Last Updated on 2019-08-02 by ラヴリー
今年の夏のホリデーはトルコ南西部に行ってきました。トルコは3度目、最初はもうずっと昔に行って魅せられたイスタンブール。2度目は3年前に家族3人でイスタンブール、カッパドキア、コンヤに2週間。今回はエーゲ海や地中海沿岸部を中心とした南西部にしぼったバカンス感覚の滞在型ホリデーです。エーゲ海岸のクシャダス、内陸部のパムッカレ、地中海岸のアンタルヤにそれぞれ4~7泊して、近郊の遺跡や観光スポットを訪問しつつ、ゆったり過ごしました。
Contents
トルコ南西部エーゲ海から地中海への旅
トルコ南西部旅行旅程
ヨーロッパ人スタイルのホリデーとは?
イギリス人はホリデーというと太陽と海を求めて南国に向かいます。イギリスの夏は暑くなる時もあるのですが、普通は夏らしくない天気が多いからです。格安航空券やチャーター機で行くパッケージツアーの登場で海外旅行に行く人は増え続けています。
以前はスペイン、フランス、イタリアに行くことが多かったのですが、最近はツアー会社や格安航空会社がチャーター機を飛ばすようになったため、足を伸ばしてエーゲ海や地中海の島々にまで足を伸ばす人が増えました。トルコのエーゲ海や地中海沿岸のビーチリゾートにもチャーター機が飛ぶようになり、物価が安いトルコに人気が出るようになりました。
イギリス人には飛行機とホテルがパックになった1週間とか2週間をビーチリゾート1か所で滞在するツアーが人気ですが、私たちはその片道航空券だけを別々に買ってホテルは3か所で個人予約する形にしました。ビーチやプールサイドでゆっくりするバカンスと近郊の遺跡などの観光スポットにも足を伸ばすという旅程です。
実際の旅行日程
スケジュールは下記の通り(7月12日から29日)
1日目:イギリスからトマスクックのチャーター機でトルコ、イズミール Izmirのアドナン・メンデレス空港(Adnan Menderes Havalimanı)へ。空港からホテルの送迎タクシーでクシャダスへ
1~6日目:クシャダス滞在、エフェソスなど訪問
7日目:クシャダスからタクシーでアフロディシアスへ。観光後タクシーでNazilli、バスでDenizli、乗り換えてバスでパムッカレに。
7~10日:パムッカレ滞在、ラオディキア訪問
11日目:パムッカレからアンタルヤに移動
11~18日目:アンタルヤに滞在
19日目:トルコ、アンタルヤ空港からトマスクックのチャーター機でイギリスへ
私たちはゆっくりバカンスを兼ねた旅行なので19日間かけましたが、観光目的だけならクシャダス滞在は2~3日、パムッカレは1~2日、アンタルヤは2~3日くらいで1週間から10日間の日程でも回ることができるはずです。もしくはもう少し足を伸ばしてボドルムやペルガモンに行くのもいいかも。
各観光地詳細
それぞれの観光地の詳細は下記を参考にしてください。
トルコ南西部ってどんなところ?
