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東京五輪やコロナで海外に暴露された日本の問題:人権と民主主義

Tokyo Olympics

ずっと外から日本を見ていて思うことですが、東京五輪とコロナのせいで、これまで隠れていた日本の病巣がパンドラの箱を開けたように外国に暴露されているようです。日本政府のコロナ対策や東京五輪についての不手際や問題だけでなく、広く日本社会の人権問題(人種やジェンダーなどの差別、排外主義、格差と弱者切り捨て、同調圧力、いじめやヘイトなど)、政治やメディアをはじめとする民主主義上の欠陥など。どれも前からあった問題ですが、これまで解決されてこないまま先送りにされていたものが、海外メディアが報道することで国際社会の目にさらされてしまったのです。

Contents

日本に対する海外報道


イギリスにいると、一応G7にも入る「先進国」であるはずの日本はあまり話題になりません。日本の景気がよかった数10年前は経済的な成功や性能のいい自動車や電気製品、勤勉で優等生的な国民性、安全で清潔な社会など賞賛されることが多かったものですが、最近は影をひそめてしまいました。とはいえ、別に欠点を批判されているわけでもなく、ただ単に忘れられている存在。東アジアというと日本より中国や韓国、台湾や香港の方が話題になることが多い感じです。

コロナ対策についても、2020年に感染者も死者も多数出た欧米諸国に比べて比較的被害を低く抑えていたアジア諸国について、中国、韓国、台湾、香港、シンガポールなどの対応は参考にするべきお手本として紹介されていました。それに比べて、日本のコロナ対策は「理由はわからないが、うまくいっているようだ。でも検査をしていないので本当のところはどうなのか?」という、謎に包まれた印象でしかありませんでした。日本人専門家からの科学的な研究発表や政府やメディアの発信が少なかったのもその理由でしょう。

それでも、やはりオリンピックが東京で開催されるということで、日本に関する報道が増えるようになってきました。最初は五輪らしい話題が多かったのですが、そのうち五輪招致の際、多額の賄賂がばらまかれたというようなものも出てきました。

東京五輪招致不正疑惑問題:電通の関与について報じる海外報道

その後、2020年になると瞬く間に世界中がコロナ禍に見舞われ、東京五輪が1年延期されることになりました。

2021年になってもコロナの流行は衰えることを知らず、変異株が出てきたり、ある地域で流行が収まっても別の地域で感染が広がるなどして、そう簡単には収束しそうもなく、1年延期された東京五輪が予定通り開催できるのかどうかということが海外でも取りざたされるようになりました。

下記で、その頃海外で報道された様々なニュース記事を紹介しています。

東京五輪は今年開催すべきか延期・中止すべきか【海外の反応】

日本でも五輪の再延期や中止を求める声も大きくなってきて、ぎりぎりまでどうなるのかわからない状態が続きました。

しかもコロナ禍は収まるところを知らず、イギリスではアルファ株が収まったと思ったらデルタ株が登場して、ワクチン接種が進んでいたにも関わらず感染が再流行。もはや、五輪どころではないという雰囲気でした。

つい最近、G7サミットの後で東京五輪がいよいよ開催されるらしいということが決まって、やっとTV放映権を持つBBCがオリンピック・パラリンピックについて報道を始めました。

東京五輪で露わになった問題

その他にも東京五輪に関するスキャンダルや問題が次々に露わになり、海外のメディアでも報道されました。

海外で報道されたものだけ並べてもざっとこんな感じです。(最後に記事のリンクをあげておきますので、参考にしてください。)

これまでだったら国内ニュースで終わっていただろうというような出来事でも、五輪関係の不祥事だと外からも目につくのでしょう。英語記事だけでも英米オーストラリアなどのメディアで報道されています。中には日本の主要メディアが(いじめやヘイトの内容など)ぼやかして書いていることを詳細に記していて、英語メディアを読んで初めて分かったこともありました。

主要メディアだけではありません。ホロコーストジョークについては米国のユダヤ人団体からも批判が来ました。

森喜朗会長の女性蔑視発言のあとでは、五輪関係者や選手からも批判の声が上がり、欧州各国の大使館が「沈黙しないで」とSNSで発信して、あからさまな女性蔑視に屈しないようにエールが送られました。初の女性大使である、イギリスのジュリア・ロングボトム大使もこの件について、日本に根強く残る女性差別を象徴するものだと問題視しました。

このような報道を受けとる人の中には、それまであまり知らなかった日本や日本人への印象を肯定的なものから否定的なものに変える人もいます。外国で暮らす日本人にとっては恥ずかしいことでもあるし、知り合いのイギリス人に知られたくないと思うのが本音です。

日本や日本人の悪口をわざわざ英語にして紹介する日本人もいる中、私は隠したい方なんですが、もう隠しきれなくなってしまいました。

今に始まった問題ではない「人権と民主主義」欠如

一連の問題が「炎上」したとき、政府や五輪関係者はどうしたでしょうか?

