Last Updated on 2021-04-05 by ラヴリー
日本の新型コロナウィルス対応について英医学誌に発表された英文の論文を簡単にまとめてツイートしたところ、思いがけずかなりの反響があったのでまとめておきます。どんな論文だったのか、それに対する日本人の反響のまとめ、それに対しての私見を述べます。
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日本のコロナ対応:BMJの論文
Twitterで紹介したのは、権威あるイギリスの医学誌BMJ(British Medical Journal)に2020年8月18日付けで掲載された論文です。
ツイート字数の都合があるのですべての論点を網羅してはいないし、医学や感染症の専門家ではない素人が理解した範囲を自分のメモ代わりにざっと列記したものにすぎません。
勘違いや意図違いがあるかもしれないので、気になる人は元の記事を読むといいと思います。英語ですが、医学用語や専門用語だらけで難解というわけではありません。
短時間で書いたので、タイトルからいってもかなり省略していますが、以下がそのまとめツィートです。
日本でCovid-19が再流行した理由 :BMJ(英医学誌)
・適切で必要な検査体制の不備
・紙ベースの記録・報告システムによる非能率性
・政府から国民へのコミュニケーションの不備
・専門家会議は独立性に欠け、政府からの影響を受けた
・政府の責任説明と透明性が欠けていたhttps://t.co/v8Ql0OXl0Q— ラブリー@news from nowhere (@1ovelynews) August 19, 2020
共著だが、日本人研究者が主に書いたものらしい、記事というよりは客観的専門的な学術論考。
感染症対策をオリンピックや戦争のように勝ち負けで考え失敗や間違いから学ぼうとしない国の研究者が、渦中でも課題を考察し全世界への将来の教訓として生かそうと公開する国の研究機関を通して発表した?— ラブリー@news from nowhere (@1ovelynews) August 22, 2020
こちらは共著となっていますが、著者チームに日本人が二人含まれているし、最初に書かれている名前が日本人研究者のものなので、日本人が書いたものをイギリスの研究機関を通して発表したものだと思います。研究者の担当教授がチェックし、少しは編集しているかもしれませんが。
本来は、日本人研究者が日本の大学や研究機関から英語で発表するような内容であり、日本のメディアが取り上げるべき記事だと思いますが、そういうものは私の目には入っていませんでした。
ここで語られていることは特に目新しいことでもなく、新型コロナ対策を少しでも追っていたら素人の私でも妥当だと思う、客観的事実に基づいた内容です。
とはいえ日本にいると、テレビ番組や新聞、世間の噂などで偏った意見になることが多いのかもしれません。
私はイギリスに住んでいて、入ってくる情報はほとんどネットからのものなので、この論考を読んで「そんなところだよね」と思い、特に考えることもなく紹介しました。
ここでは、この内容についてさらに詳しく説明せず、その反響についての考察を述べます。
まとめに対する日本人の反響
このツィートに対する日本人の反応は様々で、個別のリプライなどは元ツィートをたどっていけば読めます。だいたいまとめてみると下記のようなものでした。
- この通りであると賛同する人
- 「政府の対応が悪かった」と安倍政権や政治家を批判するもの
- 「日本の恥さらし」「先進国ではない」と自国を卑下して恥ずかしいと思うもの
- 「イギリスなど欧米諸国の被害は日本の比ではないのに日本の批判をするのはどうか」
- 「自分の国のことを反省していればいいので、日本に口を出すな」
他にもいろいろありますが、ざっとこんな感じの反響が多く、ピントがずれている意見が多いのにちょっとびっくりしました。
この論考を書いた人もそうでしょうが、私も別に日本のコロナ対応がまずかったから日本はだめだということを言いたかったのではありません。春には流行を抑えていたかに見えた日本で今になってどうして感染が再流行し始めたのか、その理由を探って将来の教訓にしようということにしかすぎません。