トルコは大きな国なので、内陸部と海岸部では風景も大きく異なります。イスタンブールはコスモポリタンな大都市ですが、内陸部の地方は保守的でイスラムの影響が濃く見られます。けれどもトルコ南西部の海岸地域では外国人観光客が多いこともあり、開放的でヨーロッパの影響が強く感じられる雰囲気です。
トルコのエーゲ海や地中海沿岸の南西部はヨーロッパやアメリカなどからの観光客が多い地域です。クルーズでやってくる観光客や、リゾート地にツアーで滞在する人たち、個人で旅行する人たちなど、さまざまな国籍の人々が街を歩いています。地中海性気候の快適さ、美しい海岸やビーチ、歴史あふれる遺跡、豊富な農産物を使ったおいしいトルコ料理、物価の安さなど魅力がいっぱいの地域なので来る人が後を絶たないのもうなづけます。
トルコというとイスタンブールやカッパドキアが有名ですが、ゆっくりリゾート気分を楽しみたいときにおすすめなのがこの地域。まるでギリシャの島々でバカンスを過ごすような雰囲気です。それというのもこのあたりの海岸地域は古くからローマ人、ギリシャ人など様々な人々がやってきて住み着いた場所でもあるのです。そのおかげでヘレニズムやローマ時代の遺跡も多く、歴史に興味がある人にとっても魅力的な地域です。
イスタンブールからもヨーロッパ各地からもトルコ南西部には航空便が比較的安い値段で手に入るので一度試してみてはいかがでしょうか。私はトルコが好きでこれで3回目。3年前はイスタンブール、カッパドキア、コンヤに旅行しましたが、旅行中にクーデターが起きてちょっとひやひやした思い出があります。あれから3年たってトルコも落ち着いてきたし、大都市に比べるとこの辺りはのんびりしたものなので安心して旅行できました。
ヘレニズム(Hellenism)とは
トルコ南西部ではヘレニズムからローマ時代の影響が至るところに見られ、歴史に興味がある人には必見の地域です。特に歴史に興味がない人でも、ヘレニズム文化の背景を少しでも知っておくとただの巨大石の塊のように見える遺跡訪問も面白くなるし、この辺りがどうしてヨーロッパ風に感じられるのかもわかってきます。
そもそも「ヘレニズム」というのはどういう意味なのでしょうか。「ヘレネス」という言葉は「ギリシャ」という意味があり、ギリシア人たち自分たちをヘレネスと自称していたことに由来します。「ヘレニズム」は「ギリシア風」という意味で、19世紀のドイツの歴史家ドロイゼンがつけた時代の名称でもあり、その文化を差すこともあります。
ヘレニズムは時代区分としてはアレクサンドロス3世の治世(紀元前336)からプトレマイオス朝エジプトが滅亡する紀元前30年までの約300年間を指します。ヘレニズム文化の特徴としてあげられる東西融合の文化はアレクサンドロス大王のコスモポリタンな指導のもとに花開いたといえるからです。
アレクサンドロス大王とは
アレクサンドロス(アレクサンダー)大王は紀元前356年にマケドニア王家に生まれ、有名なギリシア人の哲学者アリストテレスを家庭教師に持ち、教育を受けました。20歳で即位したアレクサンドロス3世(位前336~前323)は遠征軍を率いてペルシャ帝国を滅ぼし、中央アジアからインドのパンジャブ地方まで東方遠征を進めた野望ある王でした。
アレクサンドロス大王は国際派で、東方遠征により西のギリシア文化と東のオリエントの文化を融合させ新しい社会、思想、文化を作り出しました。大王自らペルシア人のダレイオス3世の娘と結婚し、ギリシア人の部下にも異民族との結婚を奨励しました。さらに帝国全土でギリシア人と各地の人々の融和を進めました。
このように20歳で即位した若い王は実にグローバルであったのです。アレクサンドロス大王のもと、ギリシア文化が旧来のオリエント文化と融合したことで、コスモポリタニズム(世界市民主義)という思想が生まれました。
けれども、王はバビロンで熱病にかかり33歳という若さで病死しました。その後アレクサンドロスの帝国はエジプト、シリア、マケドニアに分裂。この3国はいずれも紀元前2~1世紀にローマによって滅ぼされました。
