11月11日リメンバランスデーのイギリス:赤と白のポピー

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11月11日はリメンバランスデー(Remembrance Day)といって第一次大戦終戦記念日です。2018年は終戦100周年にあたるため、各国でさまざまな記念行事が行われます。パリでも追悼式典が行われ多くの参戦国首脳が参加します。今年に限らず、毎年この日にはすべての戦争で亡くなった人のために赤いポピーをつけて追悼するため「ポピー・デー」とも呼ばれているのですが、どうしてポピーをつけるようになったのでしょうか。

リメンバランスデー Remembrance Day

第一次世界大戦は1914年から1918年にかけて連合国(フランス、イギリス、ロシア、セルビア、イタリア、米国、日本、中国など)と中央同盟国(ドイツ、オーストリア=ハンガリー、オスマン帝国、ブルガリアなど)が戦った世界大戦です。1918年11月11日11時にドイツと連合国軍が休戦協定(Armistice)を結び第一次世界大戦の戦闘が終わったことを記念し、戦没者を悼む行事が毎年行われます。この日を「休戦の日」アーミスティス・デー(Armistice Day)とも呼ぶこともあります。

第一次大戦は各国の戦闘員900万人、民間人700万人以上という大きな犠牲を負いました。戦車などの近代兵器を使った大規模な世界戦争はこれが初めてでしたが、これを最後にしたいという願いで追悼の儀式が行われるようになったのです。(そのわずか21年後の1939年に第二世界大戦が始まることになるのですが。)

イギリスではどこの町にも大体ある戦没者追悼碑などに人が集まり、戦没者を悼む行事が見られます。ロンドンでもホワイトホールにある戦死者慰霊碑前で追悼儀式が行われ英王室のメンバーや首相、英連邦や軍の代表者などが参加します。

また、この日の午前11時になると学校、職場、役所などの公の場所で2分間の黙とうが行われます。民間の店舗などでも黙とうをするところがあるので注意が必要です。

イギリスでは11月11日のリメンバランスデーは祝日ではなく平日であることが多いため、それに近い日曜日であるリメンバランス・サンデー(追悼の日曜日)に追悼行事を行うこともあります。

この追悼式はもともとは第一次大戦の戦死者の追悼のために行われていましたが、今では第二次大戦や他の戦闘での戦死者も含めて追悼する日となっています。

赤いポピーと白いポピー

リメンバランスデーの象徴とされるのは英語でScarlet Corn Poppyと呼ばれる赤いポピー(ひなげしの花)。赤いポピーは欧州原産の一年草ですが、雑草のように強い性質でタンポポのようにこぼれだねで根付き花を咲かせます。

ナポレオン戦争で荒廃したヨーロッパの戦場でも戦死者の遺体の周囲に赤いポピーが花咲きました。第一次大戦ではフランス北部やフランダース地方が激戦区になり過酷な戦闘が繰り広げられましたが、戦後には戦場を埋め尽くすように赤いポピーが一斉に花を開いたそうです。戦場となった野原一面を埋めるポピーの花は兵士たちの流した赤い血をほうふつとさせました。

戦友をなくして悲しみにくれていたカナダ人の軍医ジョン・マクレーンはその光景を見て「フランダースの野に」(In Flanders Fields)という詩を書きました。これにちなんで欧州各国ではこの花を戦死者を追悼するための象徴として使うようになりました。それでリメンバランスデーのことを「ポピー・デー」と呼ぶこともあります。

リメンバランスデーが近づいてくると、ポピー・アピール(ひなげし募金)と言われる募金活動が始められ、紙でできた赤いポピーの花を募金と引き換えに売る人の姿がたくさん見られます。この募金はイギリスの退役軍人戦没者福祉団体であるRoyal British Regionが行うもので、集められたお金は英軍支援のために使われます。政治家も道行く人もこのけしの花をコートの襟などにつけているのが見られます。

とはいえ、個人主義のイギリス人のことなのでポピーをつけない人もいて人それぞれ。特に関心のない人もいるし、追悼の気持ちはそれぞれの心のうちにあるもので公に宣伝するものではないと考える人もいます。政治家や有名人が赤いポピーをつけていないと文句を言う人が出てくると、逆にそういう風潮に反対する人もいるのです。

またイギリスといえども北アイルランドのカトリック教徒にとっては赤いポピーをつけることは抵抗があるとする人が多いのです。北アイルランド紛争時、イギリス軍によって弾圧された記憶は先の世界大戦より新しいのですから。またほかにもイギリス軍によって攻撃された国出身の人々、イラン戦争やアフガン戦争に反対する人々もポピーをつけることを拒む人がいます。