新型コロナウィルスは今までにはなかった全く新しい感染症で、どの国でも、専門家や科学者でさえわからないところを手探り、試行錯誤で対応してきました。
その中で、新しく分かったこともあるし、試してみて成功したことも、うまくいかなかったこともあります。初期の頃にとった対策がのちに分かったことから考えると間違っていたと認め、方向転換をした国もあります。
さらに各国で異なる対応の仕方をしたことで、どのようなやり方がより効果があったのかをお互い知ることができ、これからの対応に生かすことができます。
日本の対策とその成果を紹介するのはその一例を示すのにすぎません。
コロナ対応はオリンピックではない
被害が大きいから負けとか、それを語るのは恥だという考え方も将来の役に立たない。
どこがよくて、どこがいけなかったのかを判断し、それを全世界で共有することでみんなに役立つから、他国の研究者は情報を公開している。
戦争と違い、国どうしが敵味方ではない。
敵は感染症で世界人類が味方。— ラブリー@news from nowhere (@1ovelynews) August 22, 2020
新型コロナウィルスの対応についてだけではないのかもしれませんが、日本には何でも国対国の勝ち負けのような視点で物事を考える人が多いようです。オリンピックじゃあるまいし、感染者数や死者数を国ごとに比べて勝った負けたと単純に騒いでいる人が多い印象です。
そういえば、韓国のコロナ対策についての英語メディアの記事を紹介した時も同様の反応がありました。韓国についてことさらライバル意識(?)を燃やしてあの国には負けたくないとばかりに様々な理屈を持ち出して韓国式のコロナ対策について否定してみたり、韓国が大量検査の道を選んだので日本はあれだけ検査を抑制したのかと思われるような論調もありました。
また、検査にしても必要な時に必要なだけする、そしてそれができる体制を整えるというバランスの取れたまっとうな意見が押しやられ、検査を「する派」なのか「しない派」なのかで個々の見解や姿勢が問われるような傾向もありました。
こういうのもテレビのワイドショーなどでテーマを単純化しすぎるのが原因なのでしょうか。その辺は見ていないのでよくわかりません。
日本のコロナ対応が成功していた時
少しさかのぼって4月頃のことを思い出してみましょう。
あの当時、欧米諸国はまさにコロナ禍にあり、イタリアをはじめとしてヨーロッパ全土、それからイギリス、アメリカとコロナの波が押し寄せ、感染者数もコロナによる死者数もうなぎ上りに増えていました。
日本はごく初期のダイアモンドプリンセス号での感染のあとは札幌雪祭りなどごく限られたケースをのぞくと、比較的感染の流行を封じ込めていました。突然の学校閉鎖や緊急事態宣言、外出自粛などさまざまな対応が功を奏していたのか、各地でクラスターが現れるたびに「クラスター班」がそれに素早く対応し封じ込めに奮闘したからか、マスク着用や手洗いといった衛生習慣、人との距離を置く生活習慣、肥満が少なく基礎医療体制が整っていることが役立ったのか、その理由ははっきりとはしないし、複合的なものだったのでしょう。日本をはじめとするアジア地域にはコロナに似たような感染病がすでに流行していたので国民に何らかの免疫があったとか、BCG説とかいうものもありました。
学術論文などではあったのかもしれませんが、私が日々接する英語メディアなどの情報を見ている限り、日本でどうしてコロナ対策がうまくいっているのかの論考を日本から発信しているものはほとんど見ませんでした。韓国や台湾が国のトップをはじめとして「わが国ではこういう対策をしている」と英語で情報を発信していたのと対照的です。それもあって、欧米諸国では韓国や台湾の対策方法については知られていましたが、日本のこととなると謎のままでした。
そのうち、日本に住む英米人ジャーナリストなどが日本のコロナ対策について大手メディアで紹介するようになりましたが、それを見ても様々な理由をあげながら「実際のところはなぜだかわからない、たぶん様々な理由の複合だろう」「最大の謎だ」といった結論になっています。
まあ、それも仕方がありません。日本政府が、韓国や台湾のように「わが国はこういう政策をとって感染を抑え込んでいます」と説明したりはせず「民度が違うから」とか「ジャパン・ウェイ」とか言っているので、外国から見ると「神風」としか聞こえないのです。
