日本の死刑執行へ賛否:死刑制度世界の現状と考え方

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オウム真理教の事件で死刑が確定していた教団代表の麻原彰晃(本名・松本智津夫)ら7人に7月6日、残りの6人に7月26日、死刑執行が行われました。今回の死刑執行については海外の主要メディアも一斉に報じ、日本の死刑制度を非難する声があいつぎました。ヨーロッパをはじめとする国々では死刑廃止の傾向にあり、先進国で死刑があるのは日本とアメリカだけと言われていますが、現状はどうなのでしょうか。また、死刑制度に関する賛否両論の考え方やその根拠にはどんなものがあるのでしょうか。


日本の死刑制度

死刑に関する法律:刑法と憲法

日本では刑法9条によって懲役、禁錮、罰金、拘留などと共に死刑が定められています。

それでは、日本国憲法では死刑についてどのような見解をしているのでしょうか。

日本国憲法36条は第3章にある条文で、公務員による拷問や「残虐な刑罰を絶対的に」禁止しています。

公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。

「絶対に」という例外的な言葉が使ってあるということはかなり強い禁止の意図を示しているようです。

それでは、死刑はこの「残虐な刑罰」に当たらないのでしょうか。

これについては1948年に最高裁の判決があります。その判決では、死刑が「残虐な刑罰」に該当するとは考えられないとして死刑制度は合憲だと判断しているのです。

けれども、この時の裁判官は補足意見で下記のように述べています。

憲法は、その制定当時における国民感情を反映して右のような規定を設けたにとどまり、死刑を永久に是認したものとは考えられない。ある刑罰が残虐であるかどうかの判断は国民感情によって定まる問題である。而して国民感情は、時代と共に変遷することをまぬがれないのであるから、ある時代に残虐な刑罰でないとされたものが、後の時代に反対に判断されることも在りうることである。したがって国家の文化が高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代に達したならば、死刑もまた残虐な刑罰として国民感情によって否定されるにちがいない。かかる場合には、憲法31条の解釈もおのずから制限されて、死刑は残虐な刑罰として憲法に違反するものとして、排除されることであろう。

憲法はその当時の国民感情を反映するものであって、それが将来変わることがあれば、死刑も憲法違反になり廃止される可能性があると言っているのです。そして、それは「国家の文化が高度に発達」した成熟した社会になれば、国民感情によって否定されるだろうとしています。この時から70年たっていますが、日本社会はこの状態に達しているでしょうか。

日本での死刑執行

日本では、2011年に例外的に死刑執行が停止されましたが、それ以外では毎年、年間で1~15人の死刑が執行されてきました。そして、2018年7月には1か月間にオウム真理教の死刑囚13人全員に死刑が執行されました。

死刑執行の方法

死刑執行の方法としては刑法11条により、絞首刑の方法で執行されることが定められています。全国7か所の拘置所に絞首刑の設備を持つ刑場があり、死刑確定者が各拘置所に分散して収容されています。

オウム事件の死刑囚のうち7人は死刑執行前に東京拘置所から大阪、名古屋、広島、福岡、仙台の各拘置所に移送されていました。

死刑判決まで

裁判所は法廷に提出されて証拠を基に、過去の判例も合わせて検討し判決を下します。永山基準と呼ばれる9項目である犯罪の性質、動機、残虐性、被害者数、遺族感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状などをもとにして死刑判決を宣告するのです。

しかし日本弁護士連合会は、死刑判決が確定するまでの刑事手続きにはさまざまな問題があるとしています。たとえば、逮捕から起訴までの間に弁護人なしで捜査官による誘導や脅迫を受けて自白したとしても自白調書が作成されると法廷でその信用性を争うことが難しくなります。

死刑判決は3人の裁判官の合議によるのですが、それは全員一致である必要はありません。死刑になるか無期懲役になるかは決定的ではなく、第一審で出された判決が高等裁判所で変わることもあります。

いったん有罪判決が確定したら、再審の道はほとんどありません。たとえば判決の元となった証拠の偽造が証明されたとか例外的な場合にだけ再審の可能性があるのです。無実を訴えて再審請求を行っている最中に死刑を執行される場合もあります。