そんな中、赤ではなく白いポピーをつけようと提唱している運動があります。No More War Movementという平和を祈る運動家グループが呼び掛けているもので、Peace Pledge Unionというグループが販売しています。赤いポピーがイギリス軍の戦没者を追悼するものであるのに対し、白いポピーはすべての戦争の被害者、敵軍の戦死者や民間人の死者をも追悼するものです。そして、すべての戦争の終結を望む平和のシンボルという思いが込められています。この思いに賛同する人は赤いポピーの代わりに白いポピーを身につけ、中には赤と白と両方をつけている人もいます。とはいえ、赤いポピーをつけていない人を批判するむきは、白いポピーをつけることについても嫌悪感を示すようです。

戦争を知らない世代に伝える

今年中3になる息子は学校の歴史の授業に関連付けて第一次大戦の戦地を巡る旅に行って来ました。フランス北部からベルギーにかけての戦地を訪ね歩き、その当時の戦場の様子を背景となる歴史情報と共に学ぶツアーで、民間の旅行会社が提供しているものです。

第一次大戦は「戦争を終わらせるための戦争」(War to end wars)と呼ばれたのですがそれはかなわず、1939年には第二世界大戦が始まることになりました。その犠牲者の数はさらに増えて軍人民間人を合計すると5000万人以上となっています。

二つの大戦で敵国だったドイツとフランスは1950年代になってようやく手をつなぎ、他のヨーロッパ諸国も招いて今の欧州連合(EU)を築いてきました。何かと問題の多いEUは近年、イギリスの離脱問題や移民問題でさらに難航を続けていますが、二つの大戦で受けた多大な犠牲のことを考えるとEUの問題など何でもないものと言っても過言ではありません。

けれども、戦争の記憶というものはそれによって受けた傷が人々の中から消えていくと風化していくものです。第二次大戦終結から70年もたつ今、戦争をやっと覚えている世代が80代から90代となっているのです。もはや親も知らない戦争というものを若い世代が歴史の教科書の出来事としてでなく、実際にあったことだということを学ぶのはとても大切です。

戦争の記憶というものは風化されるだけでなく、美化されるものでもあります。赤いポピーをつけるイギリスの保守的な高齢層の中にはかつて偉大な犠牲を払って戦争に勝った大英帝国を懐かしむ人が多く、そのイギリスが他の国の言いなりになるなんてけしからんと思っているふしもあります。イギリスの国民投票でEU離脱を望んだのは高齢者層であり、若者はヨーロッパや世界とつながりたいという気持ちがより強いのです。若い人のことを心配するよりは、中高齢者層に広がるノスタルジックな愛国心が排外的に偏らないようにするほうが先かもと言う気もします。これは日本にもあてはまることかもしれませんが。

第一次大戦戦場ツアーから帰ってきた息子は、そこで学んだあまりに悲惨な戦闘のことについて多くを語りませんでしたが、いろいろ思うところがあったようです。特にカナダ兵士の墓地を訪問したことで、欧州での戦いに遠くカナダから兵士がやってきて戦い、命を落としたということに驚きと共に感銘を受けたようです。過激だったことで知られる第二次パッシェンデールの闘いではカナダ部隊の兵士15654人が戦死し、その一人1人を悼むための広大な墓地がはるかかなたまで広がっていたそうです。

イギリスに住む日本人として

イギリスで日本人として暮らしている私は普段は感じないのにリメンバランスデーが近づくといろいろと考えさせられることがあります。この日はそもそもは第一次大戦の戦没者を追悼する記念日とはいえ、現在では第二次世界大戦も含むすべての戦争で命を落とした兵士を追悼するものとなっています。第二次大戦で「敵国」であった日本人としては何だか肩身の狭い思いをするのです。もちろんドイツ人に比べれば何ともないことなのかもしれませんが。

私自身、個人的には体験したことがないのですが、この日が近づくとイギリスの高齢者から日本人が罵声を浴びせられたとか、日本軍の捕虜になったという退役軍人から唾を吐かれたという話も聞きます。イギリス人は大体礼儀正しいのであからさまにそういう言動をする人はほとんどいないのですが、内心はどのように思っているのか勘繰ってしまいます。日本人である私が赤いポピーをつけることに抵抗があるイギリス人がいるのではないかとも思い、募金はしても赤いポピーをつけて道を歩いたことはありません。白いポピーをつけるとかえって注目を集めそうでそれもできない自分がいて、今でもどうしていいかわからないというのが正直な気持ちです。

私にできることは戦争で命を落とした人々、被害を受けた人々に対して軍人であれ、民間人であれ、どこの国の人であれ、心から追悼すること。そして、どんな形であれ戦争がない平和な世界になるように願い、非力な自分でもできることは何でもすること。それには、どこの国の出身だからとかいうことで人を分けることをせず、1人1人と個人として誠意をもってつきあうこと。政治、宗教、文化、習慣の違いを互いに受け入れられないとせず、それぞれの違いを尊重しながらも地道に交流することで共に生きることを目指すこと。

何だか最後は理想主義のお花畑になってしまいましたが、私としてはこれしかないのです。

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