また、感染者数や死者数のデータをとっても日本の情報は額面通りに受け取られず、国際比較の場合も除外されていることが少なくありませんでした。一つには検査数が少なすぎて「感染者数」の数字は眉唾ものに扱われていたこと、東京五輪が正式に延期されるまでは「五輪開催のために悪い数字を出したくないのだろう」との憶測が暗黙の了解だったことがあります。
もう一つは死者数のデータです。ほとんどの国ではこういうデータは全国的にIT化されており、その日の死者数データが翌日には集計されます。けれども、日本の厚労省のデータは2か月たたないと出てこないため「超過死者数」などのデータも計算できなかったのです。
このために全世界が注目してきたFinancial Times紙の新型コロナウィルス国際比較記事にも日本のデータがないということになってしまっていました。このことも、2020年になっても紙とペン、Faxに頼る日本のお役所仕事の弊害といえるでしょう。
この当時、コロナの封じ込めに成功しているように見えた日本の対応の秘密を、各国はのどから手が出るほど知りたかったはずです。それなのにそういう情報を日本側が発信しなかった(したのかもしれないが、私は気が付きませんでした)ことを私は日本人として残念に思っていました。
とはいえ、日本政府に理論と仮説に裏付けられた確固とした対策があったわけではなく、なんとなくの自粛ムードと自己責任論、隣組的な相互監視といったものがその理由だったから、説明ができなかったのかもしれませんね。
日本人の鎖国意識と国際責任
新型コロナウィルスへの対応に始まったことではありませんが、日本は自国のことばかりに目が行って国際的な視点でものを見ない傾向があります。これは客観的な視点で自国を見ないということもありますが、外国で起こる出来事にも関心がないようです。何か大きな事件や事故が起こったときでも、それに日本人がかかわっているかどうかばかり気にして、そうでないと興味をなくすようなところがあります。
全然関係のない話に飛んでしまいますが、モーリシャスの重油流出事故についても同様です。7月末に座礁した貨物船「わかしお」から重油が流出して自然環境に深刻な被害が出た件ですが、日本ではあまり大きなニュースになっていないようでした。
これに反して国際的な関心は高く、BBCやCNNでは連日大きく報道していました。現地では外国人を含むボランティアが総出でヘドロまみれで作業をしており、フランスのマクロン大統領はすぐに支援を表明しました。
日本人は遠い島国で起きたことで自分には関係がないと思うのでしょうか。気になるのは貨物船が日本籍であること、それによって所有者の長鋪汽船や運行する商船三井に賠償責任があるのかどうかということだけのようです。現地で支援活動を行っているボランティアはそんなことは知ったこっちゃない、目の前にある魚やサンゴ礁、マングローブを救うんだという気持ちでしょう。
日本人はそれだけ帰属意識が高く、愛国心が高いということなのかもしれません。それと国際的な関心や広い社会に対する責任感というものは両立するはずですが。
経済規模が小さく国民の生活レベルが十分でない小国ならまだしも、いやしくもG7のメンバー国である日本なら、自国のことばかり考えるのではなく、真の国際人としての責任を全うするべきではないでしょうか。それがいやならG7など返上して鎖国状態に戻るべきでしょう。
敵は感染症である
オリンピックや戦争とちがって、わたしたちは仮想敵国と戦っているわけではありません。新型コロナウィルスという敵と全世界民で戦っています。この厄介な感染症に打ち勝つためには、各国でさまざまな方法で取り組んでいるトライアル&エラーの具体策とその結果を共有して解決策を見出さなければなりません。
そのためには、どこかの国が提供してくれる情報やワクチン、新薬を手に入れて自国のために利用するだけではなく、自らも失敗をも含む政策・研究成果を公開してみんなの役に立てようという姿勢が期待されます。政府もですが、大学の研究機関、医療機関、民間企業も give & take の精神で発信や情報公開をしていってほしいと願います。