ダイアナ妃 : イギリスが泣いた日 1997年8月31日

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Princess Diana

8月31日はダイアナ妃が事故で亡くなってから20年の記念日です。これに先駆けて彼女についての追悼番組がイギリスのBBC ‘Diana, 7 Days’ また ITVの ‘Diana: The Day Britain Cried’で放送されました。

そういう番組を見て、ダイアナ妃自身についてというだけでなく、彼女の死をイギリス国民がどのように受け止めたのか、それによって英国社会や英国王室がどのように変わったのかを20年たった今、改めて考えさせられました。

生前のダイアナ妃

Princess Diana

Princess Diana (Getty Images)

ダイアナ妃 の一生はシンデレラから悲劇のプリンセス、そして非業の死という、まるで映画ドラマのようでした。その頃すでにイギリスで暮らしていた私は、正直言ってあまり王室やゴシップなどに興味がなかったのですが、雑誌や新聞で垣間見る記事で彼女の人気、またスキャンダラスとも言われた数々の行動が国民の話題の的になっていることは知っていました。

彼女についてはよく知らなかったけれど何となく「きれいだけどあまり教育がないナイーブな女性が若さのゆえ間違った結婚をしてしまったかわいそうな例」と思っていて、彼女が暴露的なインタビューや本を出したときは「イギリス王室も大変だ、日本の皇室なら考えられないこと」だというような印象でした。

そんな私でも、ダイアナ妃の交通事故死のニュースはあまりにも突然でショックでした。とはいえ、その死がこれだけ英国王室、ひいてはイギリス社会に影響を与えるとは思わなかったし、そのときは誰も予想しなかったのではないでしょうか。

ダイアナ妃の死

チャールズ皇太子とともにダイアナの遺体をパリに迎えに行ったダイアナのお姉さんによると、お葬式はスペンサー家の家族葬になるだろうと思っていたそうです。けれども、ダイアナの遺体と共にイギリスに戻り、走る車の外から見える人々の群れに驚いて、そういうわけには行かなそうだということがわかったということです。

バッキンガム宮殿の前にも人々が集まり始め、その前は花束でいっぱいになりました。老若男女さまざまな人が集まってきて、ダイアナの死を悼み、人前も顧みず泣く人もたくさんいたのをニュースなどで見て驚きました。イギリス人は普通人前でそんなに感情を表さないと思っていたのに、大の男までがすすり泣いていたからです。

ダイアナ死後数日間の女王の対応

女王一家はその頃夏の休暇中滞在していたスコットランドのバルモラル城にいたままでしたが、ロンドンに姿をあらわさず声明も出さない女王に対する国民の批判がだんだん出始めました。バッキンガム宮殿に花束を持って次々に現れる人々は女王一家はどうしてここにいないのかと疑問をなげかけ、普段は王室を持ち上げるタブロイド新聞も女王を批判し始めたのです。

当初、女王としては、もはや王族ではないダイアナ妃の死に対する国民の悲しみが理解できませんでした。けれども、王室への批判が高まる中、当時のブレア首相ほかのアドバイスもあり、態度をあらためていったようです。

ダイアナ妃はウエストミンスター寺院での準国葬とすることに決まり、葬儀の前日9月5日に女王がバッキンガム宮殿に戻ってきました。女王は宮殿の外で車から降り、ダイアナ妃のために捧げられた花束やメッセージを見学、その場にいた国民と言葉を交わしました。そして、そのあと生放送でダイアナ妃に対する追悼の辞を述べたのです。ダイアナ妃に対する尊敬の念がこめられたスピーチでした。

この後、イギリス国民の女王に対する不満は一度にすーっと氷解していったかのようでした。

ダイアナ妃の葬儀

Princess Diana Funeral

Princess Diana Funeral (Getty)

葬儀の当日ケンジントン宮殿からウエストミンスター寺院にいたる葬列の両側を人々が埋め尽くし、20,000人の臨時警官が出動しました。ダイアナの棺の後をチャールズ皇太子、フィリップ公(女王の夫)、ダイアナの弟スペンサー伯爵、ウィリアム王子、ハリー王子が歩きました。棺の上には白い花束とともに ‘MUMMY’ と書かれた白い封筒が(これはハリー王子の手書きだったそうです)。

英国王室史上前例のないことですが、バッキンガム宮殿では女王が外で棺に礼をし、宮殿にはユニオンジャックが半期として掲げられました。

ダイアナ妃の葬儀自体も前代未聞のことで、英国王室の伝統と新しいやり方、保守と革新のぶつかり合いと言った風でした。たとえばウエストミンスター寺院の音楽担当は エルトン・ジョンが ‘Candle in the Light’ なんて(マリリン・モンローがモチーフの)曲を歌うなんて言外だと拒否したそうです。それでエルトン・ジョンは同曲の歌詞を急遽書き換えて ‘Goodbye England’s Rose’ にしたことでかろうじて許されたのだとか。その他はすべて伝統的な賛美歌でした。この時、葬儀に出席したパパロッティは「悲し過ぎて到底歌えない」と辞退したそうです。