まずは大した問題ではないと見過ごし、それでも無理なら見せかけの「謝罪」をしました。日本国内だとそれで済むことが多いのですが、海外にまで知れ渡り「外圧」で国際的な評判を落としそうだとわかると、担当者をすげ変えました。

かといって、数々の問題についてその理由や背景を検証し、同様のことが起こらないために対策を考えるというようなことはなされません。謝罪や辞任で「決算」して、その後は人々が不祥事について忘れることを願っています。そして、国民もそのことを忘れてしまいがちです。

五輪に限ったことではありませんが、日本では「不祥事」が起こると謝罪記事を出したり、謝罪会見を開いて何人かの関係者が頭を下げて終わりになってしまうことが日常茶飯事です。直接被害にあった人はそれでは済まないでしょうが、一般国民はそれで忘れてしまうところがあり、そのせいで、同じような出来事が何度も繰り返されるのです。それでは何の解決にもなりません。

五輪で露わになった問題は様々ですが、そのおおもとにあるものは、日本社会で「人権」と「民主主義」がないがしろにされているということです。

女性、障害者、外国人など社会的弱者・少数者に対する差別や偏見、多様性への認識、いじめ・ヘイトやパワハラなど、日本の人権意識がグローバルスタンダードとずれていることがすべてに共通する問題なのです。

中には「現在と違う基準が社会的に許容されていた時代の言動によって判断されるのは厳しすぎる」「日本には日本のやり方があるのであって、欧米先進国のポリコレをまねなくてもいい」と言う人もいます。けれども国内的な行事ならともかく、オリンピックという国際行事では現在のグローバルスタンダードに合わせる必要があるでしょう。

これらの問題を社会が内包していて、中にはそれが問題だと認識していない人すらいることが、いつまでたっても日本社会が変わらない原因です。

たとえば、女性蔑視発言をした森喜朗会長は過去にも「子どもを作らない女性を税金で面倒見るのはおかしい」と言った発言をしていましたが、そういう人が権力を握り続けていたのです。その上、問題発言で辞任した後に「名誉最高顧問」就任説が浮上しているというのですから、今回の件からも何も学んでいないことがわかります。

これら一連の問題は、外国人が批判した時だけ「解決されるべき問題」になり、普段は見過ごされて対応が取られていないことも多いのが現状です。どうしてなのでしょうか。

国民不在の政治

これは数年間の例外をのぞけば戦後長く続いた一党独裁のせいで、日本の民主主義がうまくいっていないことが一番の原因でしょう。

世論調査を見ると自民党支持はそれほど高いわけでもないのに、野党を支持する人はもっと少なく、支持政党がない人が多くなっています。多くの国民は政府を支持しているわけではないが、自分の望む政治をしてくれそうな選択肢がないジレンマをかかえています。それが長く続けば、無力感がおおって、目の前の生活に埋もれてしまい政治に関して関心が薄れていきがちです。

それをいいことに、今の政権は国民の民意を無視して、議論や説明を尽くさないまま、自分たちのコアな支持層向けの政策を推し進めます。時々、あまりの野放図に野党や一般国民から批判が出たり、SNSで炎上したりして、選挙で票を失いそうだと思う時だけ、押し通そうとした言動を撤回したり修正したりします。

会見や国会では記者や野党の質問に対してまっとうな説明をせず、はぐらかしや言い逃れで終わってしまいます。英米の国会や会見を見慣れている私には別世界のよう。日本の政治家は質問を理解できていないのか、答える気がもともとないのかのどちらかに見え、よくみんな黙っているなと驚きます。

このような状況のもとで長い間政治が行われてきたことを考えると、外から見るととんでもないことのような数々の汚職や利権がらみの不祥事、文書改ざんや証拠隠滅が後を絶たないのもさもありなんという気がします。

長期的に国のことを考え、国民のために問題を解決していくというヴィジョンはなく、自分や仲間が持っている権力や利権にしがみつくためには何でもする、それが明るみに出ないように証拠は残さない、官僚やメディアなど周りにイエスマンをそろえ忖度させる、問題が起こってもだれも責任を取らず、必要な時だけ「下のもの」に責任を負わせる。。。