死刑囚はどのように収容されるのか

受刑確定者は拘置所内部でトイレ付きの3畳ほどの独房に収容され、個別に隔離されています。ほかの受刑者との接触も一切許されておらず、屋外での運動や入浴も一人で行います。外部との接触は厳しく制限され、面会や文通のできる相手も限られています。親族であっても心情の安定を害する可能性がある場合、交流を禁じられることもあります。弁護士以外と面会するときは必ず看守が立ち会い、記録をとります。

死刑執行はどのように行われるのか

死刑判決確定後6ヶ月以内に法務大臣が執行を命令することになっていますが、実際はこれより長く数年かかるのが普通です。確定してから10年間執行が行われず、死刑囚が病死することもあります。

死刑執行は突然行われ、事前に発表はありません。死刑囚本人にも執行当日にしか知らされません。執行の約1時間前に看守が死刑囚にこれから執行が行われると告げるのです。家族にも事前連絡はなく、最後の時間に死刑囚が家族と面会や意思の伝達ができるといったこともありません。

たとえば、オウム真理教リーダーの松本智津夫の場合は死刑執行当日の朝食後、刑務官に教誨室(きょうかいしつ)に連れていかれ、そこで死刑執行を知らされました。この場で言い残したいことがないか聞かれ、希望があれば教誨師と話すこともできるのです。そして、遺体の引き取りについても希望を聞かれました。

教誨室を出たのち死刑囚は執行室に連れて行かれます。ここで、死刑執行に立ち会うのは、拘置所所長以下の幹部のほか、検察官、検察事務官、教悔師、医師です。

死刑執行室は2階建ての小屋のようになっています。2階部分に死刑囚が上がり、看守が死刑囚に目隠しをし、膝を縛り、首に縄をかけます。そして複数の看守がボタンを押すと足元の床板が割れ死刑囚の体が床下に落ちる仕組みになっています。この結果、通常は死刑囚の体が激しく痙攣したのち息がなくなりますが、例外的な場合を除いて最低でも5秒、長ければ数分間は意識があり、苦痛を感じるということです。

死刑囚が死亡したあと、待機していた医師が死亡を確認されてから5分間死体はそのままの状態で置かれます。そして、死刑執行に立ち会った検察事務官が執行始末書を作成し、検察官と執行施設の長またはその代理者が捺印・署名します。

複数の人がボタンを押すのは誰か1人特定の人が押したボタンによって死刑が行われるかがわからないようにしてあるのだそうです。ボタンを押す人の気持ちがどういうものか、押した後どのような精神状態になるのか、想像するだけで気が重くなるほど。人命を奪ったのは自分が押したボタンのせいではなかったかもしれないと思えることが少しは気を楽にするでしょうか。

死刑制度に関する世論

日本での世論調査によると、日本国民は約8割が死刑制度を支持、または容認しています。内閣府が2014年に行った世論調査によると、「死刑もやむを得ない」と答えた人が80.3%、「死刑は廃止すべきである」と答えた人は9.7%でした。

前述した1948年の最高裁裁判官の言葉によれば日本国民の文化はいまだに「高度に発達して正義と秩序を基調とする平和的社会が実現し、公共の福祉のために死刑の威嚇による犯罪の防止を必要と感じない時代」に至っていないということなのでしょうか。

前述の世論調査では「死刑もやむを得ない」と答えた人1,467人に将来も死刑を廃止しないほうが良いと思うかと聞いたところ、将来も廃止しないと答えた人が57.5%、状況が変われば、将来的には死刑を廃止してもいいと答えた人が40.5%いました。

この世論調査が行われたのはオウム事件死刑囚の死刑執行前なので、執行後に世論調査を行うと異なる結果が出るかもしれません。

日本の死刑制度について海外からの批判

今回日本でオウム真理教の死刑囚の死刑が執行された後、欧州連合(EU)は日本政府に対して声明を発表し、死刑廃止を視野に入れた執行停止を求めました。オウム事件がいかに辛く特殊な事件であることを認め、犠牲者とその家族の苦悩を共有しテロ行為を非難するものだが、いかなる状況下での死刑に反対するとしています。

