Last Updated on 2020-06-10 by ラヴリー
去年の秋、中2になる子供の歴史の授業について紹介しました。(イギリスの中学校の歴史の授業がおもしろい)今学期は違うテーマで勉強しているというので、今回の歴史テーマ「テロリズム」について紹介します。
Contents
テロリストか自由の闘志か?
まず、学期の一番はじめに宿題が出ていました。
宿題には、4人の名前と写真が載っていて「この人はテロリストですか、それとも自由の闘士ですか。」という質問があり、それについて答えるようになっています。
4人の名前は
・ガイ・フォークス(Guy Fawkes)
・エミリー・デイヴィソン(Emily Davison)
・ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)
・マーティン・マクギネス(Martin McGuinnes)
ネルソン・マンデラは有名ですが、他の3人は知らない人もいるかもしれないと思うので、簡単に説明します。
(本当はそれぞれ語りきれないくらいのストーリーがあるので、興味ある方は参考記事を見るか、調べてみてください。)
ガイ・フォークス(Guy Fawkes)
ガイ・フォークスは16世紀の終わりに生きたカトリック教徒です。
その当時イギリスではプロテスタントのジェームズ1世が王位に就いており、カトリック教徒を迫害していました。
彼は1604年にジェームズ1世を暗殺しようと企むカトリック・グループに加わりました。王と政府要人を殺害するためにウエストミンスター宮殿の議事堂を爆破する計画をたてたのです。しかし、爆破のため地下室に火薬を貯蔵しているところを見つかり逮捕され、陰謀に加担した他の罪人とともに処刑されました。
この事件後、王が無事であったことを感謝する日を11月5日とされ、この日は今でも「ガイ・フォークス・ナイト」と呼ばれて焚き火や花火を伴う祝祭がイギリス中で行われます。大きな焚き火を作って、ガイ・フォークスの人形を投げ込んで焼いてしまうという、考えようによっては残酷なお祭りが今でも繰り返されているのです。
エミリー・デイヴィソン(Emily Davison)
エミリー・デイヴィソンはサフラジェットと呼ばれるイギリスの女性参政権運動のメンバーです。
投石や放火といった過激なキャンペーンのため、何度も投獄された強者運動家でした。収監中にはハンガー・ストライキを行い強制摂食を受けました。
最後にはダービーで国王の馬の前に飛び出て悲劇的な死を遂げました。
リーダーのエミリン・パンクハーストをはじめとするサフラジェットたちの運動やエミリー・デイヴィソンの死は政治家や一般人の女性参政権についての関心を集めることに成功しました。
サフラジェットたちは第一次世界大戦中の戦時協力によってその支持を確定的なものにして戦後イギリスで女性参政権が与えられることになりました。
ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)
ネルソン・マンデラは南アフリカ共和国で反アパルトヘイト運動に参加し1964年に国家反逆罪で終身刑の判決を受けます。
27年に及ぶ獄中生活では大学の通信制課程で法学士号を取得しアフリカーンス語を学習しました。また、獄中にあって解放運動の象徴的な存在とみなされるようになり、マンデラの釈放は全世界から求められるようになりました。
1990年に当時の大統領デクラークはマンデラを釈放。そして彼は翌年アフリカ民族会議(ANC)の議長に就任しました。
1994年には南アフリカ初の全人種参加選挙が実現しマンデラは大統領に選ばれます。そして、1999年に引退するまで国民統合に尽力しました。
マーティン・マクギネス(Martin McGuinnes)
マーティン・マクギネスは、英国領である北アイルランド、デリー(ロンドンデリー)出身です。
カトリック教徒の貧困層として育ったマクギネスはプロテスタント系住民から差別を受けて育ち、北アイルランドをアイルランド共和国と統合させることを目的とした過激グループ IRA(Irish Republican Army) に加入します。
IRAといえば1970年台から90年代にかけて北アイルランドやイギリスでテロ事件を起こし死者もたくさん出したテログループ。
彼はそのIRAを内部から説得し武力闘争をやめさせ、プロテスタントのユニオニストと呼ばれるイギリス友好派と協力することに尽力。
かつての旧敵イアン・ペイズリーとともに和平交渉を成し遂げ、北アイルランド政府の副首相(ペイズリーが首相)となりました。
授業の進行
授業では、先生手作りの小冊子を読んで、それぞれの人物がいつどこで何をしたのかを学びます。その歴史的背景やそれぞれの人物がとった行動についてその理由や結果的にどうなったのかも知ります。
その上で、それぞれの人物が「テロリスト」なのか「自由の闘志」であるのかを生徒たちが自分自分で考え意見を出し合います。ただ歴史上の人物の名前や年代を覚えているだけでは話し合いになりません。歴史上の出来事をその背景も含め学習しておかないと授業では置いてけぼりにされてしまいます。
話し合いのルールは一応あって、それは下記の通り。
- 自分の意見を言うときはその理由まで説明する。
- 自分の意見と違っていてもほかの人の意見をきちんと聞く。
- ほかの人の意見と見解が異なるときは、どの点がどうして同意できないのか、相手にわかるように説明する努力をする。
一連の授業が終わったあとで聞いてみました。
「それでこの4人はテロリストということになったの、それとも自由の闘志なの?」
それは一概には言えなくて授業でも様々な意見が出たそうです。
そして、先生は口出しをせず、それぞれの生徒の意見を聞いた後、最後に
「正解はない。なぜならそれぞれの人の立場や味方によってテロリストであるか自由の闘志であるかはちがってくるからだ。」と答えたそうです。
この授業で使われた小冊子には2016年、イギリスEU離脱の国民投票の直前にEU離脱派で移民に反対していた住民に殺害されてしまったEU残留派国会議員のジョー・コックスについても触れられていました。そのことについても、また今も続く北アイルランド問題についても話しあったそうなので、日ごろから生徒が政治に関心を持つようになるだろうと察します。
現にうちの子も以前はそういうことに興味がなかったのに、最近はメイ首相や野党のコービン党首の言動に興味をもったり、トランプ大統領のTwitterを読んだりするようになりました。友達同士でそういう話題が普通に出てくるようです。「トランプがまたバカなこといってるよ。」みたいな。
思えば、私が日本の中学、高校時代に勉強した歴史とは、年代と歴史人物や出来事の名前を丸暗記するような物でした。「なんとりっぱな平城京で710年」とか。
それに比べて、イギリスで学ぶ歴史はストーリーとして身につくので、細かい年の誤差はあるにせよ、大まかな歴史の流れを理解するようになります。こういうやり方だと、一度教わった知識は簡単には忘れないし、第一歴史の勉強が「事実は小説より奇なり」感覚で、面白そうです。
そして、ごく最近の出来事にまで触れられているので、今現在起こっている政治社会事象にも興味を持つようになり、歴史の勉強が「昔起こった、今の自分には関係ないこと」ではなくなります。
うちの子が一番好きな教科が歴史であることがよくわかります。
私だってこんな授業なら歴史が好きになっていたと思いますもの。
司馬遼太郎の本を読んでいるようなものかも。