Last Updated on 2020-01-11 by ラヴリー
2018年5月16日歌手の西城秀樹が急性心不全で亡くなりました。『Young Man(Y.M.C.A.)』など多くのヒット曲を飛ばし「新御三家」の1人として郷ひろみ、野口五郎とともに70~80年代の日本音楽界を沸かせたミュージシャンの63歳という若い死でした。ヘビースモーカーとしても有名だった彼の死因は何だったのでしょうか。(2020年1月更新)
Contents
西城秀樹プロフィール
名前:西城秀樹 本名:木本龍雄
生年月日:1955年4月13日
死没:2018年5月16日(63歳)
出身地:広島県広島市
職業:歌手、俳優
事務所:アースコーポレーション
身長:181cm
血液型:AB型
妻:18歳年下の元会社員女性と2001年結婚
子供:2002年長女、2003年長男、2005年次男
広島で生まれた西城秀樹はジャズギターが趣味だった父親の影響で洋楽になじみ、ドラムやギターを習いました。兄とバンドを結成し、ベンチャーズ、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ジミ・ヘンドリックスなどの洋楽に傾倒していました。米軍岩国基地が近かったため、最新の洋楽の情報は東京より早かったそうで、米軍基地で洋楽を聞いたり、自らもライブハウスに出演しました。
高校時代にジャズ喫茶でバンド出演時にスカウトされた時は父親の猛反対に合い、家で同然で上京して1972年17歳でデビューしました。当時「新御三家」と呼ばれていた歌手郷ひろみ、野口五郎と共に人気を博し、ヒット曲を飛ばし続け、テレビ、コンサート、レコードと精力的に活動してきました。
アジアなど海外進出
西城秀樹はアジア各国でも人気があり、アジアでの日本人歌手進出の先駆けとなりました。1981年に香港音楽祭でゲスト出演した時は視聴率が90%を超えました。香港では1982年にコンサート、その後シンガポール、タイ、中国本土、韓国などでコンサート出演。ブラジルでもコンサートをしています。
1988年のソウルオリンピック前夜祭にも出演したほか、1990年には広島・アジア音楽祭をプロデュース、出演しました。
1998年には「日中友好条約締結20周年」のイベントとして中国の万里の頂上で野外コンサート。2007年には「日中国交正常化35周年」と「中韓国交開始30年」を記念して中国で開催された『アジア国際芸術祭』に出演しています。
西城秀樹は中国で大変人気があり一時は日本でより中国(特に香港)でのほうが人気があったほどだそうです。
脳梗塞で倒れる
西城秀樹は2003年6月に公演先の韓国で脳梗塞を発症します。朝その症状がありながらその夜のディナーショーをやり通したあと帰国して入院。この時声帯の神経が損傷し言語障害の後遺症を発症しており、一時は引退も考えたものの、リハビリに取り組みました。
その後、この経験をつづった書籍『あきらめない 脳梗塞からの挑戦』を出版しています。同じような経験をした人を勇気づけたいという気持ちで、医療関係のシンポジウムなどでの講演もおこないました。 そして、その後は健康に気を使うようになり、食べ物のバランスを考え、生活スタイルも変えました。
しかし、2011年12月20日脳梗塞が再発し、再び入院します。右半身麻痺と軽度の言語障害の後遺症があるものの、解放へ向けてリハビリに励んでいました。マシン、筋トレなどの運動、整体や鍼などを1日3時間週3~5回していたといいます。また、睡眠や休養も大切にし、ヘレンケラーや松下幸之助などの音読も続けていたそうです。
2015年4月に還暦記念アルバム『心響―KODOU-』を発売しました。この時開催した記念ライブには「新御三家」の盟友、野口五郎がゲスト出演。
また、この日には埼玉県入間氏に自らがプロデュースした体験型市民農園『西城秀樹体験型市民農園「百果百菜」』を開園しています。無農薬と有機栽培にこだわった野菜を自分で育て畑仕事を楽しみにするようになったのです。
その後もステージ活動を続け、2017年11月にはNHKの歌番組の厳選シーンを集めたDVD『HIDEKI NHK Collection』をリリースしました。
