ホーキング博士死去 映画になった妻と離婚後再婚した相手と子供の関係

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Stephen Hawking

3月14日の朝スティーブン・ホーキング博士が亡くなったとの知らせ。その一生が映画化され、長年の病気に関わらず活躍したホーキング博士とは、どんな人なのでしょうか。プロフィール、病気、死因、家族(初婚と再婚相手、子供)や業績などをご紹介します。

スティーブン・ホーキング博士

スティーブン・ホーキング博士は「車いすの物理学者」として知られるイギリスの学者です。
大英帝国勲章(CBE)を受勲していて、イギリスでは現代の最も偉大な物理学者として尊敬されていました。

若くから難病のため車いす生活を余儀なくされていましたが、それにもかかわらず研究を続けました。

プロフィール

名前:スティーブン・ウィリアム・ホーキング (Stephen William Hawking)

生年月日:1942年1月8日

死没:2017年3月14日 (76歳没)

出身地:イギリス オックスフォード

病気になる前の若きホーキングの写真

ホーキング博士の病気

ホーンキング博士はALS(筋萎縮性側索硬化症/きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)という難病に侵されていました。
これは全身の筋肉が徐々に動かなくなるという進行性の難病で治ることはありません。
病状の進行は早く、通常は発症してから数年で呼吸筋麻痺に陥り人工呼吸器の補助なしでは生存が不可能といわれています。

ホーキング博士は21歳の大学生という若さでこの病気を診断され、その時に余命数か月と宣告されました。
しかし、博士の場合は途中で進行が弱まり発症から50年以上、病気と闘いながらも研究活動を続けることができました。

ホーキング博士は70代まで活動を続けることができたとはいえ、その毎日は決して容易なものではなかったのです。
車椅子で移動し、手が使えないため筆記もできませんでした。
1985年に肺炎のため器官切開手術を受けてからは、話すこともできなくなりました。
その時危篤状態に陥ってしまった博士は生命維持装置につながれ、医者からはそのスイッチを切って安楽死を勧められたこともありました。
それを妻のジェーンさんが断固として断ったそうです。

博士は晩年、コミュニケーションエイドとして重度障害者用意思伝達装置を使い、スピーチや会話はコンピューターによる合成音声を使っていました。

ホーキング博士の死因

ホーキング博士の直接の死因が何であるのかはまだ発表されていませんが、筋萎縮性側索硬化症の結果だというのが自然でしょう。

ケンブリッジの自宅で未明に静かに息を引き取ったとご家族が伝えています。

博士は2013年にBBCのインタビューで安楽死について答え、

「末期の病気で大きな苦痛を持つ場合は、死を選ぶ権利が与えられるべき。」と述べています。

博士自身も自ら「その時が来た。」と決断したのかもしれません。

ホーキング博士の家族

初婚のジェーン・ワイルド

ホーキング博士は23歳でジェーン・ワイルドと結婚しました。
その間に3人の子供(長男ロバート、長女ルーシー、次男ティモシー)がいます。
この二人のなれそめや関係については映画「博士と彼女のセオリー」で詳しく描かれています。
若い大学生だった2人が恋に落ち、その後ホーキングの難病と闘いながら、家族を作り上げる姿。
ジェーンがホーキングを支える様子が印象的でした。

それなのに、この2人は26年間連れ添ったあと、1991年に離婚という結果になってしまいました。

難病にも関わらず研究を続けたホーキング博士を献身的に支え続けたジェーン。
やっとその成果が認められ、博士が世界的に有名になったあと2人が別れることになってしまうとは。

離婚の理由は何だったんでしょうか。

再婚相手のエレイン・マンソン

ジェーンと離婚したあと、ホーキング博士は1995年、53歳の時にエレイン・マンソンと再婚しました。
エレインは1980年代にホーキング博士の看護を受け持った看護師です。
その夫であるディヴィッド・メイソンはホーキング博士の大ファンのエンジニアで、博士のスピーチ・シンセサイザーを制作したといわれています。
エレインはこの夫と離婚してホーキング博士と再婚しました。

2人の関係はホーキング博士とジェーンとの離婚の前に始まったということなので、これが離婚の原因だと思われます。

Embed from Getty Images

さて、この再婚についてはいろいろな問題が報道されています。
ホーキング博士の子供はエレインが父親になかなか会わせてくれなかったと言っています。
ジェーンも自宅には行かないものの、ホーキング博士のオフィスを訪問して子供や孫のことを話したりしていたのに、それがだんだんと難しくなっていたそうです。

また、エレインのホーキング博士の扱いについて警鐘を鳴らす看護師などがいました。
エレインがホーキング博士を虐待しているとして警察に報告した看護師もいましたが、ホーキング博士自身はこれを否定しています。

ホーキング博士は偉大な学者として有名なので一般人からは畏れ多い存在に見えてしまいます。
けれども実際に会った人によると、イギリス人らしくユーモアに富んでいて女性の話もよくするような人だったんだそうです。

「最近は何を考えているんですか」との質問に
「女性だ。偉大な謎だからね。」と答えていたのだとか。

難病をも、ものともしない天才博士も女性については問題が絶えなかったようです。

エレインとの離婚後

11年連れ添った後、2人は2006年に離婚するに至りました。
離婚の理由は明らかにされていません。
2人の間には子供はいませんでした。

ホーキングとエレインの離婚後、前妻のジェーンや子供たちはまた博士と会えるようになり事態が改善したと言っています。
ホーキング博士のドキュメンタリー映画「博士と彼女のセオリー」がロンドンで公開された時、ジェーンはホーキング博士と共にレッド・カーペットに登場しました。

下記は2人を演じたエディ・レッドメイン、フェリシティー・ジョーンズと共に映るホーキング博士とジェーンの画像です。

Embed from Getty Images

映画「博士と彼女のセオリー」(The Theory of Everything)

スティーブン・ホーキング博士と最初の妻であるジェーンを描いた伝記映画は2014年に発表されました。

ジェームズ・マーシュ監督の映画はアカデミー賞にも5部門でノミネート、

ホーキング博士を演じたエディ・レッドメインが主演男優賞を受賞

スティーブン・ホーキングもこの映画化には好意的で、音声データを提供したりして協力しました。
ホーキング博士は出来上がった映画を観て涙を流したそうです。

私も見ましたが、とても感動的な作品に仕上がっていました。

ホーキング博士の業績

スティーブン・ホーキング博士は物理学、宇宙論、数学など幅広い分野において科学に貢献しました。
特に、「ブラックホール理論」に代表される、その独創的な宇宙論は世界的に有名となりました。

スティーブン・ホーキングはオックスフォード大学とケンブリッジ大学で物理学や宇宙論を専攻。
1966年ケンブリッジ大学で宇宙論の学位を取得しました。

1974年に「ブラックホール蒸発理論」を発表し、最年少の32歳という若さで英王立協会会員になります。
1979年から2009年までは由緒あるケンブリッジ大学ルーカス記念教授をつとめました。

ホーキング博士は難解な学術書だけでなく、一般向けに宇宙の魅力などをわかりやすく解き明かすことにも取り組んでいました。
たとえば、1988年に出版した「A Brief History of Time」「ホーキング、宇宙を語る」は世界中に翻訳されて1千万部を売り上げる快挙となったのです。

現代の偉大な科学者の死

スティーブン・ホーキング博士は間違いなく現代の偉大な科学者でした。
その、ホーキング博士は「死後の世界はない。」と断言していたのでも有名です。

「自由に宙に浮いたら、どんなにすてきだろう。」語っていたホーキング博士、
今頃宇宙のどこかを浮遊しているかもしれませんね。

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