今から2000年以上前にこういう「コスモポリタン」な王がいて、他国を制したのち自らの文化や政治を他国におしつけるのではなく積極的に融合をはかったというのは画期的なことではないでしょうか。その後の長い歴史において、それぞれの国家、人種、宗教、文化などが互いに排除しあい、戦ったり、憎しみあってきたことが多かったのを考えるとなおさらです。もしアレクサンドロス大王が長生きしていたら、世界は全く異なったものになっていたかもしれないのです。
ヘレニズム文化の特徴
国際主義のアレクサンドロス大王の東方遠征によって生まれたヘレニズム文化は東西の文化を融合しました。ヘレニズム文化は選民思想を否定し、民族で差別することなく個人の幸福を追求したのが特徴といえます。この時代には禁欲による幸福の追求を目指すストア派や、精神的な快楽を得て幸福の追求を目指すエピクロス派などの哲学もおこりました。
ヘレニズム文化は、ユダヤ・キリスト教の思想であるヘブライズムとともに、ヨーロッパ文化の根底をなしています。さらに東方ではインドの2~3世紀のガンダーラ美術、中央アジア、中国を経て遠く日本の天平文化にも影響が及ぶとされています。
その後に栄えた古代ローマもヘレニズム文化を継承しました。それだけではなく、ヘレニズム美術の写実的で人間美や精神を表現した芸術は中世を経てずっとのちにルネサンス美術にも大きな影響を与えました。キリスト教というしばりから逃れようとしたルネサンスの芸術家たちが回帰したのが古代ローマやヘレニズムの人間性、普遍性なのです。
トルコ人とは
アタチュルク(トルコの父)と呼ばれ今でも敬愛されているトルコ共和国の初代大統領ムスタファ・ケマルは、トルコの近代化を推進し、政治からイスラム的影響を排除しました。このため、国民の99%以上がイスラム教徒であるのにかかわらず、トルコがイスラム国であるという印象を受けません。「アザーン」と呼ばれる礼拝のお知らせが大音声響きわたるのを聞いて初めてここがイスラム教徒の国であることを思い出すほどです。
ヘレニズム文化の影響が強く残るトルコ南西の海岸部ではコンヤなど内陸部に行った時よりも、さらにイスラム臭が薄く、コスモポリタンな印象を受けました。外国人観光客が多いエリアであることも関係しているとは思います。街を歩くトルコ人にしても実に様々な顔かたちをしている人がいて、さまざまな血が混じってトルコ人を形成している歴史を感じます。
意外だったのがイギリス人と日本人を親に持つ15歳の息子が行く先々でトルコ人だと思われたことです。トルコで日焼けしたので特にそうだったのかもしれませんが、どこに行ってもトルコ人にトルコ語で普通に話しかけられるので彼は困っていました。もちろんトルコ語は一切話せないので。
もともとトルコはテュルクという中央アジアの遊牧民族集団だったのがギリシャ人をはじめとするヨーロッパのコーカソイドやアラブ、スラブ人と混血していった人たちなので、当然と言えば当然なのかもしれません。
ちなみに私には「ニーハオ」で土産物を売ろうとする人が多く、トルコにおける中国人観光客の急増を物語っています。
トルコにおけるヘレニズムやローマ文化
トルコでは、ギリシャ人が築いたヘレニズム文化がおもにエーゲ海、地中海岸に影響を及ぼしました。彼らはトルコ西部の海岸に近い谷や山の河畔の平地にだけ住み、内陸には住みたがりませんでした。海岸近くまでせまる高い岩山にはばまれていたこともあるでしょう。また、トルコ内陸のかわききった砂漠的風土には適さなかったのかもしれません。そしてその後、多くのギリシャ人はそれまでに築いた街や村をあとにして西の島々やギリシャ本土へ海を渡って行ってしまいました。
ヘレニズムはその後ローマ人によって継承され、トルコ南西部に数々の遺跡を残しています。ローマ帝国なきあともトルコでは東ローマ帝国におけるビザンチン文化ののち、セルジューク朝トルコ、そしてオスマントルコと時代が移り、1923年に現在のトルコ共和国が成立しました。