2016年12月のインタビューで西城秀樹は2度の脳梗塞に感謝していると語っています。
病気になる前は「カッコよくあることが務めだ」と信じていたのに、「たとえ不自由でもありのままの姿をみてもらえればいい。」と思うようになり、楽になったということです。
最初に脳梗塞で倒れるまでが1度目。また倒れるまでが2度目。
そして今は、3度目の人生だと思っています。価値観を変え、大切なものに気づかせてくれたという意味で、ぼくは病気に感謝しています。
病気にならずに気が付けば、もっとよかったんですけどね(笑)。
日々の生活では野菜作り、健康な食生活、適度な運動と家族の暖かい励ましに見守られながら毎日を送っていましたが、4月25日に家族の前で倒れて入院しました。そしてそのまま意識が戻ることはなかったのです。
西城秀樹は5月16日日23時53分、急性心不全のため、横浜市内の病院で亡くなりました。
通夜は5月25日午後6時、葬儀は5月26日午前11時、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で行われました。
脳梗塞と急性心不全の関係
西城秀樹は48歳と56歳の時に脳梗塞を発症しています。
脳梗塞というのは脳の血管が詰まり、血液が流れなくなることで脳の細胞が死んでしまうという病気です。
西城秀樹は実は脳梗塞になる数年前の2001年1月にもタバコの吸いすぎによる「二次性多血症」と脱水症状のため10日間入院したことがありました。二次多血症というのは喫煙患者に見られる症状ですが、血の中の一酸化炭素ヘモグロビン濃度が上昇し赤血球が増える症状のことです。
彼は一日4箱タバコを吸うというヘビースモーカーであったと言われています。最初に脳梗塞で倒れたあと、医師に厳しく禁煙を指示されていたにもかかわらず、その約束を守らなかったそうです。後に、彼はこのことを反省して「医者のいうことは神の声として聴くべきであった。」と述べています。
タバコの健康被害とは?
喫煙は脳梗塞や急性心不全の原因となる急性心筋梗塞などの危険因子でもあります。
たばこの最大の問題は動脈硬化を促進することです。心臓や首、脳、手足などの血管の硬化は喫煙者の方が非喫煙者より強いことがわかっています。さらに、喫煙が心筋梗塞など虚血性心臓病の重大な危険因子の一つであることは、よく知られています。
喫煙者が非喫煙者に比べてこういう疾患で死亡する危険度というのはどれくらいなのでしょうか。
米国のフラミンガム研究という有名な疫学研究によれば、喫煙者が虚血性心臓病や心筋梗塞になる危険性は、非喫煙者2~3倍で、突然死はなんと5~10倍になっています。
また、忘れてはならないこととして受動喫煙についても触れています。
喫煙者の家族にも間接喫煙(受動喫煙)によって循環器病やがんになるリスクが高いことも知られています。
日本の喫煙事情
西城秀樹の直接の死因が喫煙ではないにせよ、ヘビースモーカーであった彼の健康に喫煙が悪影響を与えていたことは考えられます。
そういえば、喉頭がんで亡くなった忌野清志郎もスモーカーでしたし、ほかにも喫煙が原因で病気になったり亡くなったと考えられる著名人は快挙にいとまがありません。
喫煙者は肺がんのリスクが4~5倍になりますが、タバコを吸わない同居者も受動喫煙のために肺がんになるリスクが約2倍高まるそうです。妊婦や子供に対する影響はもっと深刻です。
おりしも日本では東京五輪を控え、飲食店などでの禁煙を導入する方針を掲げていますが、反対意見も多く出ていて難航を極めています。
世界保健機関(WHO)が去年日本に来日した時日本での喫煙規制の遅れを「前世紀なみ」と批判しています。
公共の場をすべて禁煙とする「スモークフリー政策」はイギリスを含め、49ヶ国で実施されており、日本は禁煙対策が世界でも最低レベルなのです。
健康に悪いとわかっている上、愛する家族や同僚、飲食店などの従業員など非喫煙者の健康まで危険にさらすタバコの規制は国として早急にすすめるべき問題でしょう。
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