ダイアナ妃の弟スペンサー伯爵のスピーチ

葬儀の最後にダイアナの弟スペンサー伯爵が弔事を述べましたが、彼が何をいうのか誰も事前に知らされていませんでした。これが爆弾スピーチと言ってもいいもので、ダイアナの一生を褒め称えるだけに終わらず、感情的で批判的でもあったのです。その批判は彼女を苦しめ死に追いやったメディアに、そして何よりも彼女を受け入れなかった王室に(名指しはされなかったけれど)むけられていました。

彼は「ダイアナには階級や身分など関係なかった、人々に寄り添い苦しみや喜びを分かち合うことができる人で、そのために王室の称号を必要としなかった」と述べました。

そして、「ダイアナは愛情を持って息子2人を義務や伝統に縛られず自由に生きるように育ててきた、これからもそうあるように、’blood family’ (肉親)である我々が2人を守っていく」と言い切りました、まるで王室メンバーが肉親ではないとでも言うように。

普通の人が聞いても驚くことを言ったので、女王をはじめ王室関係者はさぞびっくりしたと思います。葬儀の場でこれだけ公に攻撃されたのですから。

葬儀の様子は生放送されていて、ウエストミンスター寺院のすぐ外に集まっていた人々のためにも野外に大きなスクリーンが設置され沢山の人が観ていたのです。それまで静かに葬儀の様子を観ていた人々がスペンサー伯爵のスピーチのあと、立ち上がって拍手をし始めました。次々に大きくなる拍手の音が寺院の中の参列者にも津波のように聞こえてきたそうです。それで、寺院の中の人も拍手し始め、王子たちも拍手をし始めたとのこと。女王は拍手しなかったそうで、その胸中いかにと察せられます。

イギリス社会と英国王室の変化

インタビューでイギリス人自らが言っていることですが「われわれはイギリス人なんだから悲しいからって言って人前で泣いたりはしない」という Stiff Upper Lip (前記事参照) の国民性が、ダイアナ妃の死によって、と言うよりは多分彼女が王室に入ってからの(当時はスキャンダラスだとされた)数々の言動によって変わって来たように思います。

 王室メンバーとして公の場では面目を保つ言動を期待されているにもかかわらず、自らの苦悩(不幸な結婚生活、こころの病気)をさらけ出したダイアナ。夫であるチャールズ皇太子の不倫だけでなく、自分の評判にとって不利となるような自らの恋愛や精神状態についても公にしたことで「王室の一員として恥ずかしい」と思う人もいたでしょうが「自分たちと同じように悩みがある人間的な人」と多くの人が感じたのでしょう。また、当時タブーとされていたエイズ患者や社会の底辺にいるホームレスのチャリティー活動などを通じて人々の悩みをじかに聞いていたから、様々な人の苦悩を思いやることができたのでは。

また、ダイアナ妃が2人の王子に「宮殿の外にも世界があるということを知ってもらいたい」という育て方をしたから、ウィリアムとハリー王子はダイアナ妃が携わっていたチャリティー活動を譲り受けて活動を続けたり、無名の一般人と交わってきたのでしょう。実際に、この2人が今ではキャサリン妃と共に行っている活動は以前のイギリス王室では考えられないレベルで国民と触れ合っているのです。王子が一般の若者と一緒にハイファイブをする様子ってたとえば日本の皇室で考えられるでしょうか?

イギリス王室だって少し前は日本の皇室のようにオカタイ組織だったのです。今でも女王やその夫君のフィリップ殿下の言動をみればよくわかります。感情を押し殺して、由緒ある王室や国のために伝統を守っていく、それが努めだと思ってやっていた(いる)わけです。

英国王室はこれまで幾度も危機を通り越してきました。現エリザベス女王による統治が始まってからも大英帝国の解体による植民地の独立があったし、今でも欧州離脱、移民の増加、スコットランドや北アイルランドの地方分権問題など、数々の問題をかかえています。

20数年前チャールズ皇太子の不倫が話題になったり、ダイアナ妃の暴露インタビューや本が世に出たりしたときに、私は「他人事ながらこんなことでは英国王室の尊厳は崩れてしまうのではないか、それに比べ、日本の皇室はみんな立派(に見える)」と思っていたものです。

でも、今となっては、英国王室というものは、ときには嫌われながら、ときには批判されながら、これからも英国民の象徴として生き続けるのだろうなと思います。時代や社会の変化に適応して変わり続ける王室だからこそ多様化する国民の象徴であり続けることができるのでしょう。

そして、イギリス国民も一連の出来事によって ‘unBritish’ (イギリス人らしくない)と自ら驚いた一面を「それも悪くないよね」と受け止めるようになったということかな。

 

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