日本の死刑執行についての海外からの批判はこれがはじめてではありません。

国連では1984年「死刑に直面する者の権利の保護の保障に関する決議」が採択されました。1989年には国連総会で「死刑廃止条約」が採択されていますが、日本はこれに批准していません。

日本は国連や欧州各国、アムネスティ・インターナショナルなどの人権団体から死刑廃止を検討するよう公式に要望されており、国際世論も「先進国なのに死刑を残しているなんて」と非難の声も上がっています。

死刑制度世界の現状

それでは、死刑制度の現状は国際的にみてどうなのでしょうか。

アムネスティ・インターナショナルの世界規模の調査によると、2017年度の死刑判決数と死刑執行数はいずれも前年を下回っており死刑は減少の傾向にあるとしています。2017年末時点で106ヶ国が死刑を廃止し、142ヶ国が法律上あるいは事実上、死刑を廃止しています。そして、イラン、サウジアラビア、イラク、パキスタンのわずか4か国が世界の執行総数の84%を占めているとしています。

2018年現在先進国と言われるOECD加盟国で死刑制度があるのは日本、米国、韓国だけです。そのうち、韓国は死刑停止国であると言ってもよく米国も死刑廃止の方向に向かっています。

死刑制度の世界の現状地図 (2012年1月)

Death Penalty

 青:あらゆる犯罪に対する死刑を廃止 (97)
 黄:戦時の逃走、反逆罪などの犯罪は死刑あり。それ以外は死刑を廃止 (7)
 橙:法律上は死刑制度があるが死刑を過去10年以上実施していないか執行しないという公約をしている (48)
 赤: 過去10年の間に死刑の執行を行ったことのある国 (42)

ヨーロッパ

イギリスでは1965年に殺人(死刑廃止)法ができ殺人の罪で死刑となった人の執行を停止しました。イギリスでは1964年以来死刑が執行されていません。

1985年死刑廃止を定めたヨーロッパ人権条約が採択されました。イギリスでは1998年にこの人権条約を取り入れ、平時での死刑を全面廃止しています。

1990年代にはEU諸国や旧東ヨーロッパの国々も次々に死刑を廃止し1997年にはロシアも死刑執行を停止しました。2003年にはトルコも死刑を廃止し、今ではヨーロッパ全域において事実上死刑が廃止された状態が続いています。

廃止の理由としては「人間が人間を死をもって裁くべきではない」という倫理的な問題や宗教的な観点もありますが、大きいのは冤罪の可能性といえます。冤罪の可能性は0.1%でもある限りは死刑という取り返しのつかない刑罰を施行するべきではないということです。

なお、死刑廃止については国民世論の支持によるものとも言えません。イギリスで死刑が最後に執行されたのは1964年で1965年以降は事実上死刑廃止となっているのですが、その時の国民世論では81%が死刑賛成だったそうです。フランスでも1981年に死刑を廃止した時の死刑支持率は62%でした。死刑に関しては国民世論だけに頼らず政治家や知識人、死刑廃止運動活動家が中心となって法改正が行われてきたのです。

米国

米国は各州によって法律が異なるため、死刑制度の有無も州ごとに異なります。米国にはまだ死刑があると言われていますが、州によってはヨーロッパ諸国よりずっと前に死刑を廃止したところもあるのです。1847年にミシガン州が死刑を廃止して以来、死刑を廃止する州や法律上は死刑を定めていても死刑の執行がない執行停止状態の州も増えてきています。

2018年1月の時点で死刑を廃止した立法行政司法単位が26あるほか、制度としては死刑を残している32のうち、7は10年以上死刑判決がない死刑停止状態です。全体的な流れとしては着実に死刑廃止への方向へ進んでいます。

米国以外のアメリカ諸国

カナダ、メキシコ、コスタリカ、コロンビア、パラグアイなど死刑制度を廃止した国、グアテマラなど制度は残していても執行を停止している国があります。

一方、死刑制度を存続している国としてはキューバがあり2003年に国連の反対にもかかわらず死刑を執行しています。

アジア

アジア地域では中国、インドなど多くの国が死刑制度を存続しています。特に中国は世界最大の死刑執行数があり、その適用も殺人だけでなく汚職や国家反逆罪にまで及びます。インドにも死刑制度はありますが、2015年以降執行されてません。