現在、世界遺産となっているエフェソスやアフロディシアスなどの遺跡を訪れるとその盛んだった時代を彷彿とさせる神殿や劇場、市場、浴場などに実際に足を踏み入れ、2000年前の劇場に座ったり、大理石に触れることができます。博物館ではその時代の芸術性にあふれる像や石棺などを鑑賞することもできます。けれどもトルコにはまだ土に埋もれたままの遺跡がたくさん残っているのです。
イスラム教徒の現代トルコ人はギリシャ人やローマ人が残したものを自国の文化としてあがめ、誇りに思うことがあまりなく、外人が残した異国文化の跡として無関心だったのかなと思ったりもします。それよりも国を近代化し、経済成長のために産業を興し、ドイツなどに出稼ぎして外貨を稼ぐことに忙しかったのでしょうか。
実際、トルコでの遺跡発掘はドイツ人シュリーマンのトロイをはじめ、イギリス人やアメリカ人など外国の考古学グループが多く携わってきており、そのために外国に持ち出された発掘品も相当あるとされます。現在のトルコ政府はそのような「違法」の発掘品持ち出しに抗議して各国から返却を求めており、無事に返却されて博物館に展示されている物品にはその経緯が説明されています。(例:アンタルヤ博物館のヘラクレス像)
トルコの遺跡と観光化
けれども、現代のトルコ今では観光業が主要産業になっています。年々外国人観光客数が増え続け、1999年には約750万人だった外国人旅行者数が2018年には3,948万人に増えているのです。過去の遺跡がお金を産むとなるとトルコにしては誰が残したものであれ利用しない手はありません。
今回のトルコ旅行で感じたのは、これまで土に埋もれていた遺跡を発掘したり整備して過去の遺産を急ピッチで観光化しようとする試みです。ほんの数年前のガイドブックやオンラインでの情報が古くなるほどのスピードで各地の遺跡などの整備が進んでいました。新たに世界遺産に指定されたアフロディシアスのほかにも、世界遺産暫定リストに文化遺産が多く登録されており、その数は世界一になっているということです。
これほど様々な時代、さまざまな文化の遺跡が残っている地域は世界にも珍しいのだから、ユネスコの関心が高いのも当然です。また、トルコの遺跡は諸外国からも注目され続けており、現在も外国の考古学チームの発掘や研究参加が相次いでいて、外国からの寄付も多くあることは遺跡内に立っている標識を見ると一目瞭然です。
トルコの観光産業
トルコの外国人観光客数は、上記したように1999年には約750万人だったのが2003年に約1300万人、2014年に4100万人と増え続けていきました。けれども2016年にテロやクーデター起こり、治安が心配されて同年は訪問者が約3000万人に落ち込みました。その後、観光客数は復活して2017年に3860万人、2018年にはトルコリラが急落して割安感が高まったこともあり、観光客は3948万人に増えています。2017年の観光産業の売り上げは約260億米ドルでした。
2019年には外国人訪問客5000万人が予想されているトルコは世界で10番目に人気の観光地。外国人観光客は以前はドイツ人、イギリス人が多かったのですが、最近はロシア人がトップに躍り出て596万人が訪れています。その他ではイラン、グルジア、ブルガリア人が多いようです。直近では中国人が増えて39万人、日本人は8万人ほどです。3年前にイスタンブールやカッパドキアを訪れた時には中国人はあまり見なかったのですが、今回は中国人の団体客をあちこちで見かけました。
まとめ
トルコは旅行先としての魅力がいっぱいの国です。物価は安いし、食事はおいしいし、数年前は不安だった治安も改善しました。イスタンブールやカッパドキア、パムッカレなどは日本人にはおなじみですが、南西部の海岸沿いもおすすめ。
ヘレニズム、古代ローマ、ビザンチン、セルジュークトルコ、オスマントルコと流れる歴史を感じられる観光スポットがたくさんあるだけでなく、険しい山脈を背景にして陽光がふりそそぎ紺碧の海が輝く自然美も売り物。コスモポリタンでオープンな雰囲気も心地よく、個人旅行でも安心して回ることができます。
真夏はやっぱり暑いので、日程を選べる人は春か秋がおすすめです。アンタルヤのホテルの人によると5月や11月頃が一番いい季節だと言っていました。