北アイルランド問題:ジェリー・アダムズがシンフェイン党首を退いた日

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Gerry Adams

シン・フェイン党の党首、ジェリー・アダムズが引退しました。1983年から34年間党首を務めてきたジェリー・アダムズの引退は、去年の3月のマーティン・マクギネスの死と共に、北アイルランド紛争の主役IRAの時代の終わりを象徴するようです。北アイルランド問題というと日本人には遠いお話かもしれませんが、イギリス人にとってはついこの間まで命にもかかわる重大問題でした。この紛争の原因や歴史、解決に至った経緯についてわかりやすく簡単に説明してみようと思います。

北アイルランド紛争とは

UK & Ireland

北アイルランド紛争について説明する前に、知らない人のために北アイルランドがどこにあたるのかを一応説明しておきます。

イギリスの正式名称が「グレート・ブリテンと北アイルランド」ということからわかるように、上記の地図でいうと黄色の部分がイギリス全土です。グレートブリテン島のイングランド、ウエールズ、スコットランドだけでなく、その西にあるアイルランド島の北東部分「Northern Ireland」と表記されているところもイギリス国家の一部です。そして、残りのグレイの部分が「アイルランド」(または「アイルランド共和国」)という別の国です。

北アイルランド紛争とは、イギリスに属する北アイルランドで長年において続いてきた問題です。北アイルランド紛争を英語でいうと「The Northern Ireland Conflict」 ということになります。けれどもイギリスやアイルランドでは、ただ単に「The Troubles 」と呼ばれることが多いです。こちらでは、すでに固有名詞がいらないほどの問題となった紛争なのです。

この紛争については、歴史の解釈や政治的、宗教的見解によってもさまざまな見方があるし、複雑な歴史があるため、簡単には説明できないところもあるのですが、わかりやすく一言でいうとこういうことです。

「北アイルランドというイギリス国に属する地方をめぐって、アイルランド統一を目指すカトリック系住民(リパブリカン)とイギリスへの存続を願うプロテスタント系住民(ロイヤリスト)が対立し、暴力やテロ行為に発展し、それにイギリスの治安当局や政治家が絡んでさらに複雑になっていった紛争。」

これには、リパブリカンの武装組織、ロイヤリストの武装組織、北アイルランド警察(RUC)、イギリス軍、政治活動家、市民運動グループ、国内外の政治家が複雑にかかわりました。1960年代から80年代にかけては北アイルランドだけでなく、アイルランドやイギリス本土でもテロ活動があいつぎ、一般イギリス人にとっても対岸の火事とは言えない大問題だったのです。

約30年にわたる相互テロで、合計3,600人以上の死者と多くの負傷者が出た上、イギリス本土でもテログループによる爆破や爆破予告により社会生活にも影響を受けるほどでした。双方の敵愾心はエスカレートし、政治的解決も泥沼化し一時は絶望的に見えた状況でした。けれども、関係者や政治家の努力により少しずつ話し合いが進み、1998年にようやく和平合意が成立したのです。

世界中で民族、宗教、文化などの違いによる対立が後を絶たない中、これほどの紛争が平和に向かった近代史は奇跡といってもいいでしょう。どうして平和が実現したのか、その歴史を見ていきたいと思います。

北アイルランド紛争の歴史

北アイルランド問題がテロ活動に発展したのは主に1960年代からですが、これは歴史をずっとさかのぼる、イギリスとアイルランドの因果関係に端を発しているのです。

12世紀以降のイングランドによるアイルランド侵攻

イングランドによるアイルランド侵攻は12世紀から始まりました。後に北アイルランドとなるアルスター地方だけでなく、アイルランド島全部がイングランドの支配下となったのです。それ以来、イギリスからアイルランドに移民が移り住み始めましたが、その多くはアルスター地方に住み着きました。これらの移民はイングランド系、スコットランド系のプロテスタント信者が主でした。

アイルランドは長くイギリスからの独立を目指しており、16世紀にはアルスター蜂起が起こりましたが、イギリス軍に鎮圧されました。カトリック教徒の多いアイルランドでは、プロテスタントのイギリスに反発して、17世にカトリック教徒の反乱が起こりました。これを鎮圧するため、クロムウェル率いるイギリス軍がカトリック教徒を弾圧し、カトリック対プロテスタントの対立がより激しくなっていきます。

アイルランドの独立と北アイルランド離別

1789年のフランス革命などに影響され、イギリスの支配から独立しようという民族運動がおきたアイルランドでは「ユナイテッド・アイリッシュメン」という組織がプロテスタント住民に対する攻撃を行いました。それに対抗してプロテスタント側は「オレンジ・メン」という武力組織を結成します。

19世紀の終わりごろからイギリス政府はアイルランド独立のための自治法案を提案しますが、アルスター地方のプロテスタント系住民は独立に反対しイギリス領に残ることを主張しました。そして、彼らはオレンジメンを中心にアルスター義勇軍という軍隊を結成します。