フィリピン、カンボジア、東チモール、ブータンが死刑を廃止しているほか、法律として死刑が残っている国でもその執行を停止している国として韓国があります。マレーシアではマハティール政権のもと、2018年に死刑廃止が決まりました。

韓国のシステムは大日本帝国による統治時代に日本から導入されたもので日本と似ている部分が多いのですが、金大中大統領就任以来、1997年を最後に死刑が執行されていません。死刑囚は2018年現在で59名いるにもかかわらず、政府首脳の交代があっても死刑停止の方針を維持し続けています。

アラブ・アフリカ

アラブ圏ではイスラム教の影響もあり、死刑を存続している国が多くあります。サウジアラビアではイスラム法に基づき、世襲による死刑執行人が死刑を執行しています。サウジアラビアでは強姦被害者が死刑になるなど、他国の倫理では理解できないケースが少なくありません。

イラクでも死刑制度は存続しています。2006年にフセイン元大統領に対し死刑が判決されその4日後に執行されたことは記憶に新しいのではないでしょうか。この執行に対してもヨーロッパ諸国や人権団体から非難の声が上がっていました。

アフリカでは、フランスの影響の強い西アフリカで死刑執行を停止しているところが多い一方、アラブ圏では死刑を存続しているところが多くなっています。53ヶ国のうち13ヶ国が死刑を廃止しており、20ヶ国が執行していません。

オセアニア

オーストラリア、ニュージーランドをはじめ、オセアニア諸国ではすべての国で死刑を廃止しています。小さな島からなる国が多く殺人事件などが少ないというのもあるかもしれません。とはいえパプアニューギニアの殺人認知数率は日本の約10倍という統計もあり、それにもかかわらず死刑は行われていません。

オーストラリアは米国のような州制度をとっているので死刑廃止も州によって異なるのですが、1984年に全国で死刑制度が廃止され、国際条約で死刑復活はないと明言しています。

死刑制度の論点

日本の死刑制度について国民世論はおおむね支持しているようですが、先進国の国際世論は反対の傾向にあるようです。その考え方の違いを考えるにあたって、死刑制度賛否両論のそれぞれの論点を見ていきましょう。

犯罪抑止力

犯罪を犯した者に刑罰を与えるのは、犯罪を犯さないために抑止する効果があると考えるのは誰にでも理解できると思います。

悪いことはしないという人間の良心にだけ頼っているのでは、犯罪が起きてしまうのは自然なので、軽犯罪から殺人やテロなどの重大犯罪に至るまで、その重さに見合った刑罰を与えることによって犯罪を思いとどまらせる効果です。

人を殺せば自分も死ぬということがわかっていれば誰も殺人はしないのではないかという論理ですが、これは実際には証明されていません。犯罪を起こす者の理由はさまざまで、罪が重いから犯罪を思いとどまるというようなシンプルなものではないのです。中には自殺志向がある人が殺人を犯すという考えもあり、一概に死刑には犯罪抑止力があるとは言えないのです。

報復論:被害者と遺族の心情

犯罪を受けた被害者や、その家族などの心情に答えるために、死刑は必要であるという報復論的な考えもあります。死刑制度を廃止すると被害者や遺族の感情を無視することになるので、犯罪者が自らの命を持って最大限償うべきであるという考え方です。

愛する者を殺された人々はいっそ自分の手で加害者を殺してしまいたいとまで思うかもしれません。そのつらい気持ちがどのようなものか想像するに値するし、自分がそのような状況になったらどうなるかと聞かれたら犯人を抹殺してしまいたいという感情にとらわれるかもしれません。けれども、たとえ犯人の命を奪っても亡くなった被害者はかえってこないのです。

また、殺人事件といっても加害者が死刑判決を受けるのは殺人事件全体の1%にも満たないのですから、死刑制度があるからといって殺人事件の加害者全員の命を奪うということでもないのです。

命の重さ

諸外国に比べると、人の命に対する考えが日本では軽く、状況によっては人命よりも正義とか君主、国家のほうを大切にするという考えもあります。古くからの武士道の考え方、また近年の戦争時も兵士の命を犠牲にしてでも戦争に勝つことを全うするという考え方が蔓延していました。