政権が取れない野党

独裁的で民意を反映しない政治をするトップがいても、民主主義のもとでは政権交代というチャンスがあります。今回の米国大統領選を見てもわかるように、政府が変わると国は変わります。トランプが脱退したパリ協定にバイデン大統領は就任と同時に復帰したのがそれを象徴しているし、経済対策からコロナ対策まで米国の政策が短期間でがらっと変わったのを目にした人は多いでしょう。

イギリスでも最近は長年保守党が政権を握り続けていますが、第2政党である労働党はその前に長期政権を経験しています。今、野党であってもシャドウ・キャビネット(影の内閣)を組閣し、政策も立て、それに必要な予算も組んで、明日選挙に勝てばすぐ政権をスタートできる立ち位置にあります。

実際に政権を取れないにしても、次の選挙で負けて取って代わられてしまうかもしれないという可能性がある限りは、今の政府は国民を無視した政策を押し通すことはできません。

日本では多くの野党があり、それぞれはそれなりのマニフェストを打ち出していて、国会などで適切な発言や質問をする議員もいます。でも、支持者数でいえば全部束ねても自民・公明党に太刀打ちできないのに、それぞれがばらばらで連立政権を打ち立てるのも難しい状況です。

万年野党として与党を批判する立場であるという機能は果たしているのかもしれませんが、政権を取る気がないのなら政党というよりは政治運動グループと言ってもいいかもしれません。それぞれの理想を掲げるのはいいのですが、今目の前にいる国民を救うために政権を取る具体的な行動をとることが求められています。

国民を代表せず政府に忖度する記者クラブメディア

さらに現政権を常に監視し疑問点があれば追求すべきメディアが機能していないことも日本の大問題です。日本は民主主義の国であり、報道の自由があるというのは錯覚に過ぎないということは外から見るとすぐわかります。

会見での質問を事前に提出して政府は官僚が作った答えを読むだけ、質問に的確に答えなくても追求しない、忖度して都合の悪いことは聞かず、政府の言うことをそのまま伝えるといった日本特有のジャーナリズムの在り方は、外から見ると異様です。

たまに鋭い質問をするのは日本記者クラブに属さない外国人記者やフリーランスしかいません。国際団体「国境なき記者団」が「報道の自由度」ランキングで日本を67位と先進国の中でも異様に低い順位にしているのも当然と言えます。

同団体は日本の記者クラブ制度が報道の自由をさまたげており、菅首相就任以降も日本は報道の自由を改善する対策を何も取っていないと批判しています。

新聞やテレビといった主要メディアが政府の言動について批判的に報道しないので、国民は実態を知らないまま。最近になってインターネット、SNS、YouTube などで様々な情報が入るようになり、関心がある層は自らが積極的に知ろうとしますが、そうでない一般国民は未だに日本のメディアが機能していると勘違いしています。

例えば、東京五輪の開会式は日本のメディアでは盛大にお祭り気分で報道されたようですが、海外メディアは無観客の開会式場内まで聞こえてくる、場外に集まった五輪反対デモの声について報道していました。

鎖国感覚の日本国民

東京五輪について反対か賛成かということはここでは多く述べません。私が気になるのは反対でも賛成でも、政府や意思決定者が国民の意見を聞いているか、国民に説明をしているかどうかということです。延期された五輪開催の日が近づくと同時に日本のコロナ感染者数が増えてきて、五輪反対の声が大きくなってきた時に政府や東京都、五輪関係者からなされたメッセージを聞いていると、どうもすれ違っているように聞こえます。

そして、そのうち反対派の国民の声が違う方向に向かうようになったのも気になります。例えば、五輪に参加する選手、バッハ会長などIOC、それから外国から来る五輪関係者などです。

IOCについては、東京五輪に限らず、五輪という国際イヴェントの在り方そのものに問題があるのであって、それはそれで追及されるべきことです。けれども、東京五輪を招致しようと決定し、計画してきたのは日本です。まさかコロナのような厄災がやって来るとは思いもしなかったのは誤算ですが、それは仕方がないことです。その中で「安心安全」な五輪を開催すると推し進めたのは政府や東京都、五輪組織委です。開催の決定権はIOCにあるというにせよ、本当に中止が必要ならそれもできていたでしょう。

それでも感染対策をしっかりして五輪開催によってコロナ感染が広がることはないと言い続けて、開催にこぎつけました。外国からの五輪関係者は「バブル」から出入りせず、一般日本人とは交わることがないし、プレイブックの厳格なルールに沿って行動してもらうので大丈夫だということでした。

けれども、空港で外国の五輪選手が一般客と混じっている、外国人ジャーナリストが街を歩いている、外国人選手が選手村で他国の選手と一緒にいる、選手村で陽性者が出ているなど、様々な情報が飛び交うようになっています。

