし、そうでないなら続きませんから。その観点から、運営側もそれぞれのボランティアの人が最上の体験ができるよう、たくさんのベネフィットを感じることができるように配慮することが大切です。

何より、ボランティアだからといってブラック企業のような過酷な条件で働かせることだけはないように運営側は気をつけなければなりません。無償だから、いやそれだからなおさら、事前の研修や活動中のサポートはしっかり提供し、仕事の量や質、環境に留意してそれぞれのボランティアの希望をできる範囲で尊重しながら仕事内容を決めるべきでしょう。特に心配されている酷暑の中での労働については、各ボランティアの労働環境が過酷なものにならないように十分な配慮が必要です。

それからボランティアの対象についてですが、学生を主にリクルートしたい意向があるようで大学生、最近では中高校生の参加も促すということになっています。けれども、一般の社会人や退職後のシニア層のボランティア応募についてはあまり熱が入っていないように見受けられます。社会人は仕事があるので難しいにしても、定年後の60歳代なら時間や体力にも余裕があるはずだし、年齢制限に上限はありません。1964年の東京五輪を覚えている人もいるでしょうし、参加への意気込みもあるのではないでしょうか。シニア層にもっと積極的に働きかけてもいいのではと思います。もしかしたら酷暑という厳しい条件下で働くのは若者の方が適しているとの意図かもしれませんが。

また最近の傾向をみてみると、東京五輪でボランティアをしたいという外国人もかなりいるのではないでしょうか。日本を訪問する外国人数は増える一方だし、旅行がてらオリンピックボランティアをしたい人もいるでしょう。日本国籍がなくても2週間ほど日本に滞在する在留資格があればいいわけなので短期滞在ビザさえあれば可能です。東京での滞在費はかかりますが、その費用を払ってでもボランティアをしたいという人はいると思います。その場合、日本語ができないボランティアを採用するとなると、英語、中国語、韓国語など多言語の通訳、またはマニュアルが必要となるので、その用意をしなければなりません。

まとめ

もともとオリンピックに興味がないため、東京五輪のことも関係ないやと思っていた私ですが、ボランティア募集の件であまりに批判的なコメントばかり目に付くのでこの記事を書くきっかけになりました。

【追記】

東京五輪・パラリンピックのボランティア募集が始まった当初はオンラインサイトの不具合が問題になっていました。応募者が登録しようとしてもすごく時間がかかったりエラーになったりしてスムーズにいかなかったようです。

けれども、結果的には募集期間が終わらないうちに11月20日時点で目標の8万人を突破し8万1035人となったことが発表されました。このうち、外国人が44%に上がったとのことで、海外からの関心がかなり高かったことが伺えます。男女比は男性40%、女性60%で、活動日数は10日を希望した人が33%、11日以上が65%とほとんどのボランティアが長期の活動を望んでいるそうです。

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