例えば妊娠中絶などに関しても諸外国に比べ日本はかなり容認されてきたようです。また、自殺率もかなり高く「死んでお詫びをする」風潮も昔から浸透しているともいえます。

国が国民の、人が他者の命を奪う権利

ヨーロッパ諸国や国連、国際人権団体などが死刑を廃止するべきだという理由の根本に人権保障の観点があります。たとえ国家であっても人間が他者の命を奪う権利はないという考え方です。人間なら誰しもが持っている生命権を国家権力が犯すのは残虐で非人道的であるとするものです。

残虐と言えば、人を殺したいと思う確信犯でない限り、人の命を奪うというのは精神的な苦悩を伴うものでしょう。戦争や自己防衛のためにやむを得ず人を殺した人たちがその後精神的な病を抱えるということも理解できます。

いかに仕事とはいえ、死刑執行者の苦悩も大変なものがあるのではないでしょうか。自分がそのような仕事を与えられたら、気が狂ってしまうのではないかとも思ってしまいます。

他の刑罰で代替できないか

日本には終身刑がないので、終身刑を導入するのなら死刑をなくしてもいいという意見もあります。日本には無期懲役という刑罰がありますが、この「無期」というのは死ぬまでずっとというわけではないのです。

更生の可能性はないか

日本弁護士連合会は死刑廃止を呼びかけていて、その理由の一つとして死刑囚の更生の可能性を上げています。死刑はかけがえのない生命を奪う非人道的な刑罰であることに加え、罪を犯したとされた人が更生し社会復帰する可能性を完全に奪うという根本的な問題があるというのです。

冤罪の可能性

死刑制度の一番怖い点はこの問題ではないでしょうか。どんなに公正に見えるような制度でも、無実の罪で逮捕され死刑が確定してしまう人はいるのです。1960年代のイギリスで死刑存続を希望する人が81%もいたにも関わらず死刑が廃止された主な理由はまさにこれでした。

1949年に起こったエヴァンス事件で、妻と娘を殺したことで絞首刑となった夫が死刑執行後に冤罪の可能性が高いことがわかったのです。同じように冤罪ではないかとされた他の殺人事件があったことも原因で死刑廃止論が高まり、イギリスでは1965年に死刑執行を停止、1969年には死刑そのものを廃止しました。

日本も例外ではなく、死刑が執行されたあとで無罪だったのではとされる飯塚事件などの例もあります。

また免田事件では、1983年死刑囚の免田栄が6度目の再審請求でようやく無罪判決を勝ち取りました。1948年に逮捕され、誤った捜査による冤罪で死刑になり、34年後に初めて再審によって死刑台から生還したまれなケースです。日本ではその後も3人の死刑囚が再審によって無罪になっていますが、これらの死刑囚は一歩間違えば無実の罪で死刑執行となったかもしれないのです。

ほかにも無実の罪を主張して再審請求をする死刑囚は多く、その手続きが長引いて何十年も拘束され続け、結果的に病気や老衰により獄死したり、請求中に死刑が執行されるケースもあります。

いかに刑事手続きや判決が公正に行われているように見えても、冤罪の可能性がわずか1%でもあるのだとしたら死刑判決は避けるべきなのではないでしょうか。

まとめ

最後に私の私見ですが、冤罪の可能性が少しでもあるということを考えれば、死刑制度は廃止するべきだと思います。とはいえ、もし自分の愛する人が殺されたらと考えると、その時は違う考えを持ってしまうかもしれません。

死刑制度のような難しい問題については人によってそれぞれの考えがあると思い、どれが正しいのかを簡単に決めつけることはできません。あなたはどう思いますか?

日本の死刑執行について外国から非難されることについては、内政干渉であり自国の国民が決めることだと逆に批判することもできるでしょう。

けれども、死刑制度についてその背景や法律、詳しい状況などをもっと理解した上で1人1人が感情的にならず考えてみることは必要だと思います。こういう「重い」問題については話題を避ける人もいますが、オウム事件をきっかけに議論してみるといいのではないでしょうか。

  

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