1914年にアイルランド自治法が提案されましたが、第一次世界大戦により凍結されました。これに反発して、1916年にイースター蜂起が起きましたが、イギリス軍に鎮圧されます。

1919年にはアイルランド共和軍(IRA=Irish Republican Army)が結成され、アイルランド独立戦争がはじまります。この結果、北アイルランドの北部6州をのぞく南アイルランド26州が英国王を元首とするアイルランド自由国となりました。

1938年英連邦内でのアイルランド自由国の独立が承認され、1949年にはイギリスから完全に独立したアイルランド共和国が実現します。しかし、北アイルランドはアイルランド共和国と離別しイギリス国の一部として残ったのです。

北アイルランドでのカトリックとプロテスタント住民の対立

イギリスの統治下として残った北アイルランドでは多数派のプロテスタント住民が少数派のカトリック住民に対して就職、住居、政治活動など様々な面で差別を行いました。それに反発するカトリック系住民はデモ運動などを行いましたが、プロテスタント系のアルスター警察(RUC=Royal Ulster Constabulary)に鎮圧されるようになりました。また、1966年にオレンジメンを中心として結成された非合法組織アルスター義勇軍 (UVF=Ulster Volunteer Force)による、カトリック住民に対するテロ行為が始まりました。

カトリック住民とプロテスタント住民の対立は悪化し、IRAやUVFのテロ行為も頻繁に起こっていました。1969年にはカトリック住民とRUCの間で暴動が発生したため、イギリス軍隊が派遣され警備につくことになりました。そんな中、1972年に血の日曜日(Bloody Sunday)と呼ばれる事件が起きたのです。これは、北アイルランドのデリー(ロンドンデリー)で平和的に行進していたカトリックの一般市民にイギリス軍隊が発砲して14人の死者を出した事件です。

その半年後、今度はIRAによる血の金曜日事件 (Bloody Friday) が起こります。ベルファストで20発もの爆弾によりイギリス軍兵士2人を含む9人の死者、130人の負傷者を出しました。これ以外にもIRAは北アイルランド、イギリス、アイルランドでテロ行為を繰り返しました。また、RUCとイギリス軍、アルスター義勇軍も攻撃やテロを行い、紛争はエスカレートしていきました。

IRAはテロ行為をイギリス本土で頻繁に起こすようになり、ロンドンやマンチェスターなどでの実際の爆破だけでなく、爆破予告により一般市民の生活も脅かされるようになりました。このころイギリス各地でIRAを名乗る者の電話通報による爆破予告で避難を促されたり、予告があった地域が閉鎖されたりといったことが日常茶飯事だったのです。

一方、サッチャー政権のテロリストグループに対する強硬な対応はIRA受刑者のハンガーストライキ死者10人を生むといった事件にも発展しました。

和平交渉

このように泥沼化していた状況の一方、和平に向けての努力も続けられていました。1977年には和平への活動を続けていた女性活動家2人がノーベル平和賞を受賞しています。北アイルランド内でも武力闘争やテロ活動に反対する住民も少なくありませんでした。

そんな中、1985年に英国アイルランド協定が調印され、北アイルランド問題の解決に向けた政府間の対話の仕組みが形成されます。双方の過激派組織が交渉の席につき、紆余曲折を経て1994年にIRAは停戦宣言をしました。

1996年には米大統領クリントンがミッチェル国際委員会を派遣し、1997年にブレア率いる労働党が政権を握ってからは、和平交渉がさらに進みました。そして、1998年イギリス、アイルランド、北アイルランド諸政党間において、包括的な和平合意となるベルファスト合意(Good Friday Agreement)が成立したのです。

2011年にはエリザベス国王がアイルランド共和国を公式訪問。2012年に即位60周年記念行事の一環としてきた北アイルランドを訪れた女王は元IRA司令官マーティン・マクギネスと歴史的な握手を交わしました。

その後も話し合いが続き状況は改善していき、解決が困難どころか不可能とも思われていた紛争に終止符が打たれたのです。

ジェリー・アダムズのかかわり

シン・フェインは政治政党でありIRAなどのテロリストグループとは異なると主張しています。けれども、シン・フェインとIRAの関係が密接であることを疑うものはいません。ジェリー・アダムズも自分では認めていませんが、IRAのテロ行為に関わってきたことは周知の事実です。

彼を北アイルランドを平和に導いたという人もいれば、テロリストだという人もいます。ジェリー・アダムズが引退するというニュースに関して、ツイッターではIRAによって殺された人の写真と共に「killed by IRA」とツイートする人もいました。

そのジェリー・アダムズは、引退した2月10日にこのように述べました。

「私を憎む人もいるだろう。でも私は自分ができる限りのことをした。」

「北アイルランド紛争でたくさんの人が亡くなったり負傷したことについては後悔している。特にIRAによって殺された人々の死については。」

「私を裁く人もいるだろう。私はそれを受け止める。」

「紛争で苦しい思いをしたにもかかわらず、和平に向けて努力しようとする人々に会うたびに感動した。」

「我々はあんなことが2度と起こらないようにしなければならない。」

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