その陰には、日本国民が「外人が外からウイルスを持ってきて、日本人にうつしてしまう」という恐怖が見え隠れします。けれども、その可能性はないわけではありませんが、それよりも日本にいる日本人が外から来る外国人選手や関係者たちに感染させてしまうリスクの方が大きいのです。彼らは多くがワクチン接種済みで、定期的に検査もしているのだから。外国の五輪関係者もそう思っているので、日本人が自分たちをそれほどおそれているとは考えていないでしょう。

日本の感染者数が少ないのは検査をしていないからであって、無症状の感染者は発表されている数の5倍から10倍と言われています。陽性率が高いことからもそれは明らかです。コロナは無症状感染者が多いので、誰がかかっているかはわかりません。だから、イギリスでは無症状でも週に2回検査をするように推奨されているのです。

その上、日本ではワクチン接種率が低く、電車やタクシーに乗ったり、外食したりするうちに感染してしまうリスクもあります。五輪関係者のコロナ検査結果が発表されていますが、陽性者が多いのは日本人の業者や五輪関係者であり、外国人選手はそう多くありません。

とはいえ、そのうちそのような日本人の業者、関係者、ヴォランティアなどがバブルなどない一般日本社会からウイルスを選手村に持ち込んで外国人選手を感染させてしまうリスクもあります。そんな中、一般日本人がおそれているのは逆で、「外人選手やジャーナリストがウイルスを持ってきて日本人にうつしてしまう」ということのようです。

わざとしているのかどうかはともかく、五輪反対の矛先が日本政府や意思決定者ではなく、IOCや外国の五輪関係者に向かっているような気もします。(そして、その外人たちはその理由がよくわかっていないために意識がずれているようです。)

このことについては、日本にずっと住んでいる外国人も肩身の狭い思いをしています。「自分はずっと日本に住んでいて、コロナのせいで外国にも行けないのに、五輪が近づいていて街を出ると日本人から疑いの目で見られる」というのです。バブルを守るべき五輪関係者が勝手に出歩いていると思われているのかもしれません。そういう外国人たちは「なんで五輪なんてするのか」と、ことのほかオリンピック反対を叫んでいます。

彼らが東京五輪に反対している理由はほかにもあります。仕事や家族に会いに母国や外国に行きたいのに、日本帰国時に自己隔離しなくてはならなかったりするため出国できない、それなのに五輪関係者はそういう規制なしに入国ができて不公平だというものです。これは海外在住日本人も同様で、ワクチンも接種済で日本に帰国したいのに水際対策が厳しすぎて帰れないのです。家族が病気になって死に目に会えなかったという話も聞きますし、私も他人事ではありません。

さらに、悲劇なのは日本での就業や留学が決まっていた人たちです。VISAもおりて日本に来るのを待っていたのにずっと入国ができないまま、宙ぶらりんで1年以上たっているそうです。そういうケースの場合、他の国では特別に入国を許可していますが、日本ではそうはいかないようです。

とはいえ「日本にウイルスを入れたくないから、それでいいんじゃないか」と思う人もいるでしょう。よくも悪くも日本人は今でも鎖国意識が強いのだなと感じます。移民が多く、ビジネスや留学などで外国との行き来が多いイギリスにいると、コロナ禍といえども、特別な理由がある場合は検疫をしながらも出入国を許しています。だから変異株が入ってしまうということもありますが、水際対策を厳格にしてもウイルスを完全に止めることは不可能なので、検査やワクチンを増やすことで市中感染に歯止めをかけるのが現実的と割り切っているようです。

日本のコロナ対策


アジア諸国では2020年の間は欧米諸国に比べるとコロナ被害がそれほどでもなかったこともあり、各国のコロナ対策に関心が集まりました。その中でも特に中国、韓国、台湾、香港、シンガポールなどの対策については広く紹介され参考にするところも多かったのですが、日本のコロナ対策についてはあまり参考にされませんでした。

Covid-19という全く新しい感染病の登場にどの国も最初は暗中模索で戦ってきて、イギリスなどは大きな被害を被ってきました。その中で今から振り返れば、成功だった、失敗だった、こうすればよかったという各国の事例が積みあがってきて、研究調査からもわかってきた知見と共に、現在進行形で対策を調整しては検証していっています。

日本のコロナ対策については、様々な問題がありましたが、最初はどちらかというと有利な状況で余裕もありました。今考えて一番の問題点は、1年半もあったのに、各国からの情報も参考にできたのに、その間何の改善もされてこなかったということでしょう。

検査についてはコロナ禍の最初のうちから不足を指摘され続け、1年半経っても状況は変わっていません。東京の検査数が1日2000件くらいなのに五輪関係者の検査数は1日29,000件です。五輪のためにできる検査が国民のためにできないというのは解せず、感染者数を少なく見せたいがために検査をわざと絞っていたと言われるのも無理はありません。

さらに、欧米の感染者数・重症者数に比べるとそれこそ「さざ波」と言える程度の流行で、冬の大阪で経験したような医療崩壊状態になるのは、医療が発達している先進国としては珍しいことです。大きな波が来て、医療崩壊になると今はどうしようもないから、とりあえず自粛してと言うけれども、波が収まるとそのまま元通りで、そのようなことを繰り返しているので国民の政府不信、医療不信が生まれています。自粛要請も金銭的サポートもなしでは国民は政府の言うことをきかなくなるのも仕方がないといえます。

医療がほとんどが公立で、中央管理できるイギリスなどとちがい、民間の開業医が8割以上を占める日本では緊急時にICUへの病床転換や地域内外の病院連携ができないということはわかっています。だからこそ、平時に医療体制を抜本的に解決し、連携と緊急時に機動性を確保できる態勢を構築することが必要なのに、これまで何もしてきませんでした。

さらに言えば、デジタル化を進め医療データを管理して能率的に医療やワクチン接種を行う態勢も進んでいません。東京五輪開催を予定していたのに、ワクチン開発や接種プログラムもおざなりにしてきました。イギリスは2020年1月にはワクチン開発プロジェクトをスタートさせています。

コロナワクチン②イギリスの接種状況と開発秘話

日本国民にできること

この間、無能無策の政府に対して国民の不満は募ってきたようです。特に、コロナ感染したり、感染者が身近に出たり、不幸にも亡くなったりするという経験をした人や、自粛要請のために営業が立ち行かなくなったビジネスや仕事を失った人など、経済的社会的に被害を被った人は理不尽だという思いを捨てきれないでしょう。

度重なる非難の中で、政府や自治体は給付金など経済的な支援も始めましたが、その恩恵にあずかれないまま苦しい生活を強いられている人もいます。

欧米諸国のロックダウンに比べると緩やかな方とはいえ、外出自粛やテレワーク、大学もオンラインに切り変わったりとコロナのために通常の生活ができなくなって社会的にも精神的にも追い詰められている人もいます。

これまで、政治にあまり関心がなかった人も、今度ばかりは自らのそして大切な人々の命や生活じたいが脅かされるというリスクが目の前に迫ってきて、初めてこれでいいのかと気が付いたのではないでしょうか。

日本だけではありません。世界のどの国でも似たような状況で、国のトップが国民に言葉を尽くしてメッセージを送っています。そんな中で各国の政治リーダーシップと民主主義の在り方が浮かびあがってきます。

日本のトップが官僚に用意された原稿を読み上げ、質問にまっすぐ答えずはぐらかし「五輪が始まればみんな夢中になって忘れる」とうそぶいているのを許しておいていいのでしょうか。これまで、バブル世代のえらいおじさん、おじいさんの既得権益や利権で回していた日本の政治や社会を今こそ国民の手に取り返すべきではないでしょうか。勝ち目のない戦いに突き進んだ太平洋戦争のように、後世になぜあの時声をあげなかったのかと詰め寄られた時、私たちはなんと説明すればいいのでしょうか。

希望はあります。日本には機能していないにせよ、民主主義というものがあります。多くの、誠実でまじめで良識がある国民がいます。

これまで見過ごされてしまってきたようなこと、例えば検察庁法改正案への抗議、気候変動問題、BLM運動、MeTooやKuToo運動、フラワーデモ、選択制夫婦別姓問題、ホームレス、格差問題など、さまざまな分野での抗議や啓蒙活動に参加する人も増えてきました。スウェーデンでたった一人で始めた座り込みが世界的な運動に広まったグレタのような例もあります。

コロナ禍で推し進められた東京五輪に対しても、街頭での抗議のほか、オンラインで反対署名やツイッターデモ、オンラインイベントが起こり、開幕後も声を上げ続けている人がいます。

このような抗議活動に運動家として積極的にかかわっていく人は限られているでしょう。それでもどんな政策であれ制度であれ、不満だったりおかしいと思ったら、社会の一員として誰でも声を上げることはできます。ただ傍観していては政府のなすがままにされ、その結果として自分の命や生活が脅かされることになりかねないのですから。

民主主義のもとで政府に異議を唱えることは国民として当然のことです。自分たちの言動によって政治を、社会を一緒に変えていきましょう。

(敬